快読日記

日々の読書記録

「日本ぶらりぶらり」山下清

2014年10月01日 | エッセイ・自叙伝・手記・紀行
《9/29読了 ちくま文庫 1998年刊(1958年に文藝春秋新社より刊行された単行本を文庫化) 【日本のエッセイ】 やました・きよし(1922~1971)》

テレビでは、山下清はみとこう門みたいにしょう体をかくしているので、さい後にばれてしまうので、それが本当かと思っていましたが、ちがいました。
放浪の画家、清のことは日本中のみんなが知っていて、絵をかいてくれ、とよう求するので、人を怒らせたくない清はおうじてしまうので、しかも、多くの人は清に金をくれないので、わたしははらが立ちました。
しばらくして、同じ家に行ったときに、あの絵はありますかと聞くと、人にゆずってもうないとか言いやがる話にいたっては、悲しくなりました。
これは、清の作品が正当な評価をされていなかった証拠です。
清の知的しょう害と、その作品の評価とは、切りはなされるべきだとわたしは思います。
しょう害者のげい術作品“だから”ほめたり持ち上げたりするのはおかしい。
そういう人がいるから、さむらごうちさんみたいなことが起きるわけです。
清の作品は、それ自体がすばらしいし、文しょうもほんとにおもしろいので、こうしてまねをしているのですが、わたしの力ではまったくいけません。むつかしいですね。

この本の中で、わたしがとくに好きだと感じたのは、世の中のぎまんにしょう面からつっこむところと、するどい観さつがん、でも、れっ等感としゅうち心が人一倍強いので最後まで食い下がれないちょっと弱気なところです。

「力道山と話してみたら、肉をたくさん食べるとみえてそばにいると肉のにおいがした」(66p)

「はたちはおとなのはじまりで、六十はおとなの終りなんだろう」(49p)

「人間はあまりいい場所をねらいすぎるとかえって迷ってしまうんじゃないか。欲がでるとおちつかなくなる。ぼくはあまり欲がないから大ていのところでいいと思ってしまう」(150p)

/「日本ぶらりぶらり」山下清
この記事についてブログを書く
« 「ひとりぼっちを笑うな」蛭... | トップ | 「ワーカーズ・ダイジェスト... »

エッセイ・自叙伝・手記・紀行」カテゴリの最新記事