野老の里

奥武蔵をメインに日帰りの山歩きを中心としたブログです

口太山と観音丘陵遊歩道 平成25年5月3日

2013年05月30日 | 山の思い出
(口太山頂上から千貫森・天井山・女神山・半田山)

伊達郡川俣町と旧安達郡東和町(2005年に二本松市と合併)との境を接する所に口太山(くちぶとやま 842.6)はある。山名の由来は様々あるようで、姥捨ての伝説が残る「朽ち人山」にちなんでいるとか、川俣町側では地方巡視に来た藤原実友が当地で猿の群れに襲われた際に詠まれた歌から名付けられたとの謂れがある。現在は二本松市側の夏無沼(なつなしぬま)周辺にキャンプ場などを有する公園が整備され、軽いハイキングが出来る山として親しまれている。主に登山対象とされているのは、川俣町の大綱木地区からのルートで、夏無沼からのルートは軽いウォーキング程度と考えられているようだ。登山をするのであれば、大綱木からのルートを行き来するのが望ましいのかもしれない。しかし路線バスを使った場合、入山がお昼頃となり、山歩きに相応しい時間であるとは言い難い。そこで比較的早い時間にバスが走る夏無沼から入山し、大綱木へと下山する計画を立てた。

二本松駅は福島駅から在来線で20分余りの距離にある。かつては特急が停まる駅であったが、現在は新幹線が通過してしまうので、県外者にはやや忘れられた存在ではある。しかしかつて二本松城があった城下町であり、福島市の市街地と比べても決して小さな町ではない。今日は東和支所行きの始発バスに乗るため、比較的早い時間に二本松駅に降り立つ。駅前の商店はまだシャッターを開けていないが、学校へと向かう高校生の姿はよく見かける。二本松駅からのバス路線は、その多くが駅前通りを進んだ先の二本松駅入口バス停から出発している。そのバス停付近には、長い石段が続く二本松神社がある。バスを待つ間、ちょっと神社を覗いてみることにした。樹木の生い茂る長い石段を登ると立派な社殿に着く。拝殿で今日一日の安全をお祈りする。それにしても市街地の真ん中に、こうした高台があることに驚かされる。駅で貰ったパンフレットには、観音丘陵遊歩道なるウォーキングコースもあるらしい。下山後に時間があったら寄っていくことにしよう。

(二本松神社の石段)


(神社の境内)

小一時間待って、数人の高校生とともに針道経由東和小学校行きのバスに乗り込む。地形図によると夏無沼へは東和支所で降り、立石坂と呼ばれる車道を上がって、分岐から細い車道を上がっていくらしい。昨年歩いた半田山に近いイメージである。但し、公園西端のアンテナ近くに麓から延びる登山道らしきものもある。これが使えそうならば、この道を使ってみたい。そこで、支所ではなく、針道でバスを降りることにした。針道はあばれ山車の祭で知られる街で、どことなく趣のある街並が続く。シャッターの閉じた商店街からは口太山(実際は白猪森)らしき姿も見える。交通量の多い市街地を抜けると低い丘陵地帯が目に入る。この辺りは上空から見ると低い丘が点在する景観を呈している。埼玉の広い平野、あるいは福島・伊達の広い盆地を見慣れているボクには、とても面白い地形をしていると感じる。山頂まで行けば、こうした地形を眺めることができるだろうか。

(針道の街から白猪森)

田植え前の水の張られていない車道を抜け、狭い国道を渡る。山に囲まれた地ではあるが、民家は多い。遠くから草刈り機らしきエンジン音が聞こえてくる。そろそろ農作業を始める時期なのかもしれない。傾斜を増していく車道を上がり、意外と広い車道を横切って、更に細い車道を上がっていく。すると正面に大きな桜の木が植わった民家が見えてきた。何台かクルマが停まっている。農家だろうか。最後の民家手前から地形図に描かれている登山道らしき踏み跡が延びている。初っ端から藪が生えた道だ。地面は踏み固められていて、登山道として使われていた形跡はある。藪を抜けると杉の植えられた沢地形になっている。歩きやすそうな所を進んでいくが、傾斜が増していくと踏み跡は沢の中に消えてしまった。右手に見える尾根を上がっていくこともできそうだが、登山装備ではないので、無理するのは避けたい。往路を戻って、立石坂から山頂を目指すことにした。

