こんにちは、バイト先の先輩がコミュ力モンスターで自分のコミュ力などまだまだだと感じた、菅原優人です。これからはバイト先の先輩のことを師匠と呼ぼうと思います。Call me sugayû!!
僕のコミュ力全盛期は高校3年生の時でしたが、受験期にコミュ力がだいぶ落ちてしまい、この一年でなんとか元に戻ったと思っていました。しかし、僕もまだまだのようです。日々精進。
シンに元気かと心配されてしまいましたが、僕は安定感が売りの人間なので変わらず元気です!練習かトレーニングか課題で疲れているか、疲れていないかくらいです。
愛こそはすべて The Beatlesより。
今日は最近思うことがあったのでそれについて書こうと思います。愛こそはすべて。ちなみに僕は博愛主義です。みんな愛しています。所々尖ってはいるけど…。
1. 愛のあるやつは強い、好きこそ物の上手なれ
愛のある奴には勝てないというのは、20年ちょい生きてきた僕でも実感しつつあります。
数学と物理をこよなく愛していた高校時代の友人は成績優秀でしたし、愛しているものを愛し続けるということ自体がスキルアップにつながります。
それは例えば、先日見事勝利した、青木真也選手。
彼の格闘技のロジックというのはアマの僕でも、刺激を受けますし、彼のファイトは僕の中の強さの象徴であります。相手に何もさせずに、コントロールし続けて、参ったをとる。
これほどに美しく、かつ強いものはなく、格闘技たるものシーソーゲームや喧嘩とは違って相手を制圧するものであるという認識で僕は育ちました。それを体現しているのが青木真也選手なのであります。
Eduard Folayang vs. Shinya Aoki III | ONE Championship Full Fight
↑先日の試合。このコントロールとコンボが巧みです。初めはムエタイを彷彿とさせる構えで近づきます。途中フォラヤンが得意のボディストレートからの左フックを合わせてきますが、なんとか凌ぎ、相手のジャブを封じて、自分の左側に出てきたところに左ミドルを合わせる。左ミドルのフェイントからタックルへ。左ミドルに合わせてフォラヤンが右腕でガードさせたのが、布石になるわけですね。フォラヤンはテイクダウンディフェンスが非常に上手なので、一度切られてしまいますが、(なんなら双差しで結構まずい)しっかり小手を巻いて、相手の手首を持ち、引き込み(飛びつき三角)のフェイントを入れ、重心が後ろに寄ったところを小外刈りへつなげました。そこから綺麗に腰切りパスガードをし、ファンタスティックロックで足を束ねます。そこからパウンドを入れながら上に上がっていき、肩固めとバックテイクを伺いますが、前回肩固めで敗れているフォラヤンは腕を挙げさせません。そこからマウントを取り、肘を落として、削って削って、腕が伸びてきたところを腕十字で捉えました。非常にお見事ですし、鮮やかで技術で戦っている感じが出ていて僕好みです。
青木真也 vs マーカス・アウレリオ
ちなみにファンタスティックロックと言ったらマーカスアウレリオ戦。五味隆典をマーカスが肩固めでタップを奪った時は衝撃的でしたが、この試合もかなり衝撃的でした。こんなにも完封するかとビックリしたくらいです。
(ちなみに昨日5/9は青木選手の誕生日です。この写真は前回に引き続き、2019年3月31日のもの。「「35歳になって好きなことやって、家庭壊してひとりぼっちで羨ましいだろ? 俺はこうやってな、明日もコツコツ生きていくんだよ!」のマイクで有名なFolayang vs. Aoki Ⅱでございます。この時の思い出で僕の暗黒期は乗り切ることができました。)
そんな青木真也選手は格闘技を心から愛しています。彼の格闘技に関する知識は業界随一で、あらゆる格闘技のルールに精通しています。格闘技には何よりも深い愛があって、自分の表現をとにかく大事にしている選手です。
彼は格闘技を何よりも愛しているからこそ、キツい練習もこなし、競技者として強くなれているのだと思います。愛しているから一日中格闘技のことを考えられるし、愛しているから全てのことを格闘技に向けるマインドセットができるのだと思います。
自分の愛しているものに情熱を注ぐというのは人間の営みで、それが仮に自分の職業や競技であったのであれば、非常に勝負や競争では強いですよね。
今回の青木選手のテーマであった「好きなことで、生きている。」これはこのことを言っているのだと思います。当然、好きなもので生きる上でたくさんの苦労があることは言うまでもありません。結局、自分の愛でお金を稼いで、マンマが食えなければどうにもならんのです。そんな好きなことで生きるってこういうことや、と見せつけられた感じがしましたね。
