快読日記

日々の読書記録

「読むのが怖い!Z 日本一わがままなブックガイド」北上次郎 大森望

2013年07月23日 | 総記・書評・人生訓・哲学・宗教など
《7/21読了 ロッキング・オン 2012年刊 【書評対談】 きたかみ・じろう(1946~) おおもり・のぞみ(1961~)》

雑誌「SIGHT」連載の書評漫才、2008年から2012年までの分、169冊。
選書はエンタメ中心で、だから、うまいか下手かって評価になるんですね。
最初、二人が連発するこの「うまい」に少し抵抗を感じました。

でも、おかげでひとつわかってしまった。
自分は現在のいわゆる「エンタメ」があんまり好きじゃないってことが。
巧みに作られたお化け屋敷に行くぐらいなら、心霊スポットに行きたい、というわけです。
(いや、どっちも行かないけど)

じゃあこの本がつまんなかったかといえば全然そんなことはなく、「仲良しだけど気が合わない(帯より)」二人の掛け合いのおもしろいったらなかったです。
「書評漫才」とは言い得て妙。
たまに意見が一致するのもまた一興。

(ある競馬SF作品に対して)「誰が読むんだ、オレ以外に!」(北上次郎の名言 188p)

(辻村深月「ツナグ」に対して)「オレ、いちばん心配なのは、自分が死んだあと、誰も呼び出してくれないんじゃないかってことね」(北上次郎の名言その2 310p)

(俳人鈴木しづ子を追ったノンフィクションを書いた筆者に対して)「僕はむしろ、しづ子よりも、著者の感情の迸りのほうがよっぽどおもしろかったですね。しづ子の人生はどうでもいいから、著者がそれを調べていく過程の話をもっと詳しく書いてくれと思ったくらい。『調べた結果わかったことは、いちいち書かなくていいから!』と言いたい」(大森望の名言 384p)


しかし、仕事とは言え、次々と出る新刊本をこれだけ読むのはしんどいな~というのが率直な感想です。そっちにも敬服する。

/「読むのが怖い!Z 日本一わがままなブックガイド」北上次郎 大森望

「座右の本」原田かずこ

2013年06月13日 | 総記・書評・人生訓・哲学・宗教など
《6/12読了 宝島社新書 2013年刊 【書評】 はらだ・かずこ(1968~)》

「週刊ゲンダイ」に連載された作家・タレント・映画監督・学者・漫画家など70名の“座右の本”。

まず、人選が硬軟取り混ぜてあって(“硬”は少なめか)読みやすい。
養老孟司がファンタジーをあげているのがちょっと意外でおもしろかったし、
大林宣彦の「草の花」はぴったり!だし、
北村薫の「日本の菓子」には何かを避けたような、相撲でいえば立ち合いの変化みたいなずるい印象を持ちました。
それから、わたしは綾辻行人を読んだことがないのですが、彼があげた「しあわせの書」(泡坂妻夫)はすごくおもしろそう!
読んでみたいです。

先日亡くなったなだいなだも登場します。
奇しくも長年連れ添った夫人との日々を振り返るような内容でした。
わたしがもし“座右の書”をあげるとしたら、なだいなだの本になるかもしれません。
小説、ルポ、エッセイ、どれとも違う、“本に伴走してもらいながら、一緒にものを考える読書”をするきっかけになった作家だからです。
20代でなださんの作品に出会ったおかげで、その後の読書傾向が変わったような気がします。
初めて読んだ「人間、この非人間的なもの」を持参して講演会に出かけ、サインをいただいたのがうれしい思い出です。
休憩時間、控え室に入らず会場の椅子に座っていたなださんに声をかけたとき、興奮したなあ。

/「座右の書」原田かずこ

「奴隷の時間 自由な時間 お金持ちから時間持ちへ」ひろさちや

2013年05月29日 | 総記・書評・人生訓・哲学・宗教など
《5/21読了 朝日新書(朝日新聞出版) 2009年刊 【宗教 人生訓】 ひろさちや(1936~)》

いわく、「時は金なり」という言葉は間違っているし、大嫌い。
時間は貴重なものだけど、それを金なんかと一緒にするな、というわけです。
金より時間。
金持ちより時間持ち。

「もちろん、ある程度の金銭的余裕があって、その上でゆったりした時間が持てれば、それが最高です。でもそんな人はめったにいません。われわれは金か時間か、いずれかを犠牲にせねばなりません。その場合、あなたはどちらを犠牲にし、どちらを大事にしますか」(96p)

