今日の一言

日々の生活の中で見つけた「なぜ・なに」について書いています。

アメリカのモールの現状

2023-12-20 12:56:37 | Weblog
(2020年に書いた記事の再掲です)

 私がアメリカのメリーランド州で暮らし始めたのが1995年の事でした。

 当時の居住圏には大きなショッピングモールが2つありました。その1つのホワイトフリントモールは、店舗撤退が続き一帯の再開発計画もあって2015年に取り壊されました。しかし1つだけデパートが残って、計画推進は難航しているようです。ここは自宅から一番近いショッピングモールだった事もあり、よく利用しました。そしてもう1つは車で15分程の所にあるモンゴメリーモール(現在はウエストフィールド・モンゴメリーに改名)です。規模はホワイトフリントモールよりもかなり大きくて、3階にはシネマコンプレックスが入っていました。

 これは帰国後10年目に再び留学していた地を訪れた時に、そのモールへ行った時に撮ったフロアマップです。


 シアーズ、ノルドストロム、メイシーズ、メイシーズホーム、4つの大きなデパートが連結しているのが分かると思います。言い換えると、三越、大丸、そごうなどのデパートが1箇所に集まっているようなものです。私が留学していた頃は、メイシーズホームの所に、JCペニーというデパートがありました。そして十字になった通路に面して数多くの店舗が並んでおり、アメリカの壮大さに驚かされたものです。


 私は広いパーキングロットの屋上にいつも車を停めていました。理由は明るくて治安がよいためです。向こうに見えるのがノルドストロムです。


 ここがメイシーズです。衣類や雑貨をよく買いにきました。


 モールの中はこんな感じです。ここがクリスマスシーズンには煌びやかに飾り付けられて、幻想的な世界に変わります。そして何より楽しみなのがクリスマスショッピングセールです。いろいろな物がかなりお安くなります。


 私がここを訪れた2007年は、アップルが初めてiPhoneを発売した年でした。アップルストアでは、まだ日本では見る事ができない初代iPhoneが店頭に置かれていました。私も手にとって操作しましたが、その凄さに感動した事を今も覚えています。

 しかし時は流れ、ショッピングの形態が店舗へ足を運ぶ従来の形からネットショッピングへと次第に移行していきました。これにより小売業者は大打撃を受けました。加えて店舗拡大を加速させすぎた事、そして何よりアメリカ経済における不況が追い討ちをかけました。既に老舗の小売業者は破綻に追い込まれ、一方で店舗数縮小によって耐えていた業者も今年に入っての新型コロナウイルス感染症による来店者激減により致命傷を受けました。JCペニーは今年5月に破産申請をしたようです。

 

 ネットで現在の状況を見ると、既に3つのデパートは撤退して空白になっています(丸印のところ)。残っているのはメイシーズホームだけです。中心部の店舗も空白が多くなっていて、テナントの入居率は低くなっているのが分かります。かろうじてアップルストアは残っているようですね。

 もし今後アメリカで新型コロナウイルスの感染拡大に収束が見えない場合は、さらにこのようなショッピングモールの荒廃が進む可能性があります。小売業者の規模やマーケティングの広さにおいては、単純にアメリカと日本を比較する事はできないと思いますが、現在アメリカで進みつつあるショッピングモールの異変がいつか日本でも起こるのではないかと杞憂してしまうのは私だけでしょうか。

 アメリカで暮らしてみて気づくのは、1年で最もショッピングモールが輝く時はクリスマスの時期です。今後どのようにモールが変化したとしても、クリスマスの時期だけでも人々が集って賑やかな雰囲気を作って欲しいなと思います。

 な


お肉がいっぱい

2023-09-03 12:50:54 | Weblog
近くに美味しいステーキのお店があると、子供が教えてくれました。そしてお昼ご飯はそこにしようと決めました。


肉屋黒川の本店です、地元では有名なお店だそうです。ただ残念ながら来店が遅くなってしまい、限定の極上ステーキ重は売り切れていました。そこで私はステーキ重を注文しました。


ここにタマゴの黄身を乗せ混ぜて頂きます。わさびを混ぜると味変が楽しめます。ローストビーフのような、とろけるような柔らかいお肉でした。その時はとてもお腹が空いていたので、もう少しご飯が入っていると嬉しいなと思いました。でも完食すると満足感でいっぱいでした。質の良いお肉で勝負している意気込みが伝わってきました。



クレスタ―バンク

2023-08-09 12:50:26 | Weblog
渡米する前に前任の先生から「アメリカに着いたらすぐに銀行で口座を開いてお金を入金して下さい」と言われていました。だから まとまった日本円を手持ちで持っていく事になり多少緊張した事を覚えています。

