仏子よ、菩薩摩訶薩、十種戒有り。何等をか十と為すや。
いわゆる、
不壊菩提心戒、
離声聞・縁覚地戒、
饒益観察一切衆生戒、
令一切衆生住仏法戒、
一切菩薩学戒戒、
一切無所有戒、
一切善根迴向菩提戒、
不著一切如来身戒なり。
60巻本『華厳経』巻37「離世間品第三十三之二」
・・・あれ?八戒しか無くない?譬え、離声聞・縁覚地戒を、2つに割ったとしても九戒になりそうな気がするけど、これは大丈夫なのだろうか?あ、『華厳経』には別訳があるので、そちらも見てみよう。
仏子よ、菩薩摩訶薩、十種戒有り。何等をか十と為すや。
いわゆる、
不捨菩提心戒、
遠離二乗地戒、
観察利益一切衆生戒、
令一切衆生住仏法戒、
修一切菩薩所学戒、
於一切法無所得戒、
以一切善根迴向菩提戒、
不著一切如来身戒、
思惟一切法離取著戒、
諸根律儀戒なり。
是れを十と為す。若し諸もろの菩薩、此の法に安住すれば、則ち如来の無上広大なる戒波羅蜜を得る。
80巻本『華厳経』巻53「離世間品第三十八之一」
お?!こちらにはちゃんと十種戒がある。それで、「六十華厳」と比べてみると、「思惟一切法離取著戒」「諸根律儀戒」の二戒が多いことが分かる。転ずれば、「六十華厳」にはこの二戒が無いのだろうか?語句だけで調べてみると、無いようである。何だろう?抜けてしまったのだろうか?
それで、意味であるが、訳語の違いはあるにせよ、意味するところはほとんど同じなので、簡単に見ていくと、
①菩提心を捨てない(壊さない)戒である。要するに、仏道を求める気持ちを捨てないことである。
②声聞・縁覚の二乗を離れる戒である。これは、大乗仏教に位置することを示す戒である。
③一切の衆生を観察し、仏道への利益を与えようとする戒である。或る意味、「摂衆生戒」である。
④一切の衆生をして仏法に住させる戒である。とにかく、大乗の菩薩なので、仏法に住させることが大事である。
⑤一切の菩薩が学ぶべきことを学ぶ戒である。
⑥一切の事象に対してとらわれを持たない戒、である。空思想の現成である。
⑦一切の善行による功徳を、菩提に廻向する戒である。いわゆる廻向についてはその重要性を教えられるけれども、それが戒になっている。
⑧一切の如来身にとらわれない戒である。大乗仏教で説く法身に対しても把われないことを意味する。
以下は「八十華厳」にしか無いが、
⑨一切の法(存在)へのとらわれを離れることを思惟する戒である。
⑩この「根」はおそらく、我々の感覚器官のことだろうが、それらを律儀を通して正しく働かせることを指すのだろう。
ということで、簡単に解釈してみたが、確かに大乗仏教の菩薩が守るべき戒であるといえる。なお、『大智度論』などにも「十種戒」があるようなので、それらと比べてみるのも面白いかも知れない。
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