わたしたちが将来について思い煩うのはすべて「杞憂」である。
起きてもいないことをあれこれ考えるな。
先のことは仏さまや神さまやなんかに丸ごとおまかせしろ!
美学(=こうあらねばならぬ)を捨てろ!
苦しいときはジタバタ苦しみ、恐れるときはめいっぱいビビればいいのだ。

それでいいのだ。

/「奴隷の時間 自由な時間 お金持ちから時間持ちへ」ひろさちや

「女子の古本屋」岡崎武志

2013年05月03日 | 総記・書評・人生訓・哲学・宗教など
《5/3読了 筑摩書房 2008年刊 【総記 古本屋】 おかざき・たけし(1957~)》

いつかは自分の蔵書をポチポチと売りさばきたい、という野望を胸に、読んでみました。

13人の女性古本屋店主を取材した本。

古書業界というのは古くから男社会だし、本ってものすごく重いので、本屋は力仕事なんですよね。
ここに登場するのはおしゃれなカフェやギャラリー併設だったり、親の代からの古い店舗を引き継いだものであったり、無店舗のネット古書店だったり、さまざまですが、
思うに、共通点は“専門分野を持っていること”。
そうか~。専門分野かあ。
…特にないな。なさすぎるな。選書に節操がないってよく言われるしな。
というわけで、ちょっと挫折。

では、この本がただの開業案内みたいなやつかというと全く違います。
彼女たちが古書店経営にいたる経緯が千差万別で、そっちがとにかくおもしろかったです。
女店主の人生はなぜこんなにも波瀾万丈なのか?
まるで「女ののど自慢」です。
ぐいぐい道を切り拓くタイプの人が多いのも意外。
古本屋の枯れたイメージを“女子”たちが払拭しています。

「その『月に吠える』が水野さんの手にのる日が来た。十二、三歳の頃、父親は「手を洗っておいで」と言って、そっと娘の手のひらにのせた。そしてこう言った。
「こういう貴重な本は僕が持っていても僕の本じゃない。次の世代に渡すために預かっているのだから大切に扱わなきゃいけないよ」」(193p)

/「女子の古本屋」岡崎武志

「水木サンの迷言366日」水木しげる

2013年03月07日 | 総記・書評・人生訓・哲学・宗教など
《3/5読了 大泉実成/編 幻冬舎文庫 2010年刊(「本日の水木サン 思わず心がゆるむ名言366日」(2005年草思社刊)を改題・文庫化) 【名言集 水木しげる】 みずき・しげる(1922~) おおいずみ・みつなり(1961~)》

「しないではいられないことをし続ける(5月16日)」

「人間は寝ることによってかなりの病が治る。
私は“睡眠力”によって傷とか病気をひそかに治し、今日まで“無病”である。
私は“睡眠力”は“幸福力”ではないか、と思っている(3月11日)」

(メキシコのレストランでイセエビの甲羅を粉砕しながら一気食いして)
「大泉 しかし先生、一言もしゃべりませんでしたね。
 水木 全神経を集中してるんです。犬と同じです(11月4日)」

毎日1ページずつ読むつもりで買ったんだけど、がまんできず。
これからは、おみくじみたいに無作為にぱっと開いたページをご神託として受け止めたいです。
でも、それが(3日間の便秘のあと)「カメラみたいに大きなやつが出ましたよ!(7月13日)」だったらどう解釈したらいいでしょう。
やっぱり快食・快眠・快便が基本だ!ということ?

水木さんが名言マシーンであることは言うまでもない事実ですが、
今回改めて名言集を読んで感じたのは、
一見すると矛盾しているようないくつかの名言、それがまったく平気で矛盾したままあるというすごさです。
今は、とにかく一貫性があって合理的で論理的破綻がないものが立派みたいにいうけど、そうでもないんだと。
矛盾を矛盾のままにしておける力、わからないことをわからないまま不思議がり、驚き、無理に理解しようとしないでいられる力、それこそがしぶとく生きる力なんだと。