午前中に成田で飛行機に乗り、13時間のフライトでワシントンDC郊外のダレス空港に着いたのは同日の昼過ぎでした。ワープしたかのようですが、これは日付変更線を越えているためです。時差ぼけと長時間フライトの疲れで、記念すべきアメリカでの第1日目は心身ともにボロボロな状態でした。到着後に前任の先生ご夫婦が近くの中華料理店へ昼食に案内してくれましたが、気分が悪くほとんど何も食べられませんでした。実はその時差ぼけは夜眠れない、昼眠い、という最悪の形で数日続く事になりました。

さて昼食が終わり、さっそく口座を開くため銀行に向かいました。


ここは私が留学していたNIH(米国国立衛生研究所)のビルディング10の地下1階にある銀行(当時はクレスタ―バンクが入っていました)です。写真はgoogleのストリートビューからお借りしています。右側奥に進むと左側に小部屋があり、そこで手続きをして口座を開きました。銀行で私を担当してくれたのはアイーダという女性でした。

写真の左側にATMがありますね。私はNIHではVisiting Fellowという身分だったので毎月NIHからスタイペンド(奨学金のようなもの)をもらっていました。だから給与が出た後は、いつもこのATMから生活費に使う分だけキャッシュを引き出していました。まあアメリカではほとんどクレジットカードを使っていましたが、ときどき小銭が必要になる事もあったためです。

NIHに留学された事がある方なら、ここは思い出深い場所だと思います。私にとって、ここが留学生活の第1歩を踏み出した場所でもあります。結局アパートに入居して前任の先生から家財道具一式を受け取り、生活が軌道に乗るまで約2週間かかりました。アメリカではいろいろと苦労しましたが、今から思い返すと自分にとってよい経験になったと同時に、自身もたくましくなったような気がします。


※調べてみると私が帰国した翌年にクレスタ―バンクはサントラストバンクに買収されたようです。その後銀行は撤退して、現在はFederal Credit Unionという信用金庫がこの場所に入っているみたいです。ATMを拡大してみると確かにそうなっていますね。ところで実は今もアメリカで使っていたクレスタ―バンクの小切手を記念に持っています。



私の宝島

2023-07-30 16:19:59 | Weblog
子供の頃は、自宅の近くにあった玩具店によく通いました。1階にはプラモデルやラジコン、モデルガン、そして2階には鉄道模型、モデルカー、フィギュア(当時は超合金や変身サイボーグ、ミクロマンなど)、さらに手品グッズやテレビゲーム、ボードゲームなどが揃っていました。さらに上階にはラジコンカーやラジコンの船で遊ぶことができるスペースがありました。つまり、このビル全体が当時の子供にとって素晴らしい夢のような場所であるという事が分かって頂けると思います。

このお店に行くたびに、私はいろんな物が欲しくなりました。そしてお小遣いをためて欲しい物を買った時の喜びは筆舌に尽くしがたいものでした。言葉を変えるなら、このお店があったからこそ私は子供の頃に様々な事に頑張る事ができたとも言えそうです。しかしそのお店も2009年に閉店となり、建物も取り壊されてしまいました。数多くの思い出を作ってくれたそのお店が姿を消してしまい、私の心にはぽっかりと大きな穴が開いたようでした。しかし幸いにもこのお店の本店が、別の場所で営業を続けてくれました。

先日実家に戻り自分の部屋を整理していた時に、こんなカードの束が出てきました。


私が小学生の頃から集めていたそのお店のサービスカードでした。なぜ当時使わなかったのだろう? 今も思い出す事ができません。もちろんいつかは使おうと思いつつ忘れていたのでしょう。色違いの5点、10点、25点、50点のサービスカードで、これを使ってお店で買い物ができます。しかし40年以上も前のこのカード、今も本店で使えるのだろうか?まずは数えてみると3500円分になりました。さっそく本店に電話かけてみると、今でも昔のサービスカードを使う事ができると分かりました。

さっそくサービスカードの束を持って本店に出かけました。ちょうど欲しかったプラモデルがあったので、このカードを使う事にしました。受付でカードを出すと、店員さんもその数に驚かれていました。「懐かしいですね、それにしても こんなに多くのカードを持ってきた人は初めてです」といいながら枚数を数えてくれました。


カード分に足りないお金を払って、数十年ぶりに再販されたポルシェ935のプラモデルを買う事ができました。そして今回現金で支払った分に対して、50点のオレンジ色のサービスカード(色は今も変わっていないみたいです、カードはポイント券という名前になり少し小さくなっていました)を頂きました。今回購入したタミヤのポルシェ935は46年ぶりの再販になります。実は私は中学生の頃にこのプラモを作りました。当時のモデルは内部にモーターを取り付ける事ができ、乾電池を入れて走らせる事ができました。私が父の医院に戻ってきた時に、なぜか私が作ったこの935のプラモが診察室に飾ってあったので驚きました。もしかすると父もこの車が好きだったのかもしれません。


