6月15日(水)
『定本 消されたマンガ』(赤田祐一+ばるぼら/彩図社)を読了。
1990年代、2000年代になると「自主規制」というのが出てくる。
でも、これが「誰かを傷つけるから」ではなく、「誰かにクレームつけられる→もめるから」を恐れての先回りであるうちは、「表現の自由」は難しいような気がする。
ていうか、そもそも「表現の自由」ってなんだろう。
近頃は、例のヘイトスピーチの一団までが口にする「表現の自由」。
「攻撃」を「表現」というなら、殺人だって窃盗だって何だって「表現」だ。
そんなわけあるか。
…と考え出すと、じゃあ「表現」って何だっていうところで行き詰まってしまう。難しい。
それから、
取り上げられているのはいわゆる少年・青年マンガばかりなので、少女マンガについての考察も読みたいものだ。
『定本 消されたマンガ』(赤田祐一+ばるぼら/彩図社)を読了。
1990年代、2000年代になると「自主規制」というのが出てくる。
でも、これが「誰かを傷つけるから」ではなく、「誰かにクレームつけられる→もめるから」を恐れての先回りであるうちは、「表現の自由」は難しいような気がする。
ていうか、そもそも「表現の自由」ってなんだろう。
近頃は、例のヘイトスピーチの一団までが口にする「表現の自由」。
「攻撃」を「表現」というなら、殺人だって窃盗だって何だって「表現」だ。
そんなわけあるか。
…と考え出すと、じゃあ「表現」って何だっていうところで行き詰まってしまう。難しい。
それから、
取り上げられているのはいわゆる少年・青年マンガばかりなので、少女マンガについての考察も読みたいものだ。