ぽちっとよろしくお願い申し上げます✨
————————————————————
【📔💖Today】
《本日の体調・状況詳細》
日付 2023/08/12
食べたもの 下記
朝、倦怠感が強く、なかなか起きれなかった。『過眠症状』。冷たいものが食べたかった。柚子ソウメン、アイスコーヒー、チョコのアイスクリームを食べた。
YouTubeの精神科医の話で、コーヒーのカフェインは興奮作用があり、疲れがわからなくなるという話があって、わたしは「コーヒーで疲れを誤魔化していたんだ」と思った。「バランスよく」飲もうと思った。
————————————————————
④日記・メモ
過眠してしまった。でも、食べる時のことを書いておく。わたしは食べる時「お前なんか食べるな」っていつも感じていた。ダイエットの摂食障害では無い。
経済困窮からと思う。今まで、母の幾度にわたる入院費と介護費、施設料、母のローンの補い。そして、父の入院費と葬儀費も重なってきていた。だからずっと「お前なんか食べるな、飲むな、買うな」という『強迫観念』みたいなものがあった。
わたしの場合『一人っ子』だから、両親の全部を「ひとり」で負担してきて、尚且つ自分の家賃や生活もあった。
その挙げ句、わたしが倒れてしまった時、”親の補い”ができなくなり、施設料金支払いが遅れた。
地域包括担当(施設担当)に、ありもしない事で強く人格や人生まで叱責された。この2023/07/11の出来事があり、お前なんか食べるなというは悪化し希死念慮が沸いた。
ここから、対人恐怖、広場(人混み)恐怖、パニック、PTSD、過換気症候群の悪化、テタニー(強直性痙攣、てんかん)にもなった。
わたしは、今まで数十年、母や家族である母の猫達を最優先にして生きてきた。わたしの収入はすべて母の介護や多頭猫達の世話代になっていた。自分の病院にもいけなかった。
父だけが最後にだけ助けにきてくれたけど、直ぐ癌で亡くなり、わたしは父の葬儀や入院費も支払った。
母が脳梗塞で入退院を繰り返した大変な時は『法定時間外労働』で過労をし「お前なんか食べるな、飲むな、買うな」って『強迫観念』に迫られた毎日だった。
今まで生きて来て、わたしはずっと自分は最後方で、家族を優先してきた。それで「自分がやってきた事を振り返れ」などと地域包括担当(施設担当)に叱責を繰り返され、数十年の「献身」をした人生までを捻じ曲げられた事により希死念慮が高まった。
話を聞かず一方的に否定する人達に事実が捻じ曲げられて酷いトラウマになった。だから、知人友人に同じ様な言動する人達がいたら避けて縁を切った。”わたし”の事は全く知らないのに色々言われたり、本当に『苦痛』。そうゆう話、りゅうちぇるも亡くなる前に言ってた。
「お前なんか食べるな、飲むな、買うな」って『強迫観念』はこの2023/07/11から非常に強くなり『希死念慮』になった。だから、わたしは『自殺未遂』した。
これが少しマシになって来たのは救急搬送された時に2時間くらいかけて飛んできてくれた人がいたからだと思う。無償な愛だと思う。
この時に猫達が亡くなったのもある。地域包括担当に「猫なんか!施設代を支払え!」と言われ続けたのは強いトラウマになっている。
母は脳梗塞なだけなのに判断力がないとされ、大事な猫達を放棄させられてる。ほったらかしな猫達は多頭いて、母が半分支払ってた猫の支払いはわたしが全部する事となった。猫も病院代は高い。
同時に、母のローンや他の支払い、施設代の補いもする事になった。体を壊してても黙って過労をし「お前なんか食べるな、飲むな、買うな」、掛け持ちして「寝るな」と自分に言い聞かせた。
何度も状況説明しても、施設担当も地域包括担当も支払いが楽になる施設への移動とかサポートもしてもらえてなかった。
でも、わたしは、一度たりとも放棄したり、母の年金を使うなどなかった。むしろ、母の年金だけでは支払えなかったものをわたしが支払って来た。そして声が出なくなった。昼の仕事ができずバイトは続けた。さらに仕事を探した。
「お前なんか食べるな、飲むな、買うな」は病弱な母の介護をし続けた数十年にあった。そして倒れるまで働いた。何故なら、わたしは『一人っ子』で『身寄りが無い』から。
地域包括担当(施設担当)には家族や兄弟での”分担”があるのとないのとは明らかに違うのに「それが介護、みんな一緒」と話をねじ伏せられ助けてもらえなかった。あげくに人格すら否定され『人生』すら捻じ曲げられ強いダメージになった。
わたしは働き過ぎて今年にも倒れ、2023/07/11の出来事からは食べても吐く、希死念慮になった。彼らは唯一の肉親の母とは話もさせてくれない。昼の職場に就こうとしたら保証人が必要だがいない様にされ、救急車に運ばれたら身元引き受け人もいなく孤立化させられた。
猫達さえ裕福な人達に里親や譲渡もできなかった。何故なら法的に母の財産で家族で勝手に動かせないのに話もさせてくれない。施設担当には母がわたしに一任してたのに、猫なんか!とだけ言われた。
愛猫達が病気から亡くなり、初めて『自殺未遂』をした。残りの猫達の為に里親施設にメールしてた。
支払いが遅れた理由は、初めから母の年金だけで支払える料金じゃなかった。無理なケアプランを契約させられた。
その時に母は入院していてまだ他に安価な場所を探せた時間があった。しかし退院ギリギリで料金がいきなり月7万なはずが10万と言われた。介護費理由でなく言い間違いと言われ、断ったが連れて帰ると虐待と言われ、他も探してもらえなかった。
母には他の支払いがあり、母名義のローン、弁護士費用、固定資産税や滞納、多頭猫達の飼育費があった。母は、入所前にも入退院を年に4回繰り返したので入院費、滞納した支払いもあった。さらに同時期に父が亡くなり父の入退院費や火葬や葬儀費用もあった。わたしは実家に戻る引越し費用も支払いもした。
この全部が一気にあった。両親は2人とも貯金がないからわたしが1人、貯金、収入も差し出した。わたしは介護で走り回り解雇された。失業保険や介護休業は数カ月先の受給で役に立たず、直ぐに別の仕事をした。
その『介護による経済困窮』を地域包括に相談したのにサポートはしてもらえなかった。母には年金ギリギリな施設料金が提示された。わたしが働いて支払えという”暗黙の意味”が元から含まれてた。
しかし、法定外時間労働を強いられ身体が悲鳴を上げた。救急搬送を1週間に2度もされる状況だった。わたしは生きていたくなくなった。対人恐怖、広場(人混み)恐怖、孤独と不安感、過換気症候群が強くなりテタニー(強直性痙攣、てんかん)になり、冒頭の希死念慮から自殺未遂になった。
今は残りの子達の為に生きてる。母に会いたい。猫は生き物で、それを放棄させるのは倫理に反してる。わたしはできないから、壊れるまで精一杯働いて母の猫たちを大切に世話し、母の全ての支払いの補いもしてた。そして、死にかけて倒れたなら、悪者にされた。その挙句、何故、わたし達の親子仲まで引き裂くの?
病状は友人達のおかげでましになってる。命の恩人、ありがとう。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます