旅人労働者~気づくのが遅すぎて(鹿児島県→千葉県編) 

今回は千葉県のいろんな場所をドライブしたり、城跡を探索しようと思います。(前回の旅、鹿児島編から6年後)

鹿児島県・霧島市(旧・溝辺町)の旅 第22回

2017-02-15 10:17:16 | 22.鹿児島県・霧島市(旧・溝辺町)の旅

おいっす。
トルニンでございます。

今日は第22回目の旅です。霧島シリーズも福山町、国分市、霧島町、隼人町、牧園町と経て
今回の溝辺町で6回目です。現時点での全旅行程の4分の1以上を霧島市が占めております。
改めて大きな町ということがわかりますね。

それでは旧・溝辺町の旅、行ってみましょう!



国道504号線。
鹿児島空港やさつま町方面に向かうなら必ず通ることだろう。
空港周辺以外であれば国道とはいえ空いていて通りやすい。



稲荷神社。
ここは溝辺町の竹子(たかぜ)という地区だが
昔はその竹子地区の宮川内という場所に神社があったが
神威が荒れていたので現在地に遷座したそうな。
その時の遷座を許可したのが平清盛だという。

清盛公の絶大な権力が鹿児島まで届いていたんですねえ。



参道。
やっぱり参道はある程度の傾斜と階段があると境内や拝殿に辿り着いた時のありがたみが違う。



拝殿。奥には朱色の本殿がある。



今日は、早めにお昼を取ることに。
前回の牧園町では飯を食わないで旅が終了してしまった後悔があったので。

県道40号線にある まことラーメン というラーメン屋さん。



なんこつラーメンという名前だったかな?
珍しかったので頼みました。
味のベースはあっさりトンコツのいわゆる鹿児島ラーメンをベースに
なんこつの旨みが出汁としてスープに合わさっているという感じ。

具はナンコツ以外はシンプルな感じなので食べやすいラーメンだと思う。



広大な敷地面積を持つ県民の森。
その中の一部である自然薬草の森にやってきた。




敷地内に植えられている草木は一つ一つが薬草としての効能を持つものして説明されている。



例えば、この木の場合は



キーウィフルーツの木だが、
このように説明板が
その植物に関しての効能等を説明してくれる。

キーウィフルーツの場合、利尿、止血、食欲不振に効果があるとのことだ。
特に止血にも効果あるとは驚きである。



中にはこんな植物も・・・



え!? 毒?

効能に毒ってどういうこと?
それ効能じゃないですやん。

薬草の森は毒薬も栽培してたのか・・・・




他にも色々こんなもの。



エビスグサ。というマメ科の植物。
別名、決明子。

音楽バンド、ケツメイシの名前の元になった植物でもある。



ここは歴史見本園という薬草エリアで
薩摩藩が山川、佐多、吉野で当時から栽培されていたものを一部こちらに運んで植えてある。

薩摩藩は薬草栽培にも力を入れており
薩摩の薬草は高品質のものとして江戸をはじめ全国で重宝された。

恐るべし薩摩藩。
軍事、経済(産業)、文化、教育どの分野でも高いレベルを保持していたことがわかる。

必ず旅先で出てくる薩摩藩や島津公の文字や家紋。
本当に鹿児島県は島津の歴史そのものである。

そんなことを言ったら
いやいや昔は熊襲や隼人でしょとか
大隅半島は肝付様だろ?なんて反発を受けそうだが。

しかしいずれにせよ
島津家の偉大さは山梨県の武田家レベルに匹敵するくらいリスペクトされているだろう。



高屋山上陵(たかやのやまのえのみささぎ)。

旧・隼人町の旅で訪れた鹿児島神宮で祀られた天津日高彦火火出見尊の陵。(つまりはお墓)
前のブログでも書いたとおり天津日高彦火火出見尊(通称・ホオリ)というのは初代天皇である神武天皇の祖父にあたる。

ちなみに鹿屋市(旧・吾平町)の旅で行った吾平山上陵はウガヤフキアエズ(神武天皇の父でありホオリの子である)の陵である。

東串良町の旅で柏原海岸の近くに神武天皇が東征を行うために出航したと伝わる地があったが
神武天皇の父であるウガヤフキアエズの陵、祖父であるホオリの陵が霧島と大隅にあることから
やはり、当時(紀元前700~600年)はこの地域が天皇家の祖先が治める地域だったのかもしれない。

