NHK特集「認知症の行方不明者1万人」を見た。
認知症本人が行方不明、認知症者の身元が分からず保護生活を送っている方・・・。
本人にとっても、家族にとっても不幸なことだと思う。
身内に認知症患者を抱えて思うことは、
体が元気な患者の場合の方が、重度患者よりも家族で看護するには限界がある-ということだ。
この時期の方が、家族も困惑し、行政福祉も手薄・・・と感じる。
私が思うに
体が元気な認知症患者には「元気な(普通の)本人」と「認知症状に支配されてる本人」が混在、同居している。
我々家族は、認知症初期や軽度の場合、「元気な(普通の)本人」基準で考え、行動しがちで「元気な(普通の)本人」を基準に注意し、介護・介助するが、実はその注意を聞いている(介護・介助されている)のは「認知症状に支配されている本人」であることが多い。
家族は、どうしても患者本人が「元気な(普通の)本人」でいる時間もあることに惑わされてしまう。
なので、
「前にも言ったでしょう!」
「どうして、わからないの!」
となってしまう。
今、目の前にいるのが「元気な(普通の)本人」なのか「認知症状に支配されている本人」なのか分かっていれば、注意の仕方や介護・介助の仕方も変わってくる。
これが、わからない。
しかも瞬時に切り替わる。
徘徊ひとつとってもそうだ。
時間通り帰宅すると、それは「散歩」という。
散歩と同じコースを歩いていたとしても大幅に帰宅時間がズレると「徘徊」と思われる。
では、同じ時間に帰宅していても、その間本当の「徘徊」をしていた場合は?
徘徊を経験した家族の多くは、たとえ散歩であっても「見守り」と称して同行するのではないだろうか。
この「見守り」を家族で365日続けられるのか。
「無理なら家に鍵を何重にもかけ、外出できないようにすべきだ」とか「家族が見守れない時間だけでも本人を拘束して」などと言われそうだが、実際には無理だ。
この「見守り」のスキをついて外出し、事件、事故に見舞われるケースがほとんどではないか。
残念ながら、体が元気で、初期や軽度認知症では受けられる介護サービスも非常に限られ、認知症診断にも時間がかかっている。
家族で24時間、365日看護、介護、介助し続けるのは不可能だ。
家族が安心してそれらに臨むことができる状況がないままの、現状の介護制度には無理がある。
申し訳ない言い方だが、身体機能が低下していたり、認知症状が重症化すると受け入れ窓口は広がる(入れるかどうかは別問題なのも問題だが・・・)。
私見だが、こうなると家族も患者本人を「元気な(普通の)本人」とは認識せず、病人として見ることができる。身体機能が低下すると動作も遅くなり、勝手に外出しようとするのを制止できたり、追いつくことができる。
初期や軽度認知症時には、本人の意思(気持ち)が尊重される。
なので、折角見つけた施設に入所できなかったり、介護サービスを拒否したり・・・。
それだけに、家族介護がしずらいというのが私の実感だ。
ここの期間(この症状期)の福祉充実ができないものか?と思う。
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