ここらでちょっと一休み

頭の中の整理のつぶやき日記

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2022-02-24 07:15:05 | 日記
でね!母は♪息子(兄)命♪なのですよ、まぁ命がけで育ててきたのだからその気持ちはわかります、でも息子にとってはそんなに力入れられてもこまりますよね、今の世でもそんな母親います、しかし、今は豊かな時代で、母親は苦労してはいない、、、夫に構ってもらえない主婦が息子に目を向けるって感じです、それとは私の母は違うが、、、私は子供心に(10歳くらいのときから)母がお兄ちゃんお兄ちゃんと言ってたような気がする、兄は体が弱かったから学校でも乱暴な子にいじめを受けていたようだ、それが心配で母は学校へ良く様子を見に行ったそうだ(私が大人になって聞いた話)ある時兄が組み伏せられ体格のいいこに馬乗りされてる場面に出くわしたそう、母はその子の襟首を持ち引き倒したとか涙を浮かべながら話してた、自分の子が弱くて、悔しくて心配でいたたまれなかったのだろう、、、多分その強いこは遊びのつもりなのだろうが、、母の生きる支えは兄と私の成長だったのだ、好景気になる前の時代みんな貧しかった、小学校の修学旅行のお知らせを親に気の毒で見せられなかった、、私の独断で行かなかった、クラスで生活保護を受けてる家の子が参加したとてもうらやましかった、私の家は生活保護どうしてもらえないのか、、ともおもった、、、兄が高校生になりアルバイト先も自分の勤め先に来させいつも、常に、兄をまもっていた、、、そんなふうに育ててきたから母としては兄が結婚しても自分がそばにいて守っていきたいとかんがえていたのでしょうね、、、動物は一人前になると巣から母親が追い出すそう、兄も取りあえず一人前になったら自分は身を引くべきだよね、、、それを考えない、理解しない、気が付かないこれが母の不幸の始りだったのです、でも私は母の年表を作って見たら半々だっった幸せの時も半分ありだからちっとも不幸の人生だったなんてならない、そう0の地点で亡くなった、タダ残念なのは兄以上に私の世話,加護、を受けながら全て認知から、、忘れ、兄嫁と間違え私を憎んだそれがどうしても許せない(私が心が狭いのだが)、全て兄を主に考えが巡る、お婆ちゃんが死んだらこれもあれもお前にあげるからね、、、と、しょっちゅう言う、、これは私にあげたいのではなく嫁にあげたくないからだなのだ、ある時あまりはなにつくので、そんなにあげたいのなら、生きてるときあげて見たらといった、したら少々の定期預金を解約してくれた、、全く母が亡くなってからかれこれ30年くらいたつだろうか、何故許せないのか、私も120%もつくしたからその反動もあるかも、適当にいい加減にしてればいいのに、ある時歯医者がきにくわない元住んでいたところがよかった、あそこにいきたいと、、、して私は高速を使い250キロ離れたところまで何回か連れていく、今振り返ると母の我がまま横暴、、良く受け止めたな私みたいな親孝行はいないなと思う、主人もママは偉かったと褒めてくれる、、、だから母が使ていたこのショッピングカートを引きながら昔のことを母の顏をおもいうかべるのだ、まだまだ許せそうにないよ(大笑)。