そうしたら、恵光『唐招提寺戒壇別受戒式』でも、やはり「第五講遺教経」とあって、同じように『遺教経』が講義されている。そこで、その『遺教経』がどのように講義されているのかを確認したい。今日はとりあえず、同式法の中で、『遺教経』をどう位置付けているかを確認しておこう。
今、此の経は、是れ釈迦世雄、最後の遺訓、能仁善逝の臨終の極説、釈種を導びくの指南、戒行を開くの妙門なり。
比丘、此に因りて身口七支の内外を調え、新学之を以て三業と四儀の憤動を寂す。
『唐招提寺戒壇別受戒式』
非常に短い文章ではあるが、色々なことを知ることが出来る。まず、「釈迦世雄」について、釈迦は、シャカ族のことだから良いとして、「世雄」は意外と見慣れない場合もあるかもしれない。おそらく、良く知られているのは、『妙法蓮華経』の一節「世雄両足尊、唯だ願わくは法を演説して、大慈悲力を以て、苦悩の衆生を度したまえ」(「化城喩品」)であろう。この場合、「世雄」とは、「世尊」と同じように、如来の尊号の1つとして用いられているのである。
よって、釈尊による最期の遺訓であるという。能仁善逝もまた、釈尊の異名・尊号である。特に、「善逝」は、「如来十号」の1つとしても知られている。つまり、釈尊による臨終での極まった説であり、他の釈種(仏教徒)を導く指南であるという。
そして、興味深いのが、「戒行を開くの妙門」としていることであろう。要するに、この経典を学ぶことは、仏教徒(比丘)としての戒行へと進んでいくための道を開くことを意味している。そして、この経典に基づいて、比丘は身口意の三業と、四儀の無軌道な動きなどを鎮めたのである。
そのため、特にこの式法でも、比丘になろうとしている発願の者を前に、『遺教経』を説いたのである。
以前から何度も申し上げている通り、臨終に及んで釈尊は、自らの死後、依るべきは「波羅提木叉」であるとし、その護持を求めたのである。『遺教経』ではわずかではあるが、その実践の方法、具体的な戒律の内容についても示されている。無論、具体的に式中に授けられているわけでは無さそうだが、とはいえ、持戒こそが釈尊の遺言だと示すことで、その重要さを説いたという流れ自体には、間違いが無かろう。
続く記事で、この「講遺教経」の意味合いや目的も明らかにしておきたい。
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