ところで私が集めていた昔のサービスカードの中にはこんなものもありました。おそらく昭和時代のクリッパーはビルの5階まで遊ぶ事が出来ていたようです。サーキットコースの利用料が10円や20円というのが時代を感じさせますね。

最後に、このようなお店は今ではもうどこにも存在しないでしょう。ゲーム機とインターネットの普及によって、家にいながらどのような遊びも簡単にできる時代になってしまいました。昔はアナログな遊びしかなかったため、このような施設の存在を輝かせたのだと感じます。もしこのクリッパーのような施設を今の時代に作れば、多くの子供たちが集まってくるでしょうか。私は子供の遊びの源流は、やはりアナログにあると思っています。デジタルもいいけれど、アナログな遊びの面白さを今の子供たちも忘れないで欲しいと願っています。



座りたくなる椅子

2023-07-17 18:43:16 | Weblog
自宅の書斎で使える快適な椅子を探し続けていました。今はトリニダートチェアを使っていました。この椅子は白鳥が羽を広げているような美しい椅子なのですが、木製で硬いため長時間座っていると腰が痛くなります。もっと実用性のある椅子はないだろうかと思い始めて時間が過ぎてゆきました。

さて日本が優勝したワールドベースボールクラシック、初戦は東京ドームで試合が行われていました。テレビで中継を見ていると、ふと東京ドームのベンチにある椅子が目に留まりました。『AK Racing』というロゴが付いた椅子、車のバケットシートのような椅子です。調べてみるとゲーミングチェアというカテゴリーの椅子でした。

この椅子のレビューを読むと、座り心地がよく何時間でも座っている事ができると書かれていました。本来はゲームをする時に使うのに適した椅子のようですが、体に負担をかけずに座っている事ができる椅子である事がわかりました。カラーリングもいろいろありましたが、結局私は赤色を選びました。


かなり大きな箱に入って届けられる事、自分で組み立てる必要がある事は事前に承知していました。結局、半時間程で組み立てる事ができました。完成した椅子に座ってみると、クッションの深さと、体を包み込む椅子の形状が素晴らしく感じられました。形状はスポーツカーのバケットシートに似ていて見た目もかっこいいです。リクライニングはほぼ水平にする事ができ、さらにスインギングもできるので快適です。

この椅子に座ってタブレットで映画を見る事も、好きな本を読む事も、そして静かに音楽を聴く事もできます。時には快適過ぎてあっと言う間に寝落ちしてしまう事もあります。さすが人間工学に基づいて作られた椅子だけあって、素晴らしい着座スタイルを演出してくれます。この色もフェラーリレッドを想起させるため、私にとって満足度は高くなりました。「帰宅したらこの椅子に座りたくなる」というセールスキャッチフレーズは、そのまま納得する事ができました。実は今もこの椅子に座って記事を書いています。



王様のアイデア

2023-06-11 10:36:08 | Weblog
 大阪の梅田にある阪急グランドビルに阪急32番街があります。ここは飲食店街で、上階には様々なレストランが入っています。

 子供の頃に阪急32番街へ家族で食事に行った時の事、ショーウインドウに不思議なグッズがずらーっと並べられていました。例えば、寝ながら本を読む事ができるメガネ、触れるとビリッとするボールペン、水を飲みながらずっと首を振り続ける鳥、回転させると水の中を色付きの砂が動いて不思議な模様を描くプレート、その他にも見た事がないような面白そうなグッズがたくさんありました。こうなるともう子供心をくすぐるどころか、あれもこれも欲しくなってしまいます。実はお小遣いを使っていくつかの面白グッズを買った事がありました。そのどれもが子供の好奇心を刺激して、想像力を掻き立てました。当時このような自由な発想で作られたと思われる製品を販売していたのは「王様のアイデア」という会社でした。おそらく今も、実家のどこかに王様のアイデアで買ったものが置いてあると思います。

 一度ネットで王様のアイデアが現在はどうなっているか調べた事がありますが、残念ながら2007年に閉店した事を知りました。


 ところが昨年2月に王様のアイデアブランドが復活したようです。ネットで見ると、通販で懐かしいグッズを購入する事ができるようになっています。王様のアイデアが創業した1965年において、このようなマーケティングの発想ができた事は驚きに値すると思います。小学生の頃に読んでいた少年誌の巻末に、王様のアイデアのような不思議なグッズの広告がよく載っていた事も思い出しました。



マルビルの思い出

2023-06-04 19:14:20 | Weblog
 先日梅田のランドマークの1つである丸ビルが建替えられるというニュースを聞きました。


 初めて丸ビルを見た時に、まるでピサの斜塔(丸ビルは傾いていませんが)のようだと思ったのが小学生の頃でした。私は家族で丸ビルに言った時にレストランで美味しいサーロインステーキを食べた記憶が印象強くて、いつもここに行く時はお肉が食べたいとリクエストしていた事を覚えています。丸ビルの一番上には回る電光掲示板がありました。ニュースや天気予報、そして広告が流れていたように覚えています。確かABCテレビのニュース番組のオープニングでこの丸ビルの電光掲示板が映っていた事を覚えています。

