快読日記

日々の読書記録

「「ずぼら」人生論」ひろさちや

2012年09月17日 | 総記・書評・人生訓・哲学・宗教など
《9/16読了 三笠書房 2010年刊 【人生論】 ひろ・さちや(1936~)》

ひろさちやを読み始めて10年くらいたつかどうか、というあたりですが、膨大な数の著作を網羅するのはもちろん不可能。
それでも年に数冊、ぽつぽつ読んでいくと、やっぱり変化ってあるもんですね。
読む自分にも、書かれる内容にも。
数年前までは、人に「さちや本のおすすめは?」と聞かれても「とりあえず何でもおもしろいよ、だいたい言ってること同じだし」とか適当に答えていたんですが(よく考えたら失礼だ(笑))、
なんだか年をとればとるほどシャープになっている。
焦点がギュッと絞られて、切れ味が一段と増しているような。

「ずぼら」に生きろ、世間虚仮(=世間をばかにして生きる。それによってひどい目に遭うのを避けたければ面従腹背でもいい)だ、生活の奴隷になるな、といういつもの主張の奥にある一種の狂気というか、凄み・覚悟が見える気がします。

逆説的な文章が目立つし、挑発的な言い回しもあるので、それに拒否反応しちゃう人もいるだろうけど、本当はそんな真面目な人にこそお勧めしたい1冊です。

ひとつ、道元「正法眼蔵」のなかの「学道の人、自解(じげ)を執することなかれ」について、ちょっと長いけど引用してみます。

「自分の人生を考えたり、生き方を見つめたりするとき、みなさんは『なぜ?』という問いかけをしていませんか。
(略)それは裏を返せば、『自分に厄介なことがおこるのはおかしい』『苦しい生き方をしなきゃいけない理由などない』という自分の解釈、すなわち自解が働いている、ということなんです。
しかし、人生も生き方も、仏さま(神)の意図によって流れている。
たかだか人間が自分の解釈で、その意図を知ろうとすること自体が不埒なことです。
わからないことは、わからないままでいいんです。
ここが肝要です。」(145p)

だいたい、人が苦しんでいるときというのは、どうにもならないことをどうにかしようとしているときで、
そこは神さまでも仏さまでも運命でもなんでもいい、something greatにポイッと預けてしまえば、謙虚になれるし楽になる、いいこと尽くしではないか、
…という「おじいさんの智慧袋」みたいなことになってます。
がばいばあちゃんの次は、がばいじいちゃんの時代が来るかもね。

/「「ずぼら」人生論」ひろさちや
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