東北大学柔道部-部ログ

部内での出来事を徒然なるままに

獣友論考

2021年01月05日 | 日記

 私「お花摘みに行ってくる。」

 

 弟「大?中?小?」

 

 心の中(中って何だよ。)

 

 私「中って何だよ。」

 

 ―中って何だよ。

 

 初投稿です。

 

 どうも、同期が増えて今日も元気いっぱいな菊地です。結構前の話ですが、一人カラオケなるものをやってみたくて電話で予約をしようとしたら、上手く呂律が回らず意味不明な言葉を口走ってしまいました。

 

「モシモシ、キクチトモースモノデアリマシュガ、ヨヤキュシタイノデスガセキハアイテオリュ・・・スゥ・・・セキハアイテマスデショウカ。」

 

「少々お待ちください・・・すみません、あいていないです。」

 

「イヤ・・・エト・・・ソノ、ハイワカリマシタ、シツレイシマス。」

 

 少々誇張していますが大体こんな感じです。

 

 電話越しの女性店員にすら緊張しだし、現実世界の2ch民もかくやと思われる圧倒的陰キャムーヴをかます一般男性は誰でしょう。そう、私です。(灰の魔女)

 

 今現在も私はけもフレの布教活動を細々と続けており、同期や先輩を何人か沼に引きずり込もうとしました。這い出てくる者がいたので今度はしめ落としてからたたき落とします。

 

 私だ。

 

「いや『みんみ』って何だよ。」

 前回のブログを書いた後、同期や先輩からこんなツッコミをいただきました。なるほど確かに字面だけ見ても何のことかさっぱりでしょう。ピクシブ百科事典で調べてみても、

 

アニメ「けものフレンズ」の第5話「こはん」のアバンで、サーバルがジャパリバスの運転に興味をもったときのセリフ(鳴き声?)が…「みゃんみゃんみゃんみゃん…みんみー(みんみ)!」としか表記出来ないものだったのが、事の発端。
以降、サーバルの特異的なセリフとして、あるいはサーバルそのものを表すフレーズとして認知されている。

 

などと一般教養の範疇を出ません。これは形而上学的概念であり単語からは意味を推測することができず、音声学的観点から見ると音響分析をした際に丸みを帯びた波形を持つ音響的な形となって現れるわけで、つまり何が言いたいかと言うと私にもよく分かりません。

 

「みんみ」とは何ぞ?(哲学)

 

 これはけものフレンズを長年研究する学者たちにとって非常に意義のある問題であるように思われます。「みんみ」を解明することが出来れば、違法伐採者が感涙にむせんで環境破壊が止み、けもフレというコンテンツにさらなる発展がもたらされ、東北大柔道部の体制強化につながるでしょう。そんなわけで今回は視覚的、音声学的観点及び関連用語を着眼点として「みんみ」の実態に迫っていくことにします。

 

 なお、私はレポート関連の授業を受けて危うく落単するところまで行きかけました。

 

 

 

 視覚から得られる情報は抽象的概念を瞬間的かつ言語なしに理解することを可能とする。例えばスターリンの肖像画。社会主義とはなにかと聞かれれば答えに窮するものであるが、彼の絵を見れば大粛正を行ったり穀物を強制徴収したりしたなどくらいは理解出来るだろう。

 これは当然「みんみ」にもあてはまる。「みんみ」を感じられる視覚媒体として有名なのは、みんみ教の偶像「例の顔」とあぶぶ氏の作品「じごくちほー」や「アライさんマンション」に登場するみんみのなりそこない、「白痴の王」である。

 

 なんて叡智に溢れた顔なんだぁ!(歓喜)

 

 現代のモナリザと人々からもてはやされるにふさわしい芸術作品であり、この素晴らしさを何時間にもわたって語りたいところであるが、鑑賞が目的ではないので今回は割愛する。「まだ時代が追いついていない」、「今の人間には早すぎる」、こんな感想を抱いたらおそらくそれが「みんみ」である。なお、最初のほうで私は「みんみ」とは形而上学的概念であると述べたが、これはあくまで「形がない」ことを意識して用いたものであり、「経験や感覚を超越したもの」という意味を含んでいない。