紀元前700~600といったら奈良時代よりも1400年も前である。
熊襲や隼人族が栄えた時代よりもさらに1400年も昔、現在からだと2700年前である。

気が遠くなりそうだが、霧島市の旧・国分市の旅で訪れた
上野原縄文の森で発掘された日本最古と考えられる縄文時代初期(約9500年前)の遺跡があることを考えると
ここら一帯が他の地域に先駆け文明を築き他の国へ進出するといった歴史の流れは想像に難くない。



色々と考察している内にまた腹が減ってしまった。
本日2回目のラーメン屋である。
場所は鹿児島空港近くのザボンラーメン スカイロード 溝辺店というラーメン屋さんを訪れた。

ザボンラーメンというのは鹿児島じゃ有名なチェーン店で
鹿児島ラーメン人気投票でも常に上位に入ってるラーメンだ。



色々メニューはあったが
ここはノーマルのザボンラーメンを注文。

いわゆる鹿児島ラーメンで見られるトンコツベースの鶏がらスープを足したスープに
ねぎ、きくらげ、チャーシューの他にキャベツが入ってるのが特徴である。
ポイントはキャベツである。

味はこってり過ぎずあっさり過ぎずちょうど良い濃さ。
キャベツの歯ごたえが味にアクセントをつけて良い。



鹿児島空港。
実は今日でここに来るのは3回目である。

去年は横浜に住んでいた。
旅をする為に(お金が無かったので働きながら旅をしなくてはならなかった)鹿児島のある会社へ
面接を受けに羽田空港から鹿児島空港に渡って来たのが1回目。

採用が決まり、横浜から引っ越して再び鹿児島空港へ来たのが2回目。

そして今回の旅で来たのが3回目である。




空港はいい。
感情が高鳴る。楽しみも悲しみも希望も不安も複雑に絡み合った気持ちが心に表れてくる。
生きるパワーを呼び起こしてくれる。

いずれ鹿児島の旅を終了したとき、私はまたここに戻ってくるだろう。
新たな地へ出発する為に・・・
その時の次の目的地はどこになっているんだろうな。
東北、近畿、四国?それとも外国のどこか?

私の旅はまだ終わらない。



バレルバレー・プラハ&GEN(通称・チェコ村)。
鹿児島空港に程近い場所にあるチェコ政府観光局認定のテーマパーク。

チェコの製造技術や原料を使ったビールや焼酎工場がある他、レストランやお土産屋さんがある。
本来は焼酎の製造工場だったが、チェコでビール製造の勉強を行ったことからの縁で
このようにチェコの要素を取り入れた複合施設になったようである。

私はお酒を飲まないので会社の同僚に
霧島高原ビールというチェコの製造方法を用い霧島産ホップで造られたビールを
おみやげで買っていった。


溝辺町の旅おしまい。

今回も楽しい旅でした。薬草公園で島津家の力を思い知らされた回でした。








鹿児島県・霧島市(旧・牧園町)の旅 第21回

2017-02-14 21:44:59 | 21.鹿児島県・霧島市(旧・牧園町)の旅

こんにちは!

21回目の旅はまたまた霧島市になります。
そのなかの旧・牧園町という所を訪れてみました。

有名な霧島温泉郷は旧・霧島町ではなくそのほとんどが牧園町の方にあります。
今でこそ合併して霧島市となりましたが合併前は千葉の東京ディズニーランドみたいな
感覚だったのでしょうか?

そんな牧園町ですが、旅に行って見ましょう!!



