東北大学柔道部-部ログ

部内での出来事を徒然なるままに

個人的最高な洗脳教典が完結してしまいました 下 (mean me doctrine)

2021年05月07日 | 日記

コロナの影響により、今のところカラオケに行けておりません。私が好きな界隈曲が最近DAMでも歌えるようになったとのことで今すぐにでも乗り込みたいのですが、お預けを食らっている状況です。おのれコロナァ!

ということで自らの慟哭を歌って紛らわそうと思います。お聴き下さい、「4分33秒」

 

初投稿です。          菊地

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 前回のあらすじ「けもフレはいいぞ」

 

 最近ウマ娘が流行っているようですね。セルランではいつも上位を独占しており、流行とは無縁の某YouTuberも手を出す盛況ぶりです。同じ会社から配信されているプリコネもなんだか押されている印象があります。おかしいですね、プリコネも割と上位の常連の筈なんですが。ちょっと前に新聞を読んだのですが、どうやらソシャゲ界隈の売り上げが急激に上昇しているようです。理由としてはコロナによる外出自粛が挙げられていました。

 

 ウマ娘の流行は競馬界にも少なくない影響を与えているようです。引退した名馬「ナイスネイチャ」への寄付金が24時間で1300万を超えたというニュースが良い例です。競馬界におけるライト層の増加により、いくらか弊害が生じている一方で、引退馬が穏やかな余生を送る助けになっている視点はとても重要に思われます。

 

 まぁそんな感じなので、ここはひとつ自分が推すウマ娘でも載せておこうかなと思います。サラブレットあおかげです。仲良くしてやってください。

 というわけで今回は漫画版けものフレンズ2(以下 けもフレ2)の魅力について貧弱な語彙力の限りを尽くし語っていきたいと思います。結局前は本編に入ることなく終わってしまったのでここで全部書き切っておきたいところですね。今までの反省を踏まえ、今回だけは2を知らない人でも分かるように書いておきました。

 

とりあえず、けものフレンズは教養なのであらすじは省略します。今部ログの構成は以下の通りです。

(1)描写といった細かい部分

(2)展開等の大きなくくり

 

 まずは登場人物を軽く紹介しておきましょう。

キュルル

主人公。外見相応の純真で感情豊かな少年。しかし時折漢らしい一面を見せる。「おうち」を探している。フレンズでもセルリアンでもない、限りなく人に近い存在。

 

サーバル

天真爛漫で好奇心旺盛、ただしおっちょこちょい。他人の心の機敏に敏感で、何かあれば真っ先に声をかけてあげられる。うまく思い出せていないが、誰かと旅をした記憶がある。

 

カラカル

面倒見のいいお母さん。「ママじゃないわ!!」(けもフレ3 セーバルぶらり旅 四話)自分たちの役目はあくまでキュルルを「おうち」に帰すことであり、自分の本心は二の次にすべきと考えていた。

 

(1)描写

 私は先輩方ほど漫画を読んではいないので詳しいことは言えませんが、漫画において表現や描写が大切なことくらいは分かります。これらは物語の色彩を豊かにし、面白さを増幅させてくれるのでしょう。話の展開が一本の直立した大木だとすれば、描写や表現はそれを彩る装飾の役割を果たす。クリスマスツリーが完成しました。日本のクリスマスは悪い文明です、粉砕しなければ(使命感)。

 ここで言いたいのはカップルへの怨嗟ではなく、けもフレ2がこの領域で優れているということです。

 

a.世界観

 けもフレ2はその世界観を如実に表す場面を所々に散りばめています。

 第一巻p7では、山から見下ろす風景と辺りのサンドスターの輝き、仲良く遊ぶフレンズたちが描かれています。

もうここだけで楽しげな雰囲気、キラキラとした印象を感じ取ることができますね。同じようなコマは他にもあります。p106の水辺で遊ぶ主人公キュルル一行、二巻p20の水族館ショーを幻視するカリフォルニアアシカとバンドウイルカの連携、p89の紙相撲等々。

