快読日記

日々の読書記録

「ひとりぼっちを笑うな」蛭子能収

2014年09月28日 | エッセイ・自叙伝・手記・紀行
《9/10読了 角川oneテーマ21(株式会社KADOKAWA) 2014年刊 【日本のエッセイ】 えびす・よしかず(1947~)》

「「友だち」を作る努力をするくらいなら、「家族」を作る努力をしたほうがいい」(56p)

「生まれてこのかた、誰かに「嫌われている」って思ったことがないんです。(略)それは、“僕は誰かに嫌われるようなことをなにひとつしていない”からです。(略)それは“他人に余計なことをしない”こと。だだそれだけで十分。だから、僕の場合は、他人に対して余計なことも言わないし、余計な頼み事もしません。もちろん、なにかを言われても反論しません」(79p)

「自分の意見を求められたときは、正直に自分の意見を言ったほうがいいでしょう。でも、そうじゃないときは、自己主張なんてきっとしないほうがいい」(84p)

この本を読みながら脳内を流れていたのは、♪短いこの人生で~いちばん大事なもの~ それはおれの自由 自由 自由~!という清志郎の声。
できるだけ他人と摩擦を起こさないのも、人と群れないのも、金の貸し借りをしないのも、無理な延命を望まないのも、戦争のない国を望むのも、すべては自分の自由のため、という考えはクールかつピースフル(←佐野元春)。
好きな言葉は“絆”とか“仲間”とか無自覚にほざく…いや、おっしゃる人たち=この国のマジョリティとは正反対の主張ですが、それでも「いまの時代は生きづらくない」(120p)と言い切る蛭子さんにはダンディズムすら感じます。


で、ここからはこの本を作った人に苦情。
巻末に「取材構成」として3人の名前が記されているように、この本はいわゆる聞き書きモノなんですよね。
それはいい。
しかし、やっぱりその人の語り口みたいなものはしっかり生かして欲しかったです。
すごく不自然で、“蛭子さんこんなしゃべり方しないだろ”みたいな表現が目立って、終始違和感がありました。
これは吉田豪の蛭子インタビューを読んでるせいでよけい感じることなんだろうけど、例えば「Kitano par Kitano-北野武による「たけし」-」(北野武 ミシェル・テマン著)が、たけしの口調や雰囲気をうまく伝えてその価値を高めたように、語り口って結構重要だと思うんです。
だって、結局それが“文体”になるわけですからね。
編集者(なのか?)が変にスマートな文章に直すくらいなら、1冊丸々インタビューにした方が、その人柄や思想を伝えるのには効果的だったのでは?と感じました。
この本では触れられなかった結婚観や女性観、あるいはちょっとした狂気(のようなもの)もじんわりにじむのではないかと。

/「ひとりぼっちを笑うな」蛭子能収
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