先日北陸へ学会出張した時に、金沢にいる息子が車で富山まで連れていってくれました。その時にお昼ごはんに寄ったお店が、もつ煮込みうどんで有名な「糸庄」でした。
着いた時には店内はすでに満席で、たくさんの人が待合エリアで待っていました。券売機で券を買ってしばらく待ちました。糸庄は富山でも有名な鍋焼きうどん店で、以前バナナマンの番組の取材を受けてからさらに来店者が多くなったそうです。
席について待っていると、熱々の鍋焼きうどんが運ばれてきました。
どうですか、とにかく湯気の出方がすごいのです!そして出汁はグツグツと煮立っています。
七味をかけて いざ実食!と行きたかったのですが、猫舌の私には熱すぎました。結局少しずつ冷まして食べましたが、本当に美味しかったです。中に入っている「煮込みもつ」がこれまた絶品でした。これではリピーターが続出する事も頷けました。
お取り寄せもあるらしいので、この味わいが自宅で出せるのなら是非ネットで注文してみようと思いました。
な
『Car Tag』の記事で書いたように、アメリカ留学の思い出に持って帰ってきたナンバープレートがこちらです。真ん中がメリーランド州の州旗です。調べてみるとLicense Tagという表現が一般的のようです。
オフィスに返却する時に記念に欲しいとお願いすると1枚だけもらう事ができました。今はどうなっているのでしょう? 担当者や、もしかすると州によってはこの裏技は使えないかもしれません。現在留学中の方、これから留学する方で車を登録して利用する方は帰国時に是非一度試してみてはいかがでしょうか。
ネットで見ると、現在はプレートの背景を選べるようになっているようです。私の頃もこんなおしゃれなプレートがあったら選んでいたのに。
メリーランド州の車両関係のオフィスはMVA(Maryland Motor Vehicle Administration )にあります。私はGaithersburgにあるMVAを利用しました。運転免許取得や車両の登録などでお世話になる所です。このMVAのウエブサイトでは運転免許を取るために受けるテストの模擬練習ができるのですが、国外からのアクセス制限がかかっているのか今は使う事ができないようです。テスト問題の中には日本では考えられないようなちょっと変わったものがあって面白いです。
GaithersburgのMVAをGoogle Mapで見るとこんな感じです。実技試験をここの敷地内で受ける事になります。日本では教習所で車を用意してくれますが、なんとアメリカは誰かの車を借りて運転しないといけません。私は前任の先生の車を借りて実技試験を受けました。
助手席に試験官が乗り込んできたら、エンジンをかけて左側に見える建物の横から実技試験はスタートします。黄色の矢印の所を進み、道路を横切って右側のエリアで実技試験を受けますがここで1つ大切な事があります。それは赤印の所にあるSTOPの標識でしっかりと車を停車させないと、即不合格になってしまいます。実はアメリカではSTOP標識での一時停止は絶対的で、怠ると厳しく取り締まりを受ける事になります。赤丸の所で十分すぎる程に車を制止させる事は、あらかじめ聞いていたので私は大丈夫でした。試験の最後は縦列駐車でしたが難なくこなせて、少し怖そうな男性の試験官でしたが、なんとか合格を貰う事ができました。今でもあの時の緊張感を思い出します。
な
今から50年以上前の夏休みの事です。いつも仕事で忙しい父が休みをとって、家族で大阪の万国博覧会に行きました。とは言っても私はまだ小さかったので、当時の記憶はほとんど残っていません。断片的な思い出のほとんどは、アルバムの写真からのものです。しかし微かな記憶を辿ると、夜遅い時間に煌びやかな電飾の中を家族で歩いた事は憶えています。自分にとってこの非日常的な行動が、とても貴重で嬉しくて記憶に深く残っているようです。
実は現在も私が大切に持っている当時の万博のお土産は、万博の記念切手とバッチです。また当時父親が会場内で使っていたと思われる公式ガイドブックも置いてあります。
ところで大阪万博のシンボルと言えば、故岡本太郎さんがデザインして作られた太陽の塔ですね。
この太陽の塔は、2018年に内部のリノベーションを終えて一般公開が始まりました。当時は私も家族と一緒に塔の中に入ったようですが、全く憶えていません。しかし塔の中を見たくて、公開開始当初は予約サイトをよく見ていました。ところが人気が凄くて数か月先まで予約がいっぱいになっている状況で諦めていました。先日大阪で開かれた学会に参加した時に、ふと太陽の塔の内部見学の事を思い出しました。久しぶりにサイトを確認してみると、若干空きがあったのですぐに予約しました。そして念願の太陽の塔の内部を見学できる事になったのです。
予約時間の少し早く到着しましたが、係の方の許可を得てすぐに入場する事ができました。どうしても塔の中の写真が撮りたかったので、スマートフォン専用の透明ポーチをレンタルしました。これは塔の中でスマートフォンの落下を防止するために使うものだそうです。
太陽の塔の歴史(デザインのデッサン展示など)を見ながら進むと、その奥には地下の顔が姿を現しました。当時の様子を再現しているエリアですが、万博で使われていた本当の地下の顔(第4の顔)は今も行方不明なのだそうです。そしていよいよ塔の内部へ進みました。
そこには足元から頭上高くまで伸びる進化の木がライトアップされていました。木の根元には生命の起源が描かれ、上に向かうにつれて順に生物の進化の過程を見る事ができました。これらのディスプレイは原型に忠実に再現、もしくは修復されたのだそうです。階段を登って写真を撮りながら上に向かいます。万博が開かれた当時はエスカレーターが設置されていたそうです。
これが太陽の塔の手の部分です。グラデーションしながら変化する照明をじっと見ていると中に引き込まれそうな感覚を憶えました。万博の時は、この手の部分進み外に出て、そこから塔の周囲を囲んでいた台座のようなエリアへ進んでいました。
下りは普通の階段を降りて見学終了です。その後は近くの鉄鋼館に向かいエキスポ70パビリオンを見てきました。ここには大阪万博開催時に太陽の塔の頂部に設置されていた「黄金の顔」がそのまま展示されていました。間近で見るととても大きくて迫力がありました。
これは万博開催時の様子をペーパークラフトで再現したジオラマです。近くで見ると、とても精巧にできておりとても驚きました。製作にはかなり時間がかかったのではと思います。
帰りに鉄鋼館の受付で、このパビリオンの記念メダルを買いました。横にある機械にメダルを入れて記念に日付を刻印しました。そう言えば子供の頃は、旅行先にこのようなメダルの自販機があって親に買ってもらいました。昔はダイヤル式の刻印機で、回すたびに「ガチャン」と大きな音が鳴っていました。
さて、いよいよ来年は55年ぶりに大阪で万国博覧会が開かれます。この55年の間で世の中は大きく変わりましたね。今回の万博でも、未来に向けて想像を掻き立てるようなワクワクする展示を見学したり体験ができたりするといいですね。私は是非とも来年の万博に行ってみたいと思っています。
な
先日の出張で、久しぶりに新幹線に乗りました。子供たちが小さい頃は、喜ぶので家族旅行の時はよく利用したものです。子供たちにとって新幹線は外から見るのが楽しくて、乗り込んでしまうと普通の列車に見えたようです。でも車窓から見える流れる景色を楽しんでいました。
今回利用したのは山陽新幹線でしたが、調べてみるとこの新幹線は全国でも唯一最高速度を300キロまで出しているようです。しかし車内は比較的静かなので、F1カーのストレート級の速度を出しているとは思えないくらいです。
さて、駅で列車を待っている時に線路を見ていてある疑問がわきました。線路に継ぎ目が見当たりません。これも調べると、敷設の時は約25メートルの線路を運び込み現場で溶接して長くします。そして1本を数キロの長さにして、互いの一部分を重ねるように設置してゆきます。線路は熱で伸縮するためですね。なるほど、だからガタンゴトンをいう音が聞こえないのですね。
中学生の時に英語の参考書に、新幹線はNew Truck Lineと書いてあったので、私はずっとそう憶えていました。現在ではShinkansenでも大丈夫との事、または映画のタイトルにもありますがBullet Trainも使われるようです。
な
ルービックキューブのパズルが流行った1980年の事です。高校の友人が学校にパズルを持ってきて、みんなの目の前で見事に6面を揃えたのです。この光景は私にとって衝撃的でした。そして、さっそく自分もパズルを買って色合わせに挑戦しました。
当時は解法書やインターネットもない時代でしたから、試行錯誤しても四角いパズルは不ぞろいな色合いの単なる置物になってしまいました。しかし何とかして色をそろえたい一心で、私はその友人に揃え方を教えてもらいました。彼はこう言いました。 「3つの動かし方さえ覚えれば6面をそろえる事ができる」 そしてその3つの動きを私はノートに書き留めました。毎日練習をしていくうちに、時間はかかりますがキューブの6面をそろえる事ができるようになりました。
勉強の合間にこのキューブを回していると、なぜか心が落ち着きました。おそらく何かに集中する事で、気分をリフレッシュさせてくれていたのだと思います。
ある日、スタッフがルービックキューブを医院に持ってきてくれました。ネビュラーザーの棚に置いておくと、患者さまが興味を示してくれるようになりました。診療が終わってからキューブの色をそろえておくと、翌日それを見た患者さまが驚いてくれました。その瞬間、私は久しぶりにルービックキューブの色合わせができる事に喜びを感じる事ができました。
残念ながらそのルービックキューブは壊れてしまいましたが、せっかく患者さまが楽しんでくれるので、先日新しいキューブを買ってきました、ルービックキューブVer.3です。調べてみて気づきましたが、オリジナルとは色が異なる製品もたくさんありました。しかし、やはりルービックキューブはこの色だと思うのでメガハウスの純正品を買いました。
左側が最新のルービックキューブ、そして右側が私が高校生の時に買った初代ルービックキューブ(ツクダオリジナル製)です。40年以上経過しても右側のオリジナル製品は壊れる事なく滑らかに動きます。初代の製品づくりの完成度の高さには驚かせされます。最新のキューブは、とにかく回しやすいです。私の3つの動かし方もスムースに快速で出来ます。色をバラバラにして最新型のキューブで色合わせに挑戦してみると、いつもは20分くらいかかる所が、なんと9分30秒で完成させる事ができました。なるほど、ハードの進化も記録に貢献しているようですね。
さあ、この最新型のルービックキューブを当院のネビュラーザーの所に置いてあります。我こそはと思う方は、是非挑戦してみて下さい。ネビュラーザーが終わるまでに、6面をそろえる方はおられるでしょうか。挑戦者をお待ちしております!
な
先日NHKで放送された『Last Days 坂本龍一 最期の日々』を見ました。
まず放送を見終えて、様々な思いが頭の中で嵐のようにうごめき、私はしばらくテレビの前から離れる事ができませんでした。そして改めてこのような貴重な映像を提供して下さった遺族の方たちに心より感謝と畏敬の念を持ちました。
私が初めて担当患者さまを看取ったのは、医師になって3年目の時でした。患者さまは、放射線治療と化学療法を幾度と繰り返した後に病状が悪化して最後はICUで逝去されました。私はその時に涙を流しました。そして医学の力がいかに無力であるかを思い知らされた瞬間でもありました。今回の番組を見て、まさにその時の気持ちが数十年ぶりに沸き上がってきました。なぜこの人に、なぜこんな時に、神はこのような試練を与えなければならなかったのか、何とかできなかったのか。あの時のように、私は自分に問い続けましたが答えは見つかりませんでした。
余命を告げられてからの坂本さんの生きざまには考えさせられる事が多くありました。その考えを敢えてここには書きません。なぜなら感じ方は人それぞれ違うからです。もし自分がこの立場にあったら一体どうしただろう、何を考えるだろう、思考を巡らせても いつも深い森に迷い込んだようになって先が見えず諦めてしまいます。
命には必ず始まりと終わりがあります。だからこそ、生を受けている間は精一杯に悔いのないように生きる、それは紛れもなく重要な事だと思います。そしていつか終わりを告げる時が来たとしても、自分の事をいつまでも心にとめておいてくれる人が、1人でも多くこの世にいてくれれば何も怖い事はないと思います。坂本さんも、多くの人々の心の中で今も生き続けているはずです。
な
アメリカ留学をしていた頃から、約30年が経とうとしています。そんな事を考えていたら、留学当時ラボで研究を共に行った人たちは今どうしているのかなと思い始めました。
ラボのチーフ(ボス)だったクリスティはNIHを去った後はマディソン大学に移りましたが、現在はもう在籍されていないようです。共同研究者のスティーブはジョージタウン大学病院の耳鼻咽喉科の教授になりました。ラボで席が隣だったジュリーはアリゾナ大学に移った後、現在はユタ大学で言語学の教授になっています。また私の研究を支えてくれたトーマスは昨年マイアミ大学病院の耳鼻咽喉科の教授になりました。インドから研究に来ていたランジニは、論文の真偽性を判断する仕事に携わっています。その他にも、キンバリー(研究以外のアメリカの事をいろいろ教えてくれました)、マーシー(私の研究の被検者の調整をしてくれました、彼女のもう1つの顔はミュージカルダンサーでした)、メアリー(ラボでは最も経験が長い頼れる先輩でした)、マイク(ジョークが得意なハンサムくんですが研究には真剣でした)、ドラガナ(ロシアから来られた研究者でした)、ベティ(ラボの秘書さん、親日家でとてもやさしくしてくれました)、スザーン(クリニックでお世話になった看護士さん、カルフォルニアにいるお孫さんの話をよくしてくれました)、みんないつまでも忘れられない懐かしいメンバーたちです。
(画像はNIHのVirtual Tourから)
な
長男の誕生日にお祝いメッセージをメールで送ろうと、その文面を考えている時にある事を思い出しました。
結婚してから半年後に渡米して、そこから私のアメリカでの留学生活が始まりました。そして帰国を控えた半年前に家内のお腹に赤ちゃんがいる事が分かりました。アメリカで加入していた医療保険の会社に問い合わせると、まずは居住地区に近い産婦人科を受診するように勧められました。どのような病院だろうかと思いつつ、指定された住所に向かいました。すると、
これはgoogle map の street viewからの写真ですが、右側に写っている一見普通の家のように見える茶色の建物が私の居住地区に一番近かった産婦人科クリニックです。中に入っても、病院という感じはなく普通の一軒家という感じでした。
担当してくれたのは男性医師のシーゲル先生でした。背が高く優しそうな先生で安心したのを覚えています。当時私は家内の症状が心配でシーゲル先生にいろいろ質問をしました。しかし先生はいつも「That’s good sign.」と言うので逆に心配になったものです。その後は定期的にここのクリニックに通い、帰国してから長男は日本で元気に生まれました。
久しぶりにシーゲル先生の事を検索すると、ワシントン界隈では何度もベストドクター賞を受賞しているようでした。写真を見る限りすっかりお年をとられているようですが、その優しそうな表情は変わっていないようでした。
さて実は私の誕生日は長男と近いのですが、先日自分の誕生日に母と会った時にこう伝えました。「私を元気に産んでくれてありがとう」、母は少し驚きつつも少し照れていたように見えました。私は偶然にも自分の子供たちが生まれる瞬間に、妻に立ち会う事ができました。2人とも週末の早朝に生まれたためです。その時の大変さと感動は今も忘れません。2回とも生まれた瞬間に、両目から滝のように涙があふれました。K先生、その節は大変お世話になりました。ところで誕生日とは自身の記念日であると同時に、親にとってもとても思い出深い日でもあるのですね。自分に子供が出来てからその事を実感しました。だから自分の誕生日には、必ず親に感謝の言葉を伝えています。
先日ある患者さまが、自分はまだまだ元気なので自分の年齢の7掛けで考えているとおっしゃっていました。私もまもなく還暦を迎えますが、今の所は健康でいられるのでその方の意見に従って40才代の感覚でいたいなと思います。
な