みやまコンセール。
ここはいわゆるコンサートホールで正式には霧島国際音楽ホールという。

画像にあるのは野外会場。



霧島連峰をバックにした画像。
今は1月なので寒くて野外で演奏することは無いだろうが
夏とかはライトアップもされて盛り上がるんだろうな。



これが本当のみやまコンセール。
音響家が選ぶ優良ホール100選に選ばれている。



みやまコンセールのすぐ隣りにある広い運動場に植えてある昭和天皇御手植えの3本の杉。
昭和59年御手植えということなので32年ほどの時を経てここまで成長したことになる。
私より1歳若いからほとんど同世代だなあ(歳がばれるw)



昭和10年(1935年)、昭和天皇が鹿児島に陸軍の大演習視察の為、この場所で御展望された際の記念碑。




天降川。近くには坂本龍馬が妻のお龍と共に新婚旅行で霧島に訪れた際に立ち寄った塩浸温泉がある。
画像から見える川の岸壁は凸凹と削られたような跡があるが
これは大昔に霧島山が噴火した際の火砕流が造ったものだという。



天降川沿いにある安楽温泉街。近くには先ほどの塩浸温泉の他、妙見温泉や日の出温泉等もあり
霧島市では霧島温泉郷に次ぐ規模の温泉地域である。



安楽温泉も含めこの地域の温泉はすべて国道223号線沿いにある。



安楽温泉の一つ、鶴乃湯。
源泉100%であるこの鶴乃湯さんは
こじんまりとしていながらも、内湯、露天風呂、打たせ湯、水風呂、天然ミストサウナなど
すべて天然にこだわった素晴らしい風呂だった。

特に露天風呂の景色は最高。
天降川の綺麗な景色を見ながらの湯船は幸せだった。
しかもタイミングがよかったせいか、一人貸しきり状態だった。



熊襲の穴と呼ばれる場所に到着。
妙見温泉のすぐ近くにある。
熊襲というのは前回で訪れた旧・隼人町の隼人塚でも登場したが
南九州、薩摩大隅地方を治めていた部族の名である。
その熊襲が居住していたとされる洞窟がここにあるという。



鳥居をくぐり、山中へと入っていく。
なにやらただならぬ雰囲気を感じる。
ちょっと怖い。



洞窟までは結構遠いようだ。
密教の修行僧になったような気分になる道である。



ようやく入り口が見えてきた。
熊襲隼人と書かれた屋根門。
薩摩隼人なら知っているけど。
でも熊襲はこの時代鹿児島そのものといってよかったから
間違いではないな。



ようやく辿り着いた熊襲の洞穴。
鳥居があるし、入り口も狭そうだから入れなさそうと思いきや
どうやら入れるみたいだ。



なんと洞窟内を照らす証明スイッチ付きのようである。
これはびっくり。



恐る恐る入ってみると、中は結構広いようである。

え?

何じゃこの絵は?
まさか、さすがに熊襲族が描いた絵ではないでしょう。(後で調べたが1990年にモダンアートの美術家が創作したとのこと)
しかし、貴重な歴史物をいじって大丈夫なのか?

まあ、それはともかくとしてこの熊襲穴についての歴史を調べた結果
あることがわかった。

まず、この洞穴で熊襲族の首領、兄の熊襲建(くまそたてる)さんと弟の川上梟帥(かわかみたける)さんは
日本童男(やまとおぐな)さんに討たれたそうだ。

日本童男は景行天皇の息子で、熊襲討伐の命でこの鹿児島まで来たらしい。

まともに戦うには熊襲族は強大な力を持っていたということで、
まず自身を女装して熊襲の宴に潜入。踊りをしつつ建・梟帥兄弟に近づき酒を飲ませ
油断していたところを隠し持っていた短刀で刺したという。

そのとき弟の川上梟帥(かわかみたける)が死ぬ直前に
『私のような強人を倒すとはあなたの武勇には恐れ入った。あなたを讃えて私の名前を差し上げたい』と

川上梟帥は自分の名「たける」を日本童男に差し出すことを提案した。
これを受け入れた日本童男は名を改め日本武尊(ヤマトタケル)と名乗ったそうだ。

ヤマトタケルと言ったらヤマタノオロチとかと戦う古代の勇者という伝説の英雄かと思っていたら
実在したのですね。
というか、まさかこの鹿児島の熊襲族の川上タケルさんが名前をあげたことが由来になっているとは
初めて知りましたw