わたしも水木さんみたいなおじいさんになりたいです。

/「水木サンの迷言366日」水木しげる

「本屋さんで待ちあわせ」三浦しをん

2013年03月02日 | 総記・書評・人生訓・哲学・宗教など
《2/28読了 大和書房 2012年刊 【書評】 みうら・しをん(1976~)》

おすすめ本しかとりあげない、という「はじめに」の宣言通りの絶賛書評オンパレード。
たしかに小説家が人の作品を批判するのは気まずいだろうけど、したっていいのになあ。
そこへ行くと、人の作った料理をうまいだのまずいだの言う(さすがにまずいは言ってないか)川越シェフはすごいな。

それはともかく、
絶賛書評の割には「読んでみたい!」という気にはあまりなりません。
対象本のおもしろさを分析しすぎだからかな…そうでもないか。
少し凝りすぎな文章のせいかな。
(この“作った感”が高い文章、大野更紗に似ている)
んー。よくわからない。

ずっと前の書評本「三四郎はそれから門を出た」ではそういう印象を受けなかったので、
やっぱり読むわたしの好みが変わっただけなのかもしれません。

今さらながら、人に本をおすすめするのって難しいですね。
目の前にいる誰かと対話しながら、これいいよ~とプッシュするなら比較的ニュアンスも伝わりやすいけど、
例えば爆笑本を紹介するのに「腹の皮がよじれるほど笑った」って激賞しても、
素晴らしい描写を「鬼気迫る場面」って褒め倒しても、読む方はかえってついて行けなくなるもん。
褒め表現って、言葉がエスカレートすればするほど現実感を失って説得力が薄れるんです、たぶん。

あ、でも「東海道四谷怪談」についての話はおもしろかったです。
原作を読んでみたくなった。

→「むかしのはなし」

→「夢のような幸福」

→「悶絶スパイラル」

→「舟を編む」

→「お友だちからお願いします」


/「本屋さんで待ちあわせ」三浦しをん

「本に埋もれて暮らしたい 桜庭一樹読書日記」桜庭一樹

2013年02月06日 | 総記・書評・人生訓・哲学・宗教など
《2/6読了 東京創元社 2011年刊 【書評 エッセイ】 さくらば・かずき(1971~)》

読書日記第4弾。
最新の第5弾をこの前先に読んじゃってたので、これで追いつきました。
いつも通り、猛烈な勢いで読みまくる読書日記。

読書「日記」でもあるので、売れっ子作家のカリカチュアされた日常を読むという楽しさもあります。
例えば、桜庭が以前読んだある本のエピソード。
その著者は長年連れ添った妻を病気で亡くし、絶望の中、こう考えます。
「出会った頃の妻は若かった。あの頃の妻に会いたい」
そして、心配して声をかけてくれた妻の妹に何の前置きもなくこう言い放つのです。
「若い女と再婚したいです!」
…こんなステキな話なのに、著者が思い出せず悶々とする気持ち、ちょっとわかる。
「思い出すな、思い出すなと雨が降る」(272p)

彼女を囲む編集者たちのキャラクターもそれぞれ際立っていて飽きません。
とりわけ、桜庭に勝るとも劣らない読書家K島氏には興味津々です。

しかし、改めて言うのも何ですが、読書はいいですね。
この世で何がおもしろいって、人の頭の中ほどおもしろいものもないし、
構成要素が「言葉だけ」って、そんなシンプルなジャンルは本の他にないんじゃないかと。
それでいて破壊力・浸透力は桁外れ。
しかも他のメディアより断然安価。
図書館に至っては無料の上にレファレンスサービスつき。
本が読めるって幸せです。

こうなってくると、とりあえず、本が読めていて、ご飯が食べられてれば少々のことがあっても大丈夫な気がしてくるから不思議です。

巻末の女子(+K島氏)編集者座談会も、本読みあるある満載でした。
読書談義って、傍から人のを聞くだけでもわくわくする。
自分ではまず読まないだろう「トワイライト」談義でもあんなに笑えるんだから。

/「本に埋もれて暮らしたい 桜庭一樹読書日記」桜庭一樹

「本のおかわりもう一冊 桜庭一樹読書日記」桜庭一樹

2013年01月03日 | 総記・書評・人生訓・哲学・宗教など
《2012/12/28読了 東京創元社 2012年刊 【エッセイ 書評】 さくらば・かずき(1971~)》

桜庭一樹読書日記第4弾、を飛ばして第5弾を読んでしまった。
隔月で更新されるweb版をちょっと覗いてみたんですが、いまいち咀嚼できず。
やっぱり紙に縦書き!ってのが断然読みやすいですね。うむ。