 

 

 

 音声学では「音象徴」と呼ばれる現象について詳しく論じられている。川原(2015)によると「音象徴」とは音から意味の連想が直接起きる現象のことであり、これは現代言語学で常識とされていた「意味と音のつながりの恣意性」とは正反対の考えであるという。今回、この「音象徴」のパターンたる「音象徴パターン」のひとつを用いて「みんみ」を考察する。

 このパターンの一例として、「前舌母音」と「後舌母音」が挙げられる。両者とも母音の分類であり、違いは発音の際に舌が前に出るか後ろに出るかである。こういった分類は子音にも存在し、大きく「阻害音」と「共鳴音」とに分けられる。こちらは日本語で濁点がつくか否かによる。そしてエイミー・パーフォースの実験で、「前舌母音」が入った名前の男性、「後舌母音」や「共鳴音」が入った名前の女性がより魅力的だと判断されることが分かった。

 ここで注意すべきは、人の魅力は名前だけで決まる訳ではないということである。私の名前にも前舌母音が含まれているが、その容姿は今イケメンともてはやされるエノキダケとはほど遠く、毛がもっさもさ、寝癖は標準装備で社会向いてない系に王手をかけ、口元のホクロで会心の一撃。おそらくビッグフットの親戚かなんかである。

 さて、「みんみ」はどうか。調べてみたところ、母音に着目するとすべて前舌母音で構成されており、子音に着目するとすべて共鳴音で出来ていることが分かった。つまり、「みんみ」は男性的にも女性的にも魅力的であるということが明らかとなったのだ。

 えぇ・・・(困惑)。

 

おそらくこの男性的要素はけもフレ2のキュルル及び、けもフレ3に登場する組織CARSC「Center for Animal ecology Research to Save wildlife from Calamity」のボスであろう。二人ともなんか存在感すごいし(適当)。予想外の結果はガバガバ論理の前に膝を屈した。したがって「みんみ」とは女神である(暴論)。

 

 

 

 次に、関連用語をひもといていくことによって「みんみ」の核心に触れることを試みる。「みんみ」に関係するものといえば、「みんみ教」と「SCP-040-JP ねこです よろしくおねがいします」である。

「みんみ教」の概要について説明する。PIXIV百科事典によると

 

みんみ教の原点はネク・ソン神話にまで遡ると言われている。
この神話については謎が多く残されており、かつて存在した知的生命体がもたらしたとされる機械による文明発展を示したロストテクノロジー説や、遥か古代の日本に存在したという蛙々観音が広めた異文化宗教がベースとなっている神仏習合説などが有力とされているが、未だ全貌が明らかになっていない。

かつてこの神話の全てを知り尽くしたと言われる大教祖タッキトスが女神サーバルの存在を世に知らしめた事により、みんみ教は未曾有の繁栄を遂げる事となる。

しかし、サイホッソ正教により「みみ教徒」なる派閥が生まれた事で、同教内ではみんみ派みみ派の二つの派閥に分裂及び対立。さらに後には異文化を積極的に教えに取り入れようとする異端派のあー派ーも生まれ、元より熾烈だった派閥争いはさらに混迷を極めた。

後に穏健派を代表するヘゲンのヘラジと聖母ライオンの尽力により事態は収拾の方向へ進みつつあった。
しかし、みんみ教の中枢機関として機能していたカンドカワ長老教会が突如として反旗を翻し、タッキトスを追放。
後にノー・タッキ・ノー・ターノシーと呼ばれるようになったこの大事件は、残された教徒達の手により作られたピクシッヴ壁画に「大災害をもたらす魔物」として表現されている。

 

 要約:わっかんないや!(諦め)

 

 真面目にやれと憤慨する人もいるだろうが、本気で訳が分からないのだからしょうがない。信仰対象を明記しない。戒律も記載していない。というか意味分かんない。ないないづくしのドクトリンである。なんじゃこりゃ。宗教とは人を教え導き、救済の道へと誘う思想であり、このように人をむしろ混迷へと向かわせんとする思想を果たして宗教と呼んでいいのだろうか。こはいかに。