僕も日々コツコツ頑張って、自分の好きなことをなるべく続けようと思います。愛のある奴は強いと信じています。
2.挫折を知らないのか、愛がないのか、想像力がないのか。
最近はSNSで暴言などがよく目立ちますし、すぐ燃えるようになってきました。どんな空間であっても自分とは合わない人間の一人や二人はいると思いますが、それを口実にその人に対して嫌がらせをしていいかは全くお門違いです。
どん底を経験したことない人は、他人に真の意味で優しくはできないだろうし、どん底に落ちている人に対しては気遣いができないものです。身近な人のどん底を見たりとか、本を読んだりとかでは疑似体験をして真の優しさに近づくことができますけどね。
僕も将来、医療従事者になる者として、さまざまなどん底にいる状況にいる人たちに何と声を掛けるかということは常日頃考えることではあります。(看護師はコミュニケーション能力とっっても大事なんですねえ。気遣いのできる人間ってすごいです。)
自分の発言とか行動で相手がどのように思うか、想像力が欠けている人が多いように感じます。その発言で誰かを潰しかねないということを理解していくべきですね。プロレスがまるでわかってない。
それは例えば、池江璃花子選手の話。僕はかつて水泳選手であった時期がありまして、池江さんと同い歳なのであります。彼女は同世代のスター。白血病から復帰し、愛してやまない水泳で再度結果を残したという、アスリートとして完璧です。
そんな池江さんがSNSにてこんな発言をしていました。一部抜粋。
いつも応援ありがとうございます。
Instagramのダイレクトメッセージ、Twitterのリプライに「辞退してほしい」「反対に声をあげてほしい」などのコメントが寄せられている事を知りました。もちろん、私たちアスリートはオリンピックに出るため、ずっと頑張ってきました。ですが、今このコロナ禍でオリンピックの中止を求める声が多いことは仕方なく、当然の事だと思っています。私も、他の選手もきっとオリンピックがあってもなくても、決まったことは受け入れ、やるならもちろん全力で、ないなら次に向けて、頑張るだけだと思っています。(中略)私に反対の声を求めても、私は何も変えることができません。ただ今やるべき事を全うし、応援していただいてる方達の期待に応えたい一心で日々の練習をしています。オリンピックについて、良いメッセージもあれば、正直、今日は非常に心を痛めたメッセージもありました。この暗い世の中をいち早く変えたい、そんな気持ちは皆さんと同じように強く持っています。ですが、それを選手個人に当てるのはとても苦しいです。
と言った具合に、競技者としてこれからという時期に白血病というどん底に落ちたところから気張って、頑張ってなんとか辿り着いたこのタイミングに「オリンピックを辞退しろ」と池江さんに声をぶつけるというのはあまりに想像力がないと感じました。
コロナでみんなイライラして、世の中のイラつきは感じざるを得ません。しかし、今こそ、人間の愛情とか同情とか、想像力と気配りでしょう。真に挫折を知らないからそんな生き血の通ってないような発言ができるのか。他人の挫折に感情移入すらできないのかと少し残念な気持ちになってしまいました。自分も気遣いのできる人間になろうとより思いました。
それと池江選手はコロナとか関係なく、競技者としてオリンピックを目標に、水泳を生業としてきたのだからそんな声は無視して頑張ってほしいですね。現段階でオリンピックを開催します、となっているのであればそこに照準を絞って出場に向かって準備を進めるのは当然だと僕は思います。
3.一度のミスでは人生は詰まない、死んだらおしまい。
芸能人の不倫は今や一回でもバレると仕事が一気になくなり、挙句干されてしまうなんていうのはザラです。でもなんか僕はつまらない気がしています。人間誰でもミスするのに、そんな一つのミスで人生詰むなんて少し辛いですよね。
僕は過去にそれなりに人間としてミスを犯してきましたが、それなりに謝ってそれなり上手くやってきたつもりです。(僕に恨みのある方がいれば、重ねてお詫びいたします。)
当然、本人が自分でやらかしてしまったことをうまく転がして、向上するために頑張らなければないことは確かなのですが、一回のミスを許さない周りや一回のミスをうまく転がせない人が多いのもなんだか悲しくなってしまいます。
時には何かやらかしてしまって、この状況をどう打破するかを思考することよりも先に、死んでしまいたいとか、死にたいとかという思想に陥ってしまう人もいますよね。