今回は、2010年8月から2011年10月までの読書日記、つまり震災を挟んでいます。
あのとき、どんな本を読んでいましたか。
その直後には読めなかった本、逆に読みたくなった本、震災後に印象が変わった本、いろいろありました。
それでも「読まない」という選択肢はなかった。

震災のような危機的状況を目の当たりにしたときに「読む」という行為にはどんな作用があるんでしょうか。
例えばそれが戦争だったらまた違うのかな。
すこし落ち着いて考えたいテーマです。

思えば、こうして正月気分でこたつにもぐってぬくぬくと本が読めるって幸せなことなんですよね、ついつい忘れてしまうけど。
まだ問題が山積していて、みんなを苦しめているというのに。

/「本のおかわりもう一冊 桜庭一樹読書日記」桜庭一樹

「松岡正剛の書棚-松丸本舗の挑戦」松岡正剛

2012年09月20日 | 総記・書評・人生訓・哲学・宗教など
《9/20読了 中央公論新社 2010年刊 【総記 書評】 まつおか・せいごう(1944~)》

最低2度は読める本。
まず次から次へと千本ノックのように飛んでくる本の紹介記事を読んだら、
始めに戻って5万冊の書棚(の、ほんの一部)を読む。



これは2009年秋に松岡正剛が丸善とコラボした企画「松丸本舗」の書棚で、その65坪のマップを眺めるだけでもうっとりです。
エリア毎にキーとなる本があって、そこからぼよよんとテーマが広がっていく配置。
書店というより、個人の書棚みたいなこのレイアウトには引きつけられます。
一度行ってみたい。
本に対する押しコメントも殺し文句ぞろいでやられっぱなしです。
読書欲増進剤みたいな本。
こういう本を読むと、自分はまだ本を読んだことがないんじゃないか、って気分になります。
読める間にもっとガッツンガッツン読みたいなあ、という。

そういえば去年、美輪明宏「毛皮のマリー」の開演前のロビーで松岡正剛を見たんです。
なんか、生活感のない、重量感のない、霞を食って生きてるみたいな雰囲気がありました。
(松岡正剛に対する勝手なイメージでそう見えただけなんですが)
で、そのとき一緒にいた友達に「何してる人?」と聞かれたんだけど、うまく答えられなかった。
作家じゃないし、評論家じゃないし、書評家? 思想家? ん~。どれも違う気がする。
こういう人、他に思いつかないです。

→「多読術」松岡正剛


→「松丸本舗でブックハンティング」(私が知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる)

/「松岡正剛の書棚 松丸本舗の挑戦」松岡正剛
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「「ずぼら」人生論」ひろさちや

2012年09月17日 | 総記・書評・人生訓・哲学・宗教など
《9/16読了 三笠書房 2010年刊 【人生論】 ひろ・さちや(1936~)》

ひろさちやを読み始めて10年くらいたつかどうか、というあたりですが、膨大な数の著作を網羅するのはもちろん不可能。
それでも年に数冊、ぽつぽつ読んでいくと、やっぱり変化ってあるもんですね。
読む自分にも、書かれる内容にも。
数年前までは、人に「さちや本のおすすめは?」と聞かれても「とりあえず何でもおもしろいよ、だいたい言ってること同じだし」とか適当に答えていたんですが(よく考えたら失礼だ(笑))、
なんだか年をとればとるほどシャープになっている。
焦点がギュッと絞られて、切れ味が一段と増しているような。

「ずぼら」に生きろ、世間虚仮(=世間をばかにして生きる。それによってひどい目に遭うのを避けたければ面従腹背でもいい)だ、生活の奴隷になるな、といういつもの主張の奥にある一種の狂気というか、凄み・覚悟が見える気がします。

逆説的な文章が目立つし、挑発的な言い回しもあるので、それに拒否反応しちゃう人もいるだろうけど、本当はそんな真面目な人にこそお勧めしたい1冊です。

ひとつ、道元「正法眼蔵」のなかの「学道の人、自解(じげ)を執することなかれ」について、ちょっと長いけど引用してみます。

「自分の人生を考えたり、生き方を見つめたりするとき、みなさんは『なぜ?』という問いかけをしていませんか。
(略)それは裏を返せば、『自分に厄介なことがおこるのはおかしい』『苦しい生き方をしなきゃいけない理由などない』という自分の解釈、すなわち自解が働いている、ということなんです。
しかし、人生も生き方も、仏さま(神)の意図によって流れている。
たかだか人間が自分の解釈で、その意図を知ろうとすること自体が不埒なことです。
わからないことは、わからないままでいいんです。
ここが肝要です。」(145p)