 これとは裏腹のディストピア的描写も見受けられます。例えば一巻p54。キュルルの描いた絵とは大きく異なる、風化した風車と階段。二巻p6の水没した水族館。物語ではなんでもないかのように流されていますが明らかに異質な状態です。所々でゾクッとさせてくるのがいいですね。相反するこの二つの特質が互いを強調し合い、より印象深くしているように思われます。

 

b.一期要素

 けもフレ2にはアニメ版けものフレンズ(一期)の要素がいくつか見受けられます。列挙するなら

・一巻p22:便宜上の名付け。「かばんちゃんで、どーぉ?」

・p23:「食べないでくださーい!」

・p28:「さーばんなガーイドー↑!」の名残を感じたのでしょう。

・二巻p57:ナミチスイコウモリの声優はみゆはん。一期のEDを担当しています。そのためかギターを持っています。

・p63:アードウルフは一期でセルリアンに食われました。

・三巻p70:一期11話ショックの対比

・p130:重大なネタバレ

 

 まだ他にもあるかもしれませんが、まぁこんな風に小ネタを探すっていうのも中々面白いです。

 

c.表情

 けもフレ2ではキャラクターの表情が非常に細かく描かれています。

こちらは一巻p70のレッサーパンダ

彼女は友人のジャイアントパンダと自身を比較しては劣等感に苛まれていたようです。曰く、「自分には華がない」「どこでも寝られるような特技がない」(←?)とのこと。おそらく自身のアイデンティティを確立できていない状態なのでしょう。そんな自分の価値を考えた結果、彼女は「誰かの役に立つこと」を以てそれを存在意義と定めました。

 しかしその思いが強すぎたため空回りしてしまう。できないと分かっていてキュルル一行の道案内を申し出るとか、結構やらかしています。だから本当の意味で人助けができたとき、こんな表情になったわけです。

 

二巻p40のカラカル

 この物語は主人公キュルルの「おうち」探しの旅を描いたものです。話の中盤にさしかかった頃、「おうち」の手がかりを見て期待が高まる一行。「おうち」が見つかればついに旅の目的を達成する。ただ、それは同時に旅の終わりを意味します。キュルルやサーバルと共に過ごしてなんだかんだ楽しいと感じていたカラカル、彼女は期待と寂寥感の板挟みに苛まれていました。そんなときにこのシーン。

まだ旅を続けられる、二人と過ごせる、と一度は安堵するカラカルですが、ふとキュルルの方を見て呆然としました。表情に影を落とし固まるキュルルの姿。この時の彼の心情は如何ほどのものだったのか。「この子のそばで私は今何を思った?」彼女はそんなことを考えたのではないでしょうか。

 カラカルはそこから「おうち」探しにより積極的な姿勢を見せます。彼女の行動原理の転換点と言えるでしょう。その影で自分の気持ちを戒めるように拳を強く握る様は大変いじらしいです。個人的にもっと好きな場面がこれとつながってくるのですが、物語後半のやつなので書けません。感情が大きく揺らぐ様を見るのは実に心地がいいです。

 その場の状況に応じてとかではなく、こういう流れの元、こういう状況になって、感情が大きく揺れ動いたからこの表情になるというプロセスがしっかり踏まえられているので、読者側としてもキャラクターたちに深く共感し感情移入できるわけですね。

 

 

(2)展開とか

 次はより俯瞰的に物語を眺めていこうと思います。

 けもフレ2は大きく分けて9つの話で構成されています。その中で個人的にとりわけ素晴らしいと感じたのは4つ、いずれもよりメッセージ性のつよいものとか物語の核心に迫るものでした。ここまで重要な部分はネタバレしないよう細心の注意を払ってきましたが、魅力を伝えるにあたって流石に一つくらいは小出しするべきでしょう。ということでここではけもフレ2の傑作のひとつ6,7話を時系列に沿って解説していきます。