うーん。歴史って面白い。



和氣(わけ)神社。
日本で一番でかいとされる大きな絵馬がある。

和気清麻呂公命を祀る。第11代薩摩藩主 島津斉彬公の調査によって
和気公がこの地に流罪になったことがわかったという。

和気公というのは奈良末期から平安初期に活躍した貴族で、道鏡という僧との政争に破れこの霧島の地に流刑となった。
が道鏡失脚後に復帰する。
後に平城京から平安京に遷都を進言し造営の責任者としても活躍した。

ある意味京都を造った男であるとも言える。



和気公は難事があった際に猪に命を救われたことがあって
その縁から狛犬ならぬ狛猪が置かれている。



和氣神社の近くには犬飼滝という滝の名所があり
こちらも坂本龍馬・お龍夫妻が訪れている。



犬飼滝。


これで旧・牧園町の旅は終わりです。


あ、今回、飯食うの忘れていた。
地元のラーメンや定食を食いたかった・・・








鹿児島県・霧島市(旧・隼人町)の旅 第20回

2017-02-13 15:45:14 | 20.鹿児島県・霧島市(旧・隼人町)の旅

こんにちは。

早いもので今回で旅も20回目となりました。

天気は雨ですが、それで中止になる理由にはなりません。
雨の日も人生の大事な1日でございます。
張り切って行きましょう!



県道475号線。県道の3桁番号で400番台は
なにかと道が狭かったり、悪路が多いが、今回は良さそうである。



県道477号線。
・・・あかん。こっちはいつものパターンや。



県道473号線。
うーん。こちらも狭い道ですね。



県道475、477、473号線と一気にドライブしたが
何故、今回始めにこれらの道を通ったかというと、
旧・隼人町というのは霧島市の中でも市街地の部分が多く、
山林が占める割合は他の霧島市の旧市町村区に比べ、最も少ないので、
先に抑えておきたかったのである。

そうすることで交通量の多い市街地部分の探索を後でじっくり攻めることができると思ったからだ。
まあ、1日それも日中での探索となると時間が限られているからね。(週1の休みで次の日は仕事だし)

画像は県道473号線の開けた場所の道路わきから旧・隼人町、旧・国分市方面を見下ろした画像。
・・・いつの間にやら晴れて青空が。



鹿児島神宮。

天津日高彦穂々出見尊 及び
豊玉比売命 を祀る。

いわゆる初代天皇である神武天皇の祖父母にあたる。

まだ正月シーズンである今日は、七種祭という祭典が行われており人で賑わっていた。

鹿児島の名がついていながら霧島神宮より知名度が低いが
古くから尊崇、保護を受けており社格は別表神社という霧島神宮と同じ扱いを持つ神社となっている。



JR 隼人駅。
竹を用いた造りになっている珍しい外観である。
駅名の看板には島津の家紋も付いている。



県道471号線。
3桁の400番台の県道だがご覧の通り道は広い。



国道10号線から見える錦江湾(鹿児島湾)と神造(かみつくり)島。島は左から辺田小島、弁天島、沖小島と言う。
今回一番の絶景ポイント。



神造島が見えるスポットから程近い国道10号線沿いにある戦史館という建物。

第2次世界大戦、大日本帝国の香りがゴリゴリするこの館はまるで当時の時代にそのまま取り残されたようだ。
私、大日本帝国の歴史好きだけどちょっと怖くて近寄れませんでした。

どうやら飲食店も一緒に営んでいるようですが客は来るんでしょうか?



隼人塚史跡館。
隼人塚という石塔、石像に関する歴史や遺物を解説、展示している。



これが隼人塚。
五重塔の石塔3つに武人の石像が4体あり、石塔を囲むように配置されてある。
かつては一部が欠けていたり、移動していたり、埋まってたりしたものを修復、整備した。

これらが作られた理由についてだが
熊襲族の祟りを鎮めるためや
隼人の反乱の死者の慰霊の為とされている。

熊襲というのは南九州とくに霧島や大隅を本拠地にしていた部族で
大和政権(または大和朝廷)に反抗していた。

隼人というのもこれまた大和朝廷に従わず反乱を起こした部族。
熊襲と同じく薩摩や大隅、日向などに住んでいたが
熊襲とは同一部族ではないらしい。もともとは大和朝廷に仕えていたが
奄美・沖縄などの南西諸島や中国大陸との貿易もあり、かなり栄えていたこともあって
命令に従わなくなっていった。

