信長の野望オンラインの歴史観に突っ込んでみようのコーナーその2である。
ちなみに、前回突っ込み忘れていたことが一つあった。
斎藤道三は1556年に義龍によって討たれている。でも、どちらかを大名で登場させるのなら、やっぱり下剋上を成し遂げた道三のほうになるから仕方ないといったところか。
で、今回は秀吉戦記に注目してみようと思うが、突っ込みたいところと、ちゃんと反映してくれていると感じたところと二つの面で述べていきたい。
①舞台となった合戦
まず、秀吉の合戦と言えば?と聞かれて思い浮かぶのは人それぞれかもしれないが、金ヶ崎の退き口、本能寺の変の前の中国攻め、対明智光秀の山崎の戦い、対柴田勝家の賤ケ岳の戦い、対徳川家康の小牧・長久手の戦い、そのあとの四国・九州・小田原・奥州平定の流れだろうか。そのあと朝鮮出兵もあるが、これは国外の話なので割愛する。
実際の秀吉戦記を見てみると、桶狭間→長篠→山崎→賤ケ岳となっている。
まぁ桶狭間は時期的にも、知名度的にも仕方ないか。秀吉が目立った活躍をしたという話はあまり聞かないが、コンテンツの最初の舞台には悪くないと思う。
問題は次。個人的には、対浅井・朝倉が来ると思っていた。秀吉の合戦と言えば、金ヶ崎の退き口を思い浮かべる人も多いだろうし、ある意味、秀吉の名を挙げた出来事のはずである。
また、この後も対浅井・朝倉に対しては前線にて攻防に従事していた。この後の長篠の戦いよりもよっぽど関連性がある。
ちなみに、所属勢力が実装されると思っていた浅井・朝倉プレイヤーはそれなりにいたとかいなかったとか。
この後の、山崎・賤ケ岳の戦いは実装されて当然といったところ。個人的には、本能寺直前の対毛利もあってもよかったかなと思うけど、山崎・賤ケ岳に加えて毛利もしてしまうと時期がかなり重なってしまうから外されたのは仕方ないか。
この後の小牧・長久手~天下統一までは、伊達Dで登場武将が被ってしまうから、賤ケ岳の戦いで終わるのはちょうどいい塩梅か。
②登場武将の名前
今現在知られている名前と、当時名乗っていた名前と違いがあることがよくある。
有名なのは、真田幸村が真田信繁であったり、織田信行が織田信勝であったり。
ちなみに、オフゲーの信長の野望は当時名乗っていたと思われる名前が使われるようになったので、黒田官兵衛が黒田孝高、山本勘助が山本晴幸になっていたりする。
個人的に驚いたのは、桶狭間のときの「松平元康」と長篠の「武藤喜兵衛」である。
松平元康は知っている方も多いだろう、のちの徳川家康である。
では、武藤喜兵衛は?なんと、真田昌幸である。三男であったが、長篠の戦いで二人の兄が戦死したため、この後に馴染み深い真田昌幸に改名している。
この時代、政治的な意味合いで嫡男以外は養子に行くことが多く、姓が親兄弟と違っていることは珍しくなかった。
といったところで、秀吉戦記への突っ込みはここら辺にしておきたい。
ちなみに、前回突っ込み忘れていたことが一つあった。
斎藤道三は1556年に義龍によって討たれている。でも、どちらかを大名で登場させるのなら、やっぱり下剋上を成し遂げた道三のほうになるから仕方ないといったところか。
で、今回は秀吉戦記に注目してみようと思うが、突っ込みたいところと、ちゃんと反映してくれていると感じたところと二つの面で述べていきたい。
①舞台となった合戦
まず、秀吉の合戦と言えば?と聞かれて思い浮かぶのは人それぞれかもしれないが、金ヶ崎の退き口、本能寺の変の前の中国攻め、対明智光秀の山崎の戦い、対柴田勝家の賤ケ岳の戦い、対徳川家康の小牧・長久手の戦い、そのあとの四国・九州・小田原・奥州平定の流れだろうか。そのあと朝鮮出兵もあるが、これは国外の話なので割愛する。
実際の秀吉戦記を見てみると、桶狭間→長篠→山崎→賤ケ岳となっている。
まぁ桶狭間は時期的にも、知名度的にも仕方ないか。秀吉が目立った活躍をしたという話はあまり聞かないが、コンテンツの最初の舞台には悪くないと思う。
問題は次。個人的には、対浅井・朝倉が来ると思っていた。秀吉の合戦と言えば、金ヶ崎の退き口を思い浮かべる人も多いだろうし、ある意味、秀吉の名を挙げた出来事のはずである。
また、この後も対浅井・朝倉に対しては前線にて攻防に従事していた。この後の長篠の戦いよりもよっぽど関連性がある。
ちなみに、所属勢力が実装されると思っていた浅井・朝倉プレイヤーはそれなりにいたとかいなかったとか。
この後の、山崎・賤ケ岳の戦いは実装されて当然といったところ。個人的には、本能寺直前の対毛利もあってもよかったかなと思うけど、山崎・賤ケ岳に加えて毛利もしてしまうと時期がかなり重なってしまうから外されたのは仕方ないか。
この後の小牧・長久手~天下統一までは、伊達Dで登場武将が被ってしまうから、賤ケ岳の戦いで終わるのはちょうどいい塩梅か。
②登場武将の名前
今現在知られている名前と、当時名乗っていた名前と違いがあることがよくある。
有名なのは、真田幸村が真田信繁であったり、織田信行が織田信勝であったり。
ちなみに、オフゲーの信長の野望は当時名乗っていたと思われる名前が使われるようになったので、黒田官兵衛が黒田孝高、山本勘助が山本晴幸になっていたりする。
個人的に驚いたのは、桶狭間のときの「松平元康」と長篠の「武藤喜兵衛」である。
松平元康は知っている方も多いだろう、のちの徳川家康である。
では、武藤喜兵衛は?なんと、真田昌幸である。三男であったが、長篠の戦いで二人の兄が戦死したため、この後に馴染み深い真田昌幸に改名している。
この時代、政治的な意味合いで嫡男以外は養子に行くことが多く、姓が親兄弟と違っていることは珍しくなかった。
といったところで、秀吉戦記への突っ込みはここら辺にしておきたい。