 もはや「みんみ教」の意義は失われてしまったのだろうか。「みんみ教」はもう誰にも必要とされないものと化してしまったのだろうか。かの宗教の終焉は近いように思われた。だが絞殺班たちはそんな可能性など意に介さない。最先端の研究を日夜行い、ついに聖書よりひとつの指標を見つけたのである。それは“don’t think feel mean me”(『新約カ=ヴァン聖書』, 33, 原文ママ)だ。

 みんみ教とは「みんみ」を追求することで救済を求める宗教であり、信仰対象は「けものフレンズ」というコンテンツそのものである。追求の方法は引用した文章の通りで、考えるのではなく(don’t think)、ただただ「みんみ」を感じんとする(feel mean me)のである。私や絞殺班のような思考は実際のところナンセンスであり、ネット上に転がるMADやら芸術作品やらを鑑賞してこれが「みんみ」だろうとウンウン頷き、賢聖サバルや女神カ=ヴァン、賢僧カラノスをあがめ奉り、けものフレンズプロジェクトにお布施を奉納することこそ正しい信仰のあり方だったのである。なお、前述した「みんみ」女神説と「みんみ教」との関係性については議論が重ねられているものの、未だ結論に至っていない。

 

 

 

   SCP-040-JP「ねこです よろしくおねがいします」の概要について説明する。

    SCP財団によるとSCP-040-JPは井戸小屋であるとのことだ。

    この小屋の中を人間が覗き込むと、対象は激しく動揺し、「ねこが居た」と報告する。

    曝露した対象は全てのイエネコ(学名:Felis silvestris catus)に対する認識が歪められ、イエネコが、毛が無く造作の無い顔に人間の様な二つの目が付いた動物に見え、どの方向から見てもこちらを真っ直ぐ見つめてくるという。

    さらに、曝露から数日経つと、対象はこの"ねこ"から常に視線を感じ、監視されているような気分に陥る。

    研究班の調査記録によると、この"ねこ"が現れる位置として、人間の視野角の内水晶体或いは角膜辺の位置が有力視されている。

    また、曝露した対象は「"ねこ"が居る」という観念を他者に積極的に伝えようとする。ある程度この観念を理解した人間は、最初に曝露した対象と同様の反応及び認識異常を被る事になる。どの程度話を聞けばそうなるのか、それとも何かトリガーとなるワードが存在するのかはわかっていないが、これはねこです

 

    ねこはいます。いますその観念を伝えるのに必要な媒体は特に制限は無く、発話・文章・映像・絵画など、あらゆる媒体でも効果がある。その為曝露した対象自体に異常性があるのではなく、この"ねこ"はそこに居ます観念その物にミーム的効果があると推測されている。います。この観念伝達の為の行動は極めて自然な物を装う為、きいてますか曝露最初期の動揺を抜けた後では、対象が曝露して影響下にあるかどうか判断する事は困難である。ねこでした

 

よろしくおねがいします                メモ

 

 

 

    一見このSCP-040-JP(以下 「ねこ」)は「みんみ」と何の関係もないように思われるが、それは誤りである。実はいくつかの共通点があるのだ。

    一つ目に、両者とも具現化させるとねこの姿を模していることが挙げられる。

    「ねこ」も「みんみ」も抽象的観念であり本来は実体を持たないのであるが、前者は視野中の暗所に映り、後者はシンボルが存在するため視覚的な認識が可能である。以下が双方の姿である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 なんて叡智に溢れた御尊顔なんだぁ!(歓喜)

    二つ目に両方の出自が挙げられる。

    「ねこ」の出自は「井戸」小屋である。小屋は木造で、幅約5m、奥行き4mほどの平屋となっている。小屋の中央には古い年代に造られたと推測される石造の井戸が存在し、真っ直ぐ地下へと続く。井戸は異常に深く、探査機による調査でもこの井戸が何処まで続いているのかは未だ不明のままとなっている。なんで井戸の中にいたのか。