それにしても
戦国時代や江戸時代の遺物でもすごいが
奈良・平安期の遺物が今も残るというのは凄い事である。



九州筑豊ラーメン 山小屋 

恒例のラーメンタイムがやってきました。
昭和ラーメンというメニューを注文。



見た目は昭和と言う割には今風の印象も受けるこのラーメン。
麺もちもちつるつる美味し。
スープこってり美味し。
タマゴ美味し。
ネギ美味し。
きくらげ、もやし歯ごたえ良し。
チャーシュー味浸みてて美味し。

とてもバランスがよくパーフェクトに近いお味。
これはもう1杯食べたいのう。



最後は吉田温泉という日当山温泉街の一つに入浴し
旅の疲れを癒した。
ちょっとお湯が熱かったけど。
施設内は歴史を感じさせる古い建物で
演歌などが流れていかにも昭和という雰囲気だが
これがまた合っていてイイ。


今回の旅はこれでおしまい。
隼人町は歴史というキーワードがぴったりの古の都でした。
旧・国分市の上野原テクノパークも含め
この地域は縄文から弥生、古墳、奈良時代まで太古の昔から現在までずっと続いている
歴史ある土地なんだと改めて認識したのでした。

大崎町から肝付町あたりの大隅文化圏と旧・国分市や旧・隼人町を中心とした霧島文化圏。
この2大文化圏が鹿児島のみならず九州において、いや日本全体においても相当な地位を誇っていたのだと実感せずにはいられないのである。

鹿児島県・鹿屋市(旧・鹿屋市)の旅 第19回

2017-02-05 19:06:15 | 19.鹿児島県・鹿屋市(旧・鹿屋市)の旅

どうもっす。

19回目の旅は鹿屋市(旧・鹿屋市)です。
今更ながら鹿屋市の旧・鹿屋市って何だよって自分で入力してて思いました。

要するに、合併前の鹿屋市そのもの、つまり鹿屋市本体というか中心地ということです。

鹿屋市は大隅半島ナンバー1の都市です。
と言っても10万くらいの都市ですが・・・

ま、前置きはこれくらいにして出発しましょう!



朝一番でいきなり城跡に行こうと思い、町の中心地にある鹿屋城跡(別名・鶴亀城)に来た。
鹿屋城跡はその名の通り鹿屋氏が治めていた城跡で
後に伊集院氏、その後島津氏が治めた後に廃城となる。



鹿屋城跡・二の丸跡。



本丸跡を下から見上げた画像。



本丸跡から見下ろした画像。
鹿屋市街地が見える。





城跡内を歩いていると、郭の盛り土に穴が掘ってある場所が2ヶ所あった。
太平洋戦争時に防空壕で使われていたのかもしれない。



鹿屋城跡を後にし、次は小塚公園へと向かった。

第9回の旅、鹿屋市(旧・串良町)では特攻隊の戦没者を祀った平和公園の慰霊塔を参拝したが、
小塚公園にもおなじく特攻隊の慰霊塔がある。

鹿屋市一帯は太平洋戦争時、特に海軍航空隊基地があったことから米軍の激しい空襲に晒された。
また、特攻隊の基地がこの鹿屋市にあったため戦争遺跡が多く残っている。

私は、平和の尊さをここに来て改めて認識した。
若くして散っていった英霊のおかげで我々は今を生きているのだと。



小塚公園を後にし、今度は海上自衛隊鹿屋航空基地に到着。

ここは、まさしく戦前から使われていた航空基地で
特攻隊の基地としても使用されその規模は他の基地と比べ最大だった。

そんな場所であるがここはすでに自衛隊の敷地内である。

何故入れるのかって?逮捕されない?と心配するかもしれないが
安心してください。ここは一般開放されているエリアでございます。

鹿屋航空資料館という施設があり、旧日本軍から現在の海上自衛隊までの資料や歴史などが展示してある。
そこは入場無料ということもあり行ってみることにした。

ここだけの話、実は私も元自衛官なんですけどね(1任期(2年)しかやっていない陸自だけど)。
この道路といい殺風景な敷地の雰囲気というか、懐かしいね。



・・・・が今日は1月2日。航空資料館は休館していた。
まあ、そうなるな。



しかし、唯一、間近で見ることのできた野外展示用の航空機があった。
それは、旧日本海軍の飛行艇、二式飛行艇である。



第2次世界大戦時の飛行艇の中でもトップレベルともいえるほどの性能を誇っており、
戦争終結後の米軍関係者から「飛行艇技術力は世界に日本が勝った」と評された。

米軍の爆撃機、B29よりも航続距離が長く
戦闘機並みの操縦性と
20ミリ機関砲を多数搭載した迎撃力、
脆弱な装甲の多かった旧日本軍の航空機のなかではかなり頑丈な防弾装甲を施され
かつ、爆撃、雷撃任務も行えるなど、まさしく空の要塞、戦艦だったと言う。

いまや幻の存在ともいえる旧日本軍の航空機を白黒写真ではなく普通にデジカメで撮れる、見れるというのも不思議な感覚ではないだろうか。



錦江湾(鹿児島湾)にほど近い高須町という地区。

南北朝時代から室町、戦国時代とそれなりに騒乱のあった地という。
西郷隆盛や伊能忠敬などの有名人も訪れている。



高須町にある波ノ上神社。
名前の通り、かつては波に囲まれた孤島にあったという。



板碑と呼ばれる供養等の一種。
南北朝時代のものとされる。
北朝、南朝それぞれの年号が彫られており、
当時は2つに国が分裂していた動乱の時期だと言うことがわかる。



鹿児島湾沿いの県道68号線を走っていると砂浜が突き出た小島に神社がある。
菅原神社という神社で荒平天神ともいう。
学問の神様として有名な菅原道真公を祀っている。




海がとても綺麗でこのように透き通っていた。
足をまくり入りたくなる気分になった。が、1月じゃさすがに冷たいだろうな。
それに、周りは家族やカップル連れしかおらず、
私のような独り身が砂浜で突っ立ってるだけで奇異の目で見られるような気がしたので止めた。



社殿が岩のような場所の上にあるので
道のりは急な勾配があってきつい。
足元に注意されたし。



社殿。とても狭いので長居はマナー上よろしくないかも。



海沿いをドライブし終わり、鹿屋で一番有名な観光地
鹿屋バラ園へ。

が、正月期間中ということもあり今日は休みだった。
明日1月3日から開園という。
おみやげ屋などの一部施設は営業中。



手ぶらで帰るのも寂しいので、
バラの香りがする500円くらいのアロマオイルを買った。
よく床屋さんで嗅ぐ匂いである。



鹿屋バラ園から市街地へと向かう途中の下り坂の様子。
鹿屋航空基地が見える。



去年の7月、つまりは5ヶ月前には東京や横浜で勤務していた。
マクドナルドは別に好物だったわけではないが、
勤務先や居住地の近くに嫌でもあったので
たびたび利用していた。

その後、鹿児島を旅するために志布志市に引越し農業の仕事をすることになったわけだが
近辺にマックはおろかファーストフードがほぼなかったので(すき家のみあった。)
久々にものすごくハンバーガーが食いたくなって寄った。



ああ、ハンバーガーがこんなに美味しいとは・・・・
150日ぶりに食べたチーズバーガーの味にうっすらと涙が出たのであった・・・。(おおげさっ)


鹿屋市中心部(旧・鹿屋市)の旅はこれで終わりです。
今回も良き旅でした。
菅原神社(荒平天神)が一番思い出に残ったかな。
海が綺麗でしたしね。











トルニンが選ぶ 桜島のご当地品

2017-02-05 18:15:10 | 18.鹿児島県・桜島の旅
椿油 100ml 鹿児島県桜島産
桜島産椿油


桜島といえば、桜島大根や桜島小みかんが有名ですが、椿油も有名です。

椿といえばよくシャンプーや化粧品なんかによく使われるように
肌や髪に良いのです。

島の恵みをふんだんに使った100%桜島産の椿油、
手荒れが気になる方、髪が傷んでいる方へどうぞ。