さて其山ごとの妄説、釈迦が悟りたるといへる趣きは、此天地いまだなかりし百千億万の前世よりの事実、及び人物の有初よりその父母兄弟妻子眷属、また貧富貴賤、寿命の長き短き、またその姓名、また造す所の善き悪き、さて今の何某は古への誰で、此処の何某は彼処の何某に生れ、或は島に生れ蟲に生れておるといふこと、また人の賢きも愚なるも、顔の麗しきも醜きも、悉くに故あることなるを始め、また人死しては其所行善悪によつて、天上、人間、地獄、畜生、餓鬼の五道にわかれ行くこと、まづその人間に生れては始胎に託らんとするとき、父母和合すなはち不浄を以て体となし、生れ出ては老病死その外くさぐさの苦あり。
『平田先生講説 出定笑語(外三篇)』57頁
篤胤が語る釈尊の悟りとは、以上のようなものであった。何ていうか、確かに仏説の中に、因果の様子や、生き物の寿命や、世界について語るものがあるけれども、篤胤はそれらを強調しているようである。ただし、これを悟りの後の言葉だとする根拠があるのだろうか?と思って調べてみたが、篤胤は釈尊の伝記を、主として『過去現在因果経』から採録しているのだが、その影響も確認してみたところ、ヒットした。同経の中に、該当する文章があった。
爾の時、菩薩、慈悲力を以て、二月七日の夜に於いて、魔を降伏し已りて、大光明を放ち、即便ち入定して真諦を思惟し、諸法中に於いて、禅定自在なり、悉く過去造る所の善悪を知り、此れより彼生じ、父母眷属の貧富貴賤、寿夭の長短、及び名姓字、皆な悉く明了す。即ち衆生に於いて、大悲心を起こし、而も自ら念いて言わく、「一切衆生、救済する者無くんば、五道を輪迴し、津を出づることを知らず、皆な悉く虚偽にして、真実有ること無し、而も其の中に於いて、横ままに苦楽を生ず」、是の如く思惟して、初夜の尽きるに至る。
『過去現在因果経』巻3
確かに、この文章であれば、悟った直後に入定して真諦を思惟し、善悪などを考えた様子が分かる。ただし、これはあくまでも本経典の立場であって、他の経典であれば別様にも説かれている。よって、篤胤の真意は不明なるも、『過去現在因果経』を引くことで、釈尊の思想を浅く受け取るという悪意も感じないではない。そして、この後、地獄と天上の話をした後(本当は、引用文を載せようか迷ったが、特に地獄の話が酷いので、割愛)で、以下のように総括している。
わが修し得たるはこんな事じやない、生死の相を離れて一切智を成じ、甚深なるが故に一切の衆生はさとりがたく入難し、唯仏与仏よく是を知とまづおどしかけたものでござる。
前掲同著・58頁
なお、「唯仏与仏」については、何故か引用先では「惟仏与仏」と書いてあった。翻刻ミスかと思ったら、刊記は無いものの当初の版本自体がその表記だったので、これは、筆記者か、筆記を清書し、印刷する際に起きたミスであろう。なお「唯仏与仏」は、『妙法蓮華経』「方便品第二」に見える一句で、「唯だ仏と仏とのみ」と訓ずる。意味は、まぁ、篤胤がいっているように、ただ仏と仏のみが、真実を明らかにするとかいう理解で良いとは思う。
舎利弗、如来は能く種々に分別し巧に諸法を説き言辞柔軟にして、衆の心を悦可せしむ。舎利弗、要を取って之を言わば、無量無辺未曾有の法を、仏悉く成就したまえり。止みなん、舎利弗、復説くべからず。所以は何ん、仏の成就したまえる所は、第一希有難解の法なり。唯仏と仏と乃し能く諸法の実相を究尽したまえり。所謂諸法の如是相・如是性・如是体・如是力・如是作・如是因・如是縁・如是果・如是報・如是本末究竟等なり。
『妙法蓮華経』「方便品第二」
以上の通り、仏のみが、能く諸法の実相を究尽すると述べているわけである。篤胤はこれを「おどしかけた」と受け取っているが、衆生の成仏の可能性を担保した上で語られることであれば、特に問題は無い。いや、篤胤の話法が巧みで、いつの間にか、仏教への悪意が説得力を持ってしまっているので、この辺が恐いわけである。
【参考文献】
・鷲尾順敬編『平田先生講説 出定笑語(外三篇)』(東方書院・日本思想闘諍史料、昭和5[1930]年)
・宝松岩雄編『平田翁講演集』(法文館書店、大正2[1913]年)
・平田篤胤講演『出定笑語(本編4冊・附録3冊)』版本・刊記無し