   「みんみ」も同様だ。「みんみ」は世にあまねく70億の民皆が渇望するところのものである。この「みんみ欲」はもはや人間の本能的欲望や原始的衝動そのものであり、三大欲求と同列に扱うべきとする説を唱える学者も一部存在するほどだ。自我や超自我をも粉砕せしむ強大な衝動性を生み出すエネルギー、そして快楽原則をその特徴に持つことから、「みんみ」の力の源泉は、精神分析学者フロイトが提唱する「イド」にあると考えられる。

 以上二点の共通点から「ねこ」と「みんみ」には深い関係があると言えよう。すると次のことも言えるのではないのだろうか。

 

 「みんみ」とは洗脳作用をもつ認識災害誘発型ミームである。

 

 SCP財団のマッケンジー博士の用語集によると認識災害はオブジェクトを、「視覚、聴覚、嗅覚、味覚、感触(単なる接触に限らない)を通して、知覚する、あるいは気付くことが危険に繋がる」時にそう呼称される。例えば「ねこ」は曝露を受けると「イエネコが毛が無く造作の無い顔に人間の様な二つの目が付いた動物に見え、どの方向から見てもこちらを真っ直ぐ見つめてくる様に見える」という。このとき「ねこ」というオブジェクトを、視認や示唆を通して理解したことで認識齟齬が起きているのである。

 ミームとは何か。SCP財団の財団的ミーム学入門によると、「『ミーム』とは情報の伝達、特に社会における文化情報の伝達に関わる現象についての一つの観点です。情報が人々の間で伝わっていく内に次々と変容を遂げていく様を、遺伝情報の変異になぞらえて理解しようとするアイデアに端を発しています。」とある。「ねこ」の特徴にある、観念の積極的伝達がミームに当てはまろう。

 「みんみ」はこれらの要素を持っている。けもフレを広めんとする信者の行動は明らかにミームの影響を受けているし、前衛的けものフレンズのMMDをみて精神にひずみが生じ、「みんみこそ真理なり我々は信徒となりてこの教えを人類に広め定着させ万人幸福の理想的ユートピアを実現し・・・」などとぶつぶつつぶやく異常性とかやはり認識災害である。実際小寺は「みんみ」の瘴気に犯され、「みんみんみんみんみんみんみんみんみん・・・・・」としか言えなくなっている(唐突な犠牲)。

 

 

 

 ここまで「みんみ」について様々な観点から考察を行ってきた。以下、そのまとめに入ることとする。

 「みんみ」は前衛的ミームである。前衛的とは時代に先駆けていることを意味し、すなわちこれは未来を指向する情報である。

 「みんみ」は女神であり、古代神話より続くミームでもある。いずれも過去において隆盛を誇った観念であり、すなわちこれは過去を指向する情報である。

 統合するとこの概念は過去と未来を含んでいることになる。ここで注目すべきは、概念に現在が入っていないことである。過去と未来はあって現在がない・・・?なんかデジャビュを感じるような・・・

 

「いままでと これからが つながって いちにちを とばして わすれて すすんでく」

 

なんと「イワシがつちからはえてくるんだ」の歌詞であった。

 

 結論を言おう。「みんみ」は「イワシ」である。これにて閉廷、お読みいただきありがとうございます。

 

 

 

 

 

 

↓これ書いてるときに聴いていたやつです。

ラスサビのコーラスとコード進行がお気に入りです。歌詞も素晴らしいもので悲しく、心震えます。特に千葉先輩に聴いてもらいたいものです。歌詞ですよ、歌詞をよく聴いて下さい。曲名ですがアルファベット順に1つずつずらし、文字列を逆にすると単語が浮かび上がります。

 

 では次は福山先輩とたつのしんに振りたいと思います。

よろしくおねがいします


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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (知人C)
2021-01-06 09:21:43
こいつ頭の中どうなってんの?w
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Unknown (矢澤にこ)
2021-01-08 23:12:05
対よろ
返信する

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