Entre ciel et terre

意訳して「宙ぶらりん」。最近、暇があるときに過去log整理をはじめています。令和ver. に手直し中。

第21冊 『デパートを発明した夫婦』

2007年08月10日 | 本(小説など)
 フランスに行ったとき、ギャラリー・ラファイエットというお店を良く使いました。トゥールにあったのは中堅デパートといった感じでしたが、日本の店員と違い接客が薄いというか、そこまで商品の説明をしにこない感じで、やる気あるのかなーとまで思ってしまうほどでした。店員の姿を見るどころか(レジにしか店員がいないじゃないか!)、食品売り場なんてもっと酷くて、前出しさえままならない状態だった。そんな文化の違いを思い出しながら、この本『デパートを発明した夫婦』を読みすすめてみた。

 昔、商店というものは入店退店のとき、必ず一声かけたものだった それが今はコンビニみたいに、店員の一方的な言葉がけ、あるいは宣伝で済んでいたりする。19世紀フランスでも、商店に入退するときは「合言葉」が必要だったり、入店したからには目をつけている商品が当然あるのだろう、と店側に目を付けられて、客の方は買わなければ店から退出することができない何て言うこともあったみたい。値札もなかったから、当時の客は買い物に困ったことこの上ない。さらには店によって商品の値段が異なったり、店主の一存で値段が変わったりしていたから、客としては値段も良く分からないまま商店に顔を出しては、そこから値引き合戦、戦争になったのだった。

 そんな中、19世紀フランスで「マガザン・ド・ヌヴォテ」というものが登場する。このときはまだ流行服や布生地の売店というのが主流だった。売り場は大きくて、棚に整理された商品、照明などで演出された売り場、商品に客の目は輝き、購買欲が高まったとされる。しかしいつまでも同じ事ばかりでは客も馬鹿ではないので慣れてしまう。そんなところに、プシコー青年が働き手としてやってくる。彼こそが、未来のデパート王。デパートを発明する夫婦の一人だった。やがて彼が独立し、「ボン・マルシェ」というデパートを作り上げる。簡単に書くが、このスーパーは、当時にしてはかなり改革的だった。


(現金販売と直接仕入れ→薄利多売方式)
 当時には珍しい、現金販売だったようだ。手形を使って買い物をするというのが主流だった当時にして、現金販売を導入することは、手形の割合を下げる効果にも繋がったり、その浮いた分を他に回せる。直接仕入れなどだ。これによって薄い利益ながらも多く売上を上げることで、発展していった。


(バーゲンセールの発明)
 バーゲンを思いついたのもプシコーだとされている。要は閑散期に、客を集めるにはどうしたらいいのか? ということだ。そこでプシコーは年初めの大売出しの後、閑散期となる二月、降ってくる雪を上手く活用して「白の展覧会」を開催して下着やワイシャツなどを大々的に売り出すことになった。白は清潔感があるため、常時必要とされたものだったので、大当たりだったようだ。


(大売出し年間スケジュール)
 プシコーが作ったボン・マルシェでは、アジェンダ(手帳)を配布していたようだ。それにはボン・マルシェでの「大売出しスケジュール」が予め記されてあって、客に忘れさせないように大々的に宣伝していたようだ。


(デパートという城)
 スペクタクル空間を作り上げていた。本に刷ってある絵を見ると、まるでオペラ・ガルニエのような荘厳なものだった。


(教育)
 客に対しては、まず店にきてもらうという戦略、そして商品の目玉商品とそうでないものの配列など、現代にも生きている売り場戦略がこの時代に既になされていたところに驚くばかり。店員に対しては、デパート店員というのは当時、社会的身分が下層の人たちがつくことが多かったみたいで、その状況が良く分かり自らもその一人だったプシコー夫妻は、店員たちに閉店後の教育を施したりした それもまた多様で英語、ドイツ語などの語学教育から、フェンシングなどのスポーツ、女子店員向けにコーラス特訓などもあった。当時、12時間労働というのは当たり前だった見たいで、これらの導入はストレス解消にも役立ったようだ。


(その他)
①広告・・・新聞王ジラルダンの登場により、ボン・マルシェの広告が大々的に。
②読書室・・・現代の待合室のような感じ。新聞などが置いてあって、買い物につき合わされながらもほったらかされた紳士などが集ったり、密会の集合場所として使われた。使用は無料。
③文化戦略・・・無名画家などの絵を借りて展覧会を開く。無料。あわよくば絵も売れて、画家にとっても利益が。
④無料のブュッフェ・・・利用客にはここで簡単な飲み物の無料サービスが提供された。
⑤通販・・・カタログをまず送付し、利用者はそのカタログと共に購入希望のリストも添付する。返信は即座に通販担当社員によって開封され、その日のうちに商品が送られる。
⑥利益循環システムとしての福利厚生・・・主に社員貯金制度、養老年金制度の確立。


 そして何より、この本を読んでいて思ったのが、商売人として生きながらも、店主は店員のことを考えて、店員も店のために頑張ろうとする信頼関係が少なからず伺えることだ。プシコーのモットーに、商品をすすめるのは得策ではないというのがあり、商品の品質そのもので顧客に向かい合って貰うことを理想としていた。従業員もそれを遵守していた。守れない従業員は監視員などによってクビにされるなど、一部極端な例もあった。でも極端なものがありつつも、良いことが重なり重ならなければ、ここまでの発展にはならなかったのではなかろうか。時代は第二帝政時代、フランス資本主義経済が一気に進展し、労働力の過酷な搾取が行われた時代だった。

 さて、管理人は何故こんな本を今読んでいるのかというと、ここでゾラの『ボヌール・デ・ダム百貨店』という小説に繋がってくる。今年の夏休みに読もうと思っていた小説のひとつで、要は19世紀フランスを知るための鍵となる作品だ。そのための予備知識を学ぼうとしたまで。でもこれを読んでデパートを考え直すと、確かにどうして某デパートの6Fとかで展覧会とかやるんだろう? という思いが昔あったのを思い出した。要は客引きなのだ。でなければ商品にも目が行かないから、売上に繋がるわけもない。プシコーの客に対する鋭い眼差しは、まさに「お客様は神様です」といった感じだったといえるだろう。



(参考図書)
鹿島茂『デパートを発明した夫婦』講談社現代新書、1991年.


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