 なお、以降は客観的視点を超えて純度100%の個人的解釈を含めた記述となります。おそらく共感性羞恥とフワフワした解釈で頭が爆ぜると思うので気をつけてください。

 

 

 では序盤から。この時点でかなりシリアスな場面が入ります。「c.表情」のカラカルです。

再掲

思考をかき消すように、「おうち」の再検索を求めるカラカル。どこかうしろめたさをにじませているように思えます。

 手がかりのスケッチブックですが、これはキュルルが初期から持っていた物で、パーク内の風景が描かれています。一行はこの絵を頼りに「おうち」探しをしていました。

 

 途中アードウルフに出会います。彼女は、物件案内が得意だというアリツカゲラの紹介で自分の新しい巣を探しているとのこと。巣に造詣の深いフレンズであればなにか有力な手がかりを知っているのではないか。一行は「おうち」探しの傍ら、アードウルフの巣探しについて行くことにしました。

 巣選びにおける彼女の判断基準はセキュリティの高さにあります。そのためならALSOKからスズメバチを派遣することも厭いませんし、なんなら滝裏の崖でも構わないという徹底ぶり。正直言って異常です。流石にカラカルも問いかけずにはいられませんでした。

言葉が詰まるアードウルフ。答えづらい理由なのかと一瞬思いますが、そうでもなさそうです。エクステンションマークが出ている所を見るに、「過剰なまでの心配性が何かに根付いたものである可能性を自覚」し、「しかしてそれが何なのか分からず答えに窮する」といった解釈が妥当ではないかと思います。「いえ・・・あの・・・私は・・・」自身には何も無かったはずだがそう断言するにはなんとも歯切れが悪い、でしょうか。

 

 その後も物件探しを続けますが途中雨降って場面が変わりました。ここでアードウルフの掘り下げが始まります。

 「そういえば」キュルルが思い出す。怖がりが種によるものでなかったらいわばトラウマみたいな事が彼女の身に起こったはずです。今度はその代表として有名なセルリアンの話題が挙がります。セルリアンに食われたフレンズは「思い出」を奪われるというのです。

 なおアードウルフはそんな目にはあってないと否定しますが、彼女は一期でセルリアンに食われており、他のフレンズとの会話から考えるに、その事実すら「思い出」として奪われている可能性があります。

 

彼女の無意識下の気持ちが言語化された所。

今まで積み重ねてきたものをなくさないよう、フレンズとの交流で得てきた「かがやき」を奪われないよう、彼女は安全を追い求めてきたのです。思い出を失った虚無感が漠然とした不安感となって彼女にまとわりつく。何か拠り所が欲しい、安心させる何かを。こうして彼女のあの性格が形成されたのでしょうか。

 失いたくない、しかし現実は非情です。フレンズにも寿命があるので、セルリアンに食われずともいつかは思い出が失われます。アードウルフの行動はある見方では逃避でしかありません。いずれ向き合うことになります。なんとも悲しく報われない話しです。

 暗く陰鬱な空間。誰もが無言になり、辺りは静かになります。まだ雨は止みません。キュルルは子供ながらに、いえ、子供だからこそ周囲の空気が変化したことを敏感に感じ取ります。「ぼくがなんとかしないと」、いつものように絵を描くことで場を変えようと考えました。今まではそうやってみんなを笑顔にしてきた、だから。

 

 しかし、事情が違った。

彼女の「色んな思い出も全て消えてしまう」という悲観的考えが脳によぎる。それなら今日の思い出も、この絵も意味が無いのではないか、そう思ってしまったのです。

 雨はまだ止みません。濡れた体も乾いてきたころでしょうか。キュルルは少し昔のことを、まだ文明が存在していた遙か昔のことを思い出します。雨の日、一人寂しい時はパズルで遊んでいた。そうすると自分が絵の世界にいるような気がして不思議と寂しい気持ちが消える。ふと彼は問いかけました、「アードウルフさんも・・・やってみる?」

 

このパズルのように、記憶だってきっと元に戻せる。この場所が、この絵が拠り所となってまた思い出せる。今まで時を積み重ねてきた友達も覚えていてくれる。そこに生まれた光はまさしく「かがやき」でした。

 

 「かがやき」はけもフレシリーズを横断する重要なテーマです。

 例えばネクソン版のラスボスの目的は「かがやきの永久保存」でした。本来セルリアンがもつ「かがやきの捕食」という特性が変化したものであり、それを防ごうと主人公とフレンズたちが死闘に身を投じました。

 けものフレンズ1期は「かがやき」そのものでした。さばんなトリオの織りなす物語はキラキラしていて、それは、少なくとも私にとって未だセピア色に染まらないものです。

 けものフレンズ3は取り戻す物語です。「かがやき」を奪われては取り戻す。奪われても作り直す。そして必死に抗って、潰されて、また大切なものを奪われる。5章の感動も、8章の絶望も、見ていて、あぁフレンズは生きているな、「かがやいて」いるなぁ、と嘆息するわけです。

 

 当然けもフレ2も例外ではありません。それをよく表したもの、二巻p142の歌を引っ張ってきました。

「あなたは忘れてしまうでしょう

 

ともに過ごした日々と私のことを

 

私は忘れない

 

あなたの声 温もり 笑顔・・・その優しく純粋な心―

 

どれほどの時が経っても・・・

 

あなたが全てを忘れてしまっても・・・

 

私は決して忘れない

 

本当にありがとう

 

いつかまたきっと私たちは出会えるから・・・

 

今はさよなら― 」

 

ネクソン版のプロローグにもあったのですが、この場面で聞くとどうにもあの二人のことを歌っているようにしか聞こえませんでした。「かがやき」も「思い出」もいつかは忘れてしまう。でも今まで時を積み重ねてきた友達がそれを覚えていてくれる。そしてまた再会を果たせるのです。この世界だからこそ起こせる奇跡でしょう。

 

話を戻して、今度はカラカルとキュルルに焦点が当てられます。拠り所を見つけたアードウルフはパズルを譲ってくれないかとキュルルに尋ねました。快諾するキュルル、直後、はじかれたように顔を上げ二人に視線を向けます。

これだけでは二人の心情が分かりませんので一旦先に進みます。

 

サーバルとカラカルが二人きりになったとき、サーバルが聞いてきます。「カラカルの方もお悩み解決?」「・・・わからない」

 サーバルはかつてかばんとの旅を経験しました。元はかばんを図書館まで連れて行くのが目的でしたが、結局物語が終わっても二人は変わらず一緒。目的のためでなくただ共に在りたいと願ったわけです。ここで前の場面に戻ります。アードウルフを笑顔にできたキュルル。やりたいことをやってできた、その感動に震えながら二人を見る。その時カラカル「そうか、これだ」と気づく。私だってやりたいことやっていいんじゃないか、三人でもっと旅したいと願ってもいいんじゃないか。そう思ったのではないでしょうか。だからサーバルと話したとき彼女も「わか」ったのでしょう。

 ここはかなり解釈の分かれるところですが、私はそう思いました。

 

 さて、それではいい感じに書き切れたのでここで終わりにしたいと思います。いやぁ自分の好きな物書くの楽しいですね。またやろう。

 

 最後に分かる人には分かる場面を載っけて爪痕でも残そうと思います。二巻p111より

 

蛇足

 最近けものフレンズからケープペンギンとフンボルトペンギンがVTuberデビューしました。けもフレ要素抜きにしても普通に面白いです。

 

 ということで次の投稿はVTuberに対し肯定的だと噂される小金丸さんです。よろしくお願いします。

 

いつもの曲紹介


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