十代後半から二十代にかけて死因の上位には自殺があります。そんなに簡単に死ぬなよと思うわけです。死んだらおしまい。一度のミスで死ぬのは勿体ない。人生生きてみないとわからないことだらけです。
苦しかったら、勇気ある撤退も必要ですし、現実逃避をしても構いませんし、誰かを頼ってもいいのです。でも一人で抱え込んで命を粗末にするっていうのはいくらなんでも勿体無いです。
死ぬ前にできることや現状を打破する手段はたくさん残されているのに、それらが見えなくなってしまって死ぬというのは勿体無いです。
最近、僕が丁度浪人の時に読んでいた坂口安吾の堕落論を読み直しているのですが、堕落論の堕落論という章の中に
「人間は堕落する。義士も聖女も堕落する。それを防ぐことはできないし、防ぐことによって人を救うことはできない。人間は生き、人間は堕ちる。そのこと以外の中に人間を救う便利な近道はない。」
という文があります。人間は堕ちるものあって、それを受け入れて、転がして生きていくしかないのです。辛くても死ぬことはないし、視野が狭くなっているだけだと僕は思います。(当然、辛いことが長く続く時間は地獄です。毎日死んだ方がいいのか、いやでも死ぬのは怖いけど、どうしようもないと思い続ける時間は苦痛極まりないと思います。)
辛いことがあったら、逃げ出しても良いのです。人や行政や福祉に頼っても良いから死ぬことはないのです。
4月の終わりに、試合も見たことがある帯谷信弘選手が一家心中をして死んでしまったのです。五味隆典選手の弟子として有名な選手でした。五味選手のセコンドについていて僕も生で見たことがありました。
-元DEEP王者・帯谷信弘が4人家族で無理心中-

元DEEP王者・帯谷信弘が4人家族で無理心中!
ショックな訃報が飛び込んできた。22日未明、横浜市青葉区恩田町にあるコンビニ・ローソンLTFあかね台入口店の駐車場で、ワゴン車の中から土志...
週刊ファイト
何があって、一家心中という選択をしたのか。僕にとってこのニュースはとても心が苦しくなるものでした。
死んだらおしまいという話なんです。国が、地方自治体が、周りの人たちが、何かできることはなかったのかと考えてしまいます。
堕ちることは生きていくことであり、人間である以上は仕方ないことであって、ある程度のことは観念して生きていかなければなりません。そこから転がして生きてほしいと思うばかりです。
死にたくなるような瞬間や時があるとは思いますが、そんな自分も愛して、うまくやっていきましょう。視野も狭くなって自分を追い詰めすぎないようにしていきましょう。
人が死んでしまうのは悲しいです。僕もなるべく、周りの堕ちてしまった人の声に耳を傾けて生きていこうと思います。それが”保健”という観点で見た看護の一部だと思いますし。僕を頼ってくれたら僕も最大限のリターンをするつもりです。
コツコツ積み上げながら、無理しすぎないように生きていきましょう。僕は人に愛を持って接しようと改めて思いました。優しい人と書いて優人なのでね。僕に興味を持って関わってくれた人たちには後悔させないようにしたいと思います。(ナメてかかってきた人にはしっかりハリセンボンしますけどね。グサリ。)
自分のやっていることや自分が関わっていることに対して愛がないと、嫌になっちゃいますし、批判するばっかりになってしまいます。時に嫌なことをやらなければならないですけど、それを行えるのは愛があるからです。嫌なことを率先してできる人は愛が深い人ということですね。
まあ逆を言えば、熱意とか愛を持てないことは嫌々続けてもあんまり自分にも周りの人にもいい影響は与えないと思います。程よく、自分が愛せることを、自分を賭けられることに身を置くのが良いと思います。キツくなってきたら視野を広げて、打開策を練る。それの繰り返しで進展していくのだと思います。
と僕の思想をつらつら書いてしまいました。すみません。とにかく、想像力と愛が欠けてないかい?という話と、死んだらおしまいだよという話です。
一緒に頑張りましょう。無理しすぎない程度に!
新入生の皆さんも一人で辛くなったら、視野を広く持って、目の前を真っ暗にしないように。誰か必ず、話を聞いてくれる人がいますよ!!!!
押忍
https://www.kinyaboyzinvitational.tokyo/kit-03
KIT03にてイゴール・タナベvs.添田航平が発表されましたね。教員を続けながらかつ七帝柔道を背負って戦い続けてきた添田選手が、現段階で日本最強呼び声高いイゴールとのマッチアップ。非常に楽しみであります。
次は愛に飢える、愛の戦士・新之助です。よろしくお願いします。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます