快読日記

日々の読書記録

「紅梅」津村節子

2020年03月07日 | 日本の小説
3月6日(金)

吉野朔実の漫画に、
主人公の漫画家が、大事に飼っていた金魚の死に目が溶けるほど泣いた後、
“なにが悲しいって、自分はこのことさえもいつか描いてしまうってことだ”、と嘆く話がありました。


夫・吉村昭の最期をつづった「紅梅」(津村節子 文藝春秋)のなにが壮絶って、
その闘病や死に向かう様子以上に、
こういうことを妻が書いてしまうということ、
「小説」という形にしてまでも書かずにいられなかったということ、
作家の、その業(ごう)みたいなものが凄まじい、と思いました。

これを書くためには、かなりしっかりした記録が必要ですよね。
夫の苦しみと伴走しながら、細かいメモを取っていたはずで、
いや、それが悪いとか薄情だとかいうつもりは全くなくて、
むしろ、「書かずにおれない人」の凄みに圧倒されたのでした。

これが例えば、病に冒されたのが津村節子だったら、吉村昭は書いただろうか、とふと考えたんですが、
それを想像できるほど、まだ吉村作品読んでなかったです。