だいたい、人が苦しんでいるときというのは、どうにもならないことをどうにかしようとしているときで、
そこは神さまでも仏さまでも運命でもなんでもいい、something greatにポイッと預けてしまえば、謙虚になれるし楽になる、いいこと尽くしではないか、
…という「おじいさんの智慧袋」みたいなことになってます。
がばいばあちゃんの次は、がばいじいちゃんの時代が来るかもね。

/「「ずぼら」人生論」ひろさちや
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「柔らかな犀の角 山努の読書日記」山努

2012年08月07日 | 総記・書評・人生訓・哲学・宗教など
《8/5読了 文藝春秋 2012年刊 【書評 随筆】 やまざき・つとむ(1936~)》

俳優の書評といえばまず児玉清が思い浮かびます。
鑑賞上手で博識で目利きの児玉本は、例えば陶磁器を見てじっくり味わい、評価し、その勘所をピタッと見据えているようで、批評は聡明そのもの。
対して山努は、その器に食べ物をガバッと乗せてむしゃむしゃ食って使ってみて、ああ、いい器だとかつぶやいているような。
ますます好きになっちゃいますね。

山本で特におもしろかったのは、映画や演技に関する本を読んだときの俳優ならではの感想です。
本に登場する人物に対して“演じてみたい”と反応することもあって、でもそれが女性だったりして。
そこで、意外とすんなりできそうだと思わせるところが名優山努です。

お気に入りは池澤夏樹、画家の熊谷守一、佐野洋子、鶴見俊輔や梅棹忠夫、穂村弘まで幅広く、ジャンルも小説、科学、映画、随筆、ノンフィクション、写真集となんでもなかんじです。

それはそうと、山努はもう76歳(!)らしいです 。
おじいさん臭さが全然ないのはなぜ?
むしろ、男の子くさい。
若々しいというのとはちょっと違います。
「どんぶらこ」という言葉が好きだというように、加齢に逆らったり無理したりしていない。
しかし、その感性や好奇心はみずみずしく、言葉は飾り気がなくて率直。

「この間、石井琢朗の雄姿が久しぶりにテレビに映った。立ち上り、応援のつもりで素振りのマネをしたら関節が外れそうになった。」(226p)

「『バカなのかも?』はストライク。この人バカなんだ、と無視されては元も子もない、バカなのかも? がミソなので、その按配が厄介、綱渡りなのだ。本気でものを創る人は皆その危険を冒している。この人、バカなのかも? 今後もこれでいこう。」(284p)

/「柔らかな犀の角」山努
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「『善人』のやめ方」ひろさちや

2012年07月26日 | 総記・書評・人生訓・哲学・宗教など
《7/24読了 角川oneテーマ21 2012年刊 【人生】 ひろさちや(1936~)》

これまで読んださちや本の中での暫定1位はこれに決定。
今、ひろさちやに聞きたいことが網羅されている気がします。

「人生の危機」とは何か?という話に端を発し、サマセット・モームの「人間の絆」などを例に“本当に自由に生きるとはどういうことか”を説いています。
ちなみに“リストラに遭った”“大学入試に落ちた”“失業した”は「生活の危機」であって「人生の危機」ではありません。
そして「人間の絆」の原題「OF HUMAN BONDAGE」、この“BONDAGE”の訳として使われている「絆」には元来、現在使われる「連帯」の意味はなかったそうです。
現代人に誤解されないように訳すなら「ほだし、しがらみ、束縛」という方が適切だと指摘しています。

タイトルについて。
「善人」「悪人」というのは親鸞の悪人正機説(善人なをもて往生をとぐ、いはんや悪人をや 云々)に出てくる言葉です。
「悪人」はいわゆる犯罪者とは区別されます。

「ともかく、われわれはみんな悪人なんです。(略)人間はみんな凡夫であって、完全ではない。(略)その悪人であることを自覚せずに、俺はあいつよりも悪人じゃない、あいつにくらべて善人だ、なんて思っている人は偽善者です。わたしはそう思います」(153p)