 既にホテルを含めてテナントは全て引き上げており、7月から解体工事が始まるそうです。やはり建物の老朽化と耐震に問題があったのでしょうね。47年間、本当にお疲れ様でした。そしてたくさんの思い出をありがとうございました。さて新しいビルは2030年の完成を目指すそうですが、できればもう一度円柱状のビルを建てて欲しいです。



3つの正方形

2023-04-29 10:56:44 | Weblog
息子からのメールに、数学の問題が添付されてきたのが先月の事でした。


送られてきたのは、今年の灘中学の数学の入試問題でした。幾何の問題です。最初は補助線を引いて解いていく問題かなと思いましたが、数学オリンピックの問題まで解く息子が「かなり考えましたがやっと解けました」と意味深なコメントを付けていたので、これはかなり手ごわい問題だと感じました。

まずは作図して与えられた条件や存在する条件を図の中に書き込む事から始めます。そしてあれこれと補助線を引いていくのですが、よく見ると与えられている面積条件はたった2つです。そこから左側の正方形の面積を求めるので、おそらくこの2つの条件を足したり引いたりして進めていく事はなんとなく感じ取る事ができました。ところが、ここからが大変でした。

学生時代には難しい数学の問題を友達と競い合って解いていた私ですが、お互いに時間制限なしで分かるまで考え続けるというルールにしていました。時には1か月くらいかかってやっと解法を見つけたり、やっと解けたと思ったら友達とは解法が異なっていたり、こんな謎解きの楽しみを数学は私に教えてくれました。なので自分の子供たちとも、このような数学の問題を競って解いたりしていました。学校のテストではないので、いくら時間をかけてもいいよと伝えると子供たちはとても楽しく問題に取り組んでいたものです。ところが中学数学を学ぶ頃には、逆に子供たちが私に難しい問題を持ってくるようになりました。さすがに公式などは記憶から薄れている私ですから、いつしか子供たちが持ってくる問題の紙が引き出しの中にたまってゆく事になっていきました。

そんな私を気遣ってか、息子はこの問題を提示してくれたのかなと感じました。となるとこちらも誠意をもって答えなければと、かれこれ1か月半ほどの間ずっと考え続けました。外来仕事の合間や、トイレやお風呂に入っている時も、、、 途中でやめようかとも思った時もありましたが諦めませんでした。


そして先ほど、やっと問題を解くことができました。この問題の解法はネットに出ていますが、私の解法とはちょっと違っていましたが、答えは合っていました。数学は面白い、そう教えてくれたのは両親や兄弟、そして学校の先生や友達でした。その魅力は1つの解答に辿り着いた時にのみ感じる事ができる感動と充実感です。またいつか数学を復習して、大学への数学の学コンに応募できたらいいなと思っています。


あやおと くねが ひとおすは つかまつたひと

2023-04-13 12:46:36 | Weblog
これ、何かの呪文のようでしょ、

これを覚えてからもう30年以上になりますが、今も私の記憶の中に刻まれています。医学生の6年の時に甥が生まれました。赤ちゃんの成長には標準的な順番があります。私は幸運にも小児科で覚えた成長過程を、甥を見ながら実際に勉強させてもらいました。モロー反射、バビンスキー反射、把握反射などの原始反射についても、実際に見る事ができてとても参考になった事を覚えています。

実はこの呪文、学生時代に使っていた小児科の参考書(確かSTEP)に載っていた、赤ちゃんが1才になるまでの成長過程の暗記法(語呂合わせ)です。


生後2か月(あやすと笑う)3か月(音に反応する)4カ月(くびが座る)5か月(寝返りをする)6か月(人見知りする)7カ月(お座りする)8カ月(はいはいする)9カ月(つかまり立ちする)10カ月(つたい歩きする)12カ月(ひとり立ちする)


この呪文をネット検索するとかなりヒットする事から、現在も暗記法として使われているようです。

なぜか自分の子供に対しては、この順を意識した事はありませんでした。我が子の成長を見つつ、次々と新しい事ができるようになる様子を見ながら日々感動していたからかもしれません。



ファイヤー オン

2023-03-05 21:59:58 | Weblog

 マジンガーZの次の世代の私にとって、ロボットアニメの思い出が一番強いのがこのグレートマジンガーです。
 小学生の頃に買ってもらったグレードマジンガーの超合金をなぜか今も大切に持っています。


 共に、さまざまな思い出が詰まった超合金です。グレートマジンガーは私にとって、永遠のヒーローです。

 な