人間はみな不完全だ、自分の不完全さを棚に上げ、善人づらをして、人を糾弾するのはやめよう、ということです。

この話に関わらず、さちや本を読む度にそのさまざまな指摘に「たしかにそうだなあ」と思うわけですが、いざ実践となると難しい。
でも、それができないからって気に病む必要はない、とりあえずそっちを向くだけでもいいんだ、という気になれるといいかなと思います。

さちや本は読む人を追い詰めない。

/「『善人』のやめ方」ひろさちや
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「週刊ブックレビュー 20周年記念ブックガイド」

2012年03月13日 | 総記・書評・人生訓・哲学・宗教など
《3/10読了 ステラMOOK NHKサービスセンター 2011年刊 【総記】》

NHK BS週刊ブックレビューの総まとめ。
20年って言ったら長いですが、例えば高見広春「バトル・ロワイアル」や齋藤孝「声に出して読みたい日本語」は10年前の2001年、村上春樹「ねじまき鳥クロニクル(1.2)」が出たのが20年前、と言われると何だか最近のことのような。
ちなみに1993、1994年の文芸作品ベストセラーが「マディソン郡の橋」、翌年も8位ってすごいですね。
とにかくお勧め本の乱打で腹一杯。
全ての回で誰が何を紹介したかもデータになっていて、お買い得。
わたしは図書館で借りたんですけど。

そして、この本のもう一つのメインは“児玉清さん追悼”で、その本への愛着やひととなりを何人もの出演者が語っていて、そのあたりもじんとくる1冊でした。
松本清張、井上ひさし、小松左京などがゲスト出演して自作を語った記事や、児玉さんとジェフリー・ディーヴァーの対談、巻末には児玉清おすすめ本リストもついています。

/「週刊ブックレビュー 20周年記念ブックガイド」
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「お好みの本、入荷しました 桜庭一樹読書日記」桜庭一樹

2012年01月25日 | 総記・書評・人生訓・哲学・宗教など
《1/21読了 東京創元社 2009年刊 【書評 エッセイ】 さくらば・かずき》

「少年になり、本を書うのだ」 「書店はタイムマシーン」に続く読書日記第3弾。
実は、前2作を堪能した後、この人が書く小説も読んでみたくなり、まずは「赤朽葉家の伝説」を読み始めたんだけどあえなく挫折。
もう一度チャンスを!と(心の中で)叫びながら「私の男」に挑戦して、またもや敗退。
…どうしてもページを繰る手が止まってしまう。
理由を考えてみるに、
素敵なアンティーク!と思って近づいたら、プラスチック製だった、みたいな失望感。
切ったらドロッと血や膿が流れてくるような小説かも!と期待して読み進めたら、そもそも生き物じゃなかった、という“間違っちゃった”感。
出てくる景色や人物がつるっと平面的でアニメみたい、ちょっと苦手なテイストなのでした。

でも、やっぱりこの読書日記は好きだ。
ガシガシ読みまくる作家の日常も、周囲の人たちとの掛け合い(話題はもちろん本)も、文章から伝わる筆者の人柄も、勢いのある文体もすべて。

文中で、自身の「ファミリーポートレイト」に触れ、
「女性の同性愛的なものって、男性嫌悪とかコンプレックスの方向から語られることが多いけど、ほんとうはそうじゃなくて……“女のマザコン”という面がないかなあ、とずっと考えてた。それでそれをがんばって書いた。」(188p)
と言っているのを読んで、
「3度めの正直で『ファミリーポートレイト』行っちゃう?」という(心の)声が聞こえてきた冬の夜なのでした。


「少年になり、本を書うのだ」
「書店はタイムマシーン」


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「本の寄り道」鴻巣友季子

2011年12月14日 | 総記・書評・人生訓・哲学・宗教など
《12/10読了 河出書房新社 2011年 【書評】 こうのす・ゆきこ(1963~)》

気鋭の翻訳家による240冊の書評。
そのボリュームもさることながら文章の密度も高くて、
読書指南にうってつけの本。
わたしとは読書傾向がいまひとつ合わなかったけど、
それでも、自分は手にしないだろうなあというタイプの本をグイグイと語られるとちょっとワクワクしたり、
ちょうど「シズコさん」を読んでいるときに「シズコさん」の書評にぶつかったり、
やっぱり書評本って、読書欲を刺激してくれますね。

/「本の寄り道」鴻巣友季子
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