(口太山方面を望む)


(高助集落から 右は白猪森)


(民家の桜)


(遠く安達太良山を望む)


(地形図に描かれた山道の入口)


(引き返して 桜と安達太良山が美しい)

車道を戻り、長久保・北作の集落を抜けていく。草刈り機を持った人たちが田んぼの前に集まっている。近所同士なのか、それともGWに駆けつけた家族なのか。農作業にはそれだけ人手が掛かることを示す光景である。アップダウンのある道を越えていくと交通量の多い広い道路に出る。川俣町山木屋地区へと続く車道だ。夏無沼への分岐は車道の峠のような所にあり、そこまでしばらく登り坂が続く。緩やかな高度を上げていくと、右手に端整な三角形をした山が見えてきた。白猪森という山だ。遠くからでも目立つ山だが、山頂まで杉・檜に覆われているため、あまり登山対象にはなっていないという。杉内の集落を過ぎると傾斜がきつくなる。立石坂と呼ばれる坂だ。途中公民館のような建物の脇にあばれ山車に乗せられるという人形も置かれていた。分かっていれば写真を撮っておいたのだが。

(立石坂から白猪森)

民家が無くなると夏無沼への入口も近い。入口近くのカーヴの辺りで不動滝と書かれた看板を見つける。見上げると小さな沢の流れがある。これが不動滝か?ところが後日調べるともう少し上流に滝があるそうだ。不動滝のあるカーヴを曲がると夏無沼への車道が分岐している。口太山登山口との看板もある。まだまだダルい車道歩きは続く。ただ傾斜はいくらか緩くなり、また夏無沼へ向かうクルマも殆どいない。左手に広い湿地帯を見送ると右手の急斜面に土留めの木段を見つける。どこへ向かっているのだろう?少し進むとまたも木段の分岐。今度は確りとした道標があり、キャンプ場と書かれている。地形図を見ると夏無沼から南に延びる尾根の付近にいるようなので、この木段を上がっていくことにした。

(不動滝下流)


(キャンプ場への入口)

ステップの低い木段を黙々と登っていく。歩きやすいものの、傾斜が急で、体力的にはやはりきつい。これまでは杉・檜の植林が多かったが、上がるにつれて雑木林が多くなってきた。芽吹きがようやく始まった辺りで、この辺りはまだ寒いのだろう。木段を登りきると道は集いの広場(というような名だった気がする)へ分岐している。時間はたっぷりとあるので、一先ず広場へと行ってみる。トラバース道を緩やかに上がると尾根の突端に出る。尾根上は広い草地となっていて、おそらくここが集いの広場なのだろう。辛夷の木が白い花を付けている。草地の広場は開けてはいるが、周囲は落葉樹に囲まれていて、あまり見晴らしは良くない。現在地がどの辺りなのかいまひとつわからないのだが、とりあえず尾根を進んでみる。

(つどいの広場)


(つどいの広場から 左に見えるのは白猪森)

草地の尾根を進むと左手の樹林越しに建物の屋根が見える。キャンプ場の建物だろうか。尾根が下るようになると左手から車道がやって来る。ちょうど案内図があり、すぐそばにキャンプ場があるという。西にやや傾いた草地を進むと先ほど見えた建物がある。管理人らしき男性がバンガローの鍵?を確認していた。バンガローの隣にトイレがあるので、ちょっと借りることにした。用を済ませると先ほどの男性に「山行って来たのかい?」と声を掛けられる。これからです、と答えると、「天気は良いけど、風が寒くて大変だよね」と返される。確かに今日も風が強い。

(キャンプ場)

キャンプ場からは夏無沼が見えているものの、直接下りていくことはできない。車道へ戻り、道なりに下る。車道は二手に分かれるので、南から回っていくことにする。それほど大きな沼ではないが、落ち着いた雰囲気が良い。クルマで来られる所とあって、結構軽装の観光客の姿が目立つ。夏無沼という名は、かつて沼の周辺に木漏れ日が届かぬほど大木が生い茂り、夏でも涼しかったことに由来するという。現在沼の周囲は伐採され、明るい日差しが照りつけるほどだ。公園ということもあり、桜の木も多い。キャンプ場の向かいにある丘には駐車場があり、更にその上を上がると見晴原っぱがある。桜らしき木が疎らに生えた草地の丘で、下から見上げると何処か高原に来たのではないかと錯覚してしまう。丘の上に上がるとなるほど見晴らしが良い。手前には白猪森が山頂部を覗かせている。左隣には形の良い三角形をした羽山(麓山896.9)がある。羽山と白猪森の間に見えているのは移ヶ岳だろう。それらからずっと左へ目をやるとのっぺりとした山容が目に付く。富士山が見える山としても知られる日山だ。その日山の左にあるのがこれから登ろうとする口太山の山頂である。

(夏無沼)


(見晴原っぱ)


(右は白猪森 木に隠れているのは羽山 間にあるのは移ヶ岳)


(口太山山頂方面)




(見晴原っぱからのパノラマ)

見晴原っぱで一休みしたところで、いよいよ山頂へと向かう。手前の駐車場には草刈機を持った人で一杯であった。ボランティアによる草刈りであろうか。そういえば来週(5月12日)は口太山の山開きが予定されている。駐車場から一旦車道へ出て、少し歩くと石造の道標が立っている。道なりに進めば、林道のような登山道へと変わる。登山道のすぐ右手は桜の植えられた公園で、標高が高いせいか、まだ花が残っていた。屋根付きで登山届の記帳台が設置されているが、肝心の用紙は置かれていなかった。そのすぐそばには道標がある。林道のような道はそのまま南口登山口へと向かい、尾根を上がる道は西口登山口と呼ばれているようだ。



(桜の植えられた公園)


(西口登山口)

口太山頂登山口と書かれた西口登山口から尾根へと上がる。明るい雑木林が続き、時折松の木が生えている。登り始めにも感じたように半田山の雰囲気に近い。加えてこちらは沼から山頂まで緩やかな道が続く。南側が笹原と潅木帯になるといくらか展望が開ける。ただ見晴原っぱほどすっきりとは眺められない。傾斜がやや急になる手前に口太の夫婦松と呼ばれる変わった形の松がある。どこが夫婦松なのかはわからない。夫婦松の脇から日山を撮っていると山頂から中高年のグループが下りてきた。軽いハイキングには良いコースだ。

(雑木林と笹原の尾根)


(笹原から 手前の形の良い山は羽山)


(夫婦松)

夫婦松を過ぎると道は傾斜を増していく。このコースでは唯一辛い所だ。傾斜が緩むと南口登山道が合流してくる。結構藪っぽい道のようだが、歩く人はいるのだろうか。分岐の後、まもなく口太山頂上に着く。明るい開けた山頂で、ベンチ・三角点・山名盤などがある。ベンチにザックを置き、先ずは周囲の展望を楽しむ。西側がほぼ180度開けていて、安達太良から蔵王にかけての眺めが良い。手前に横たわる山は木幡山。木幡山の奥、うねうねとした丘の上に見えるのは安達太良山と吾妻山だ。安達太良も吾妻も雲で山頂付近が隠れてしまっているのが残念でならない。その奥、雪を被った山並は栗子山や蔵王、そして月山・朝日連峰だという。まあせいぜい見えるのは蔵王くらいであろう。その手前には千貫森と天井山、一貫森と女神山、七ツ森(女神山・堀沢山を含めた総称)などが特徴的な姿を見せる。女神山の上には崩壊地を晒す半田山が顕著だ。山頂には小母さんが二人いて、その後に初老の男性が登ってきた。今回阿武隈の山を歩いてきて、これほど山頂が賑わったのは初めてだ。

(口太山頂上)


(手前は木幡山 奥は安達太良・吾妻山)


(左から天井山・一貫森・女神山 女神山の上に見える崩壊地のある山が半田山)


(安達太良山)


(吾妻山)


(蔵王方面)


(左の小さな盛り上がりが千貫森 尾根を左に行けば天井山)


(千貫森)


(天井山)


(一貫森と女神山 上に半田山)


(七ツ森)




(口太山からのパノラマ)

さてまだ11時前だが、そろそろ下山することにした。あまりにも早い時間に下る理由はバスの時間にある。下山先の不動坂にはバス停があるのだが、川俣高校行きあるいは針道行きともに16時台しか乗れないのだ。流石に山頂で2、3時間潰すのは馬鹿馬鹿しい。それなら早めに下山して、不動坂から針道へ歩いてしまおうと考えた。針道発二本松駅行きは12時35分であり、これに何とか間に合わせたい。まあ次の15時5分でも構わないのではあるが。不動坂方面への下山ルートは石尊神社(上級)コースと猿の首取り(一般)コースとがある。木幡山を見下ろしながら下る石尊神社コースも面白そうだが、ここは時間を優先したい。そこで確実に下れそうな猿の首取りコースを下ることにした。

(猿の首取りコースの下山口)

先ずは北西方向に下る道を進む。何となく明後日の方向を向いているような感じがする。だがこれは迷い平で大きく曲がるためで、この方向で間違いは無い。まだ芽吹きの始まっていない冬枯れの雑木林の中を軽快に下っていく。夏無沼からのルートに比べて傾斜は急だ。それでもいくらかジグザグを切ってあるので、登りでも下りでも歩きやすいだろう。やや踏み跡が薄くて迷いやすい所には確り赤テープが巻き付けられている。道が大きく曲がる所が迷い平。道標が立ち、近くには標石も埋設されている。

(雑木林が多い)


(迷い平)


(近くに標石がある)

迷い平からは傾斜が更に増す。ジグザグの九十九折や細いトラバース道が続き、下りだと少々難儀する。途中露岩のやせ尾根があり、両側に木が生えてはいるものの、やや緊張を強いられる。露岩を下りきると猿の首取りと書かれた道標があった。この岩場からルートの名が付けられているという。岩場から先は尾根の西側をトラバースしながら下る道となる。所々西側に展望が開ける箇所がある。千貫森から天井山、一貫森そして女神山と連なる山岳風景が美しい。ジグザグの道を織り交ぜつつ下ってくると乳子岩(ちごいわ)と書かれた道標が立つ分岐に着く。急ぎはするものの、これから先何度も訪れる所ではない。折角なので乳子岩へ寄っていくことにする。分岐からは少し下ると更に道標が立ち、登山口方面と乳子岩方面へ分岐する。乳子岩方面は細い下りのトラバース道で、谷側の斜面はかなり急である。落ちたら痛い程度では済まないだろう。恐る恐る下っていくと大きな岩が見えてきた。そのままトラバース道を回りこむと乳子岩と書かれた標識がある。人一人入れるほどの穴があり、口減らしのために乳飲み子を捨てた所とも、あるいは前述の藤原実友が猿の群れから隠れるために篭った穴だとも言われている。



(猿の首取り)


(トラバース道から千貫森から女神山への眺め)


(乳子岩分岐)


(乳子岩)

往路を戻り、分岐を今度は登山口方面へと進む。すると水の流れる音が聞こえてきた。正面を見上げると水の流れる一枚岩が見える。ヘアピンカーヴを描くようにトラバース道を下ると滝であることがわかった。全体像を見ようと下ると猿滑りの滝と書かれた標識が立っている。そばには薄い踏み跡がある。慎重に踏み跡を下っていくと滝の下部から見上げる位置に来た。逆層の岩場を水が滴り落ちている。細い流れだが、水音の大きさからすると結構な量の流れがあるのだろう。猿滑りの滝から先は杉林の中をトラバースしながら下っていく。橋を渡ると樹林帯を抜ける。桜などが植えられ、公園のような雰囲気だ。花桃が植えられた広場のような所に出てくると登山口の看板がある。ここから先は砂利道で、道の両側には整地された一画がある。駐車場かと思ったが、キャンプ場とのことだ。すぐそばには乳清水と呼ばれる水場もある。猿滑の滝を水源にしているという。



(猿滑の滝)


(大綱木登山口)


(乳清水)

登山口からしばらくは砂利道の下り。正面に天井山と一貫森を眺めつつ下っていく。点在する民家を見送ると広い駐車場がある。駐車場から先は舗装された車道だ。車道歩きというとうざったい気もするが、山間の暮らしを眺めつつ下る分にはそれほど苦にならない。一口に阿武隈高地と言っても、旧東和町のように一面に広がる低い丘の風景もあれば、川俣町のように比較的大きな山と谷で構成される地域もあり、町の雰囲気もかなり異なっている。川俣町は現在でも絹の町と自らを称するほど養蚕が盛んな地域でもあったところから、点在する民家の建物も旧東和町のものとは違いがある。川俣町にはベランダの無い二階建ての建物など、養蚕農家であったことを伺わせるものが多い。

(天井山を眺めながら下る)


(川俣町の棚田 民家の形に特徴がある)

交通量の多い車道が見えてくれば、バス停のある不動坂が近い。まあ今日はバスには乗らないのだが。川俣町の中心街と東和支所とを結ぶ国道349号は、3ケタ国道ということもあって歩道が無いという整備状況である。そばをビュンビュンと飛ばすクルマやダンプに慄きながらも、時に咲き残る桜の花に癒される。バス停のある境木(さかいぎ)にやって来ると、紙の地形図には載っていない口太山トンネルが見えてくる。
そのトンネル手前には旧道があり、境木の双子桜と書かれた看板もある。時間は惜しいが、行ってみるか。

(国道沿いの桜)

かつて国道として使われていた道は、木幡山と口太山の間の峠道で、緩やかな登り坂になっている。右手の崖地を過ぎると高台の上に建つ民家が見える。何本かの大木に囲まれていて、その内のどれかが双子桜なのだろう。最初崖地を過ぎてすぐの分岐を上がっていったが、これは民家裏への近道で敷地に入ってしまう。旧道に戻り、回り込むように進むと大きな桜の木が見えてきた。もう花は散ってしまっているが、堂々とした姿である。徐々に姿を変えながら、民家の玄関先へ来るとようやく双子桜であることがわかった。確かに2本の桜が並び立っている。でも2本の桜と気付かない東側からのアングルのほうがボクは好きだ。

(左にあるのが双子桜)




(双子桜)

杉が植えられた鬱蒼とした峠を越えると隠津島神社への道が分かれる。流石に今回は寄る時間がない。但し始発の東和支所行きで口太山に登り、大綱木小跡から福沢羽山・木幡山を縦走して、隠津島神社へと下る、というルートを採れなくもない(この場合は競石あるいは実太郎バス停まで長い車道歩きとなるだろう)。国道へ下りてくると口太山が山頂部を覗かせている。ここから見ると意外となだらかな山だ。再び針道の町へと戻ってきた。バスの発車予定時刻の1分前であった。実際には少し遅れては来たのだが。

(国道への合流点から口太山を望む)


(針道の街)

バスで二本松の町へと戻る。安達ヶ原から国道4号線を見ると、仙台方面が酷い渋滞を起こしていた。郡山方面は流れているのが幸いだった。文化センターでバスを降り、霞ヶ城(二本松城)公園を目指す。文化センター裏を進むと舗装された観音丘陵遊歩道が延びている。一応舗装路は自転車道となっているらしい。尾根上は未舗装の道もあるので、そちらを歩くことにする。前を御爺さんが歩いているのだが、全く追いつけない。舗装路は県立安達高校の生徒さんが部活の練習に使っている。出会う度に挨拶されるので、ちょっと照れる。山での挨拶を廃止しようという話はよく聞くのだが、挨拶するかしないかは個人に任せればいいのだと思う。そんな下らないことを議論しようということ自体が子供っぽいとボクは思うのだが。

(遊歩道の様子)

二本松の中心街を南北に分断する観音丘陵に付けられた遊歩道は眺めが良い。途中橋の架かった切り通しは恐ろしいほどの高さがある。それだけ市街地から丘陵上まで高さがあるということなのだろう。三つ目の橋を渡る辺りから霞ヶ城跡が見えてくる。山の頂上に見える石垣が大きな特徴である。四つ目の橋を渡り、安達太良山が見える農地を過ぎると東屋の建つ見晴台に着く。そばには安達太良山から18km引いてきたと言われる二合田用水が流れている。小さな用水路を越えればもう城内だ。

(南側の眺め)


(農地も多い)


(切り通し)


(遊歩道の桜)




(霞ヶ城を遠望する)


(霞ヶ城近くから木幡山と口太山)


(見晴台の東屋)


(安達太良山を望む)

まずは新城館と呼ばれる平場に上がり、木段や未舗装の道を進む。どことなく山歩きに近い感覚だ。智恵子抄詩碑や搦手門などを見送るといよいよ本丸の巨大な石垣が見えてきた。震災によって被害を受けた石垣も修復作業が終わり、本丸に向かってスロープや階段が整備されている。本丸の上は砂利の敷かれた広場となっていて、西櫓台と天守台の三層で構成されている。西櫓台へ上がれば、安達太良山が眼前に聳える。山頂部が雲に隠されてしまっているのが残念だ。天守台からは北側の眺めが良く、小さく盛り上がった千貫森と女神山、長い尾根を持つ霊山を始めとして、先ほど歩いた口太山に木幡山、双子のように見える羽山と日山、そして阿武隈最高峰の大滝根山などが一望できる。天守台には三角点と山名盤が設けられている。ここは元々白旗ヶ峯(334.4)という山なのだ。階段脇のベンチに腰掛けてデコポンを食べる。入れ替わり立ち代わり観光客がやって来て、霞ヶ城の人気のほどを伺える。ただ今日は帽子が吹き飛ばされるほどに風が強いので、皆すぐに下りてしまい、下山する頃はボクだけとなっていた。

(搦手門)


(本丸の石垣)


(本丸上)


(二本松の街 中央奥が大滝根山 左に二つ見えるのは羽山と日山)


(千貫森と女神山)


(木幡山と口太山)






(本丸からのパノラマ)






(天守台からのパノラマ)

遊歩道を戻り、先ほど城跡を眺めた橋の手前から車道を下りていく。クルマで上がるのも大変だろうと思わせる急傾斜の坂だ。歴史資料館の向かいには大手門跡の看板が立っている。下りきった先は朝歩いたバス通りだ。交差点に日夏という和菓子店があったので、お土産を買っていくことにした。二本松駅へ戻るとちょうど高校生たちが帰宅するところであった。若い人が多いとやはり街には活気がある。高校生たちの賑やかな笑い声を聞きながら、帰りの電車を待つのであった。

DATA:
二本松駅(5分)二本松神社(3分)二本松駅入口(福島交通バス)針道8:25~8:45高助・長久保集落~9:38不動滝~
10:09夏無沼~10:37口太山10:52~11:00迷い平~11:15乳子岩~11:20猿滑の滝~11:29大綱木登山口(キャンプ場)~
11:49不動坂集落~12:04境木の双子桜~12:34針道(福島交通バス)文化センター13:04~13:57霞ヶ城本丸14:10~
14:35大手門跡(10分)二本松駅

福島交通バス 二本松駅入口~針道 880円 針道~文化センター 780円
       
トイレ 夏無沼キャンプ場 霞ヶ城公園箕輪門など

地形図 川俣

歩数:33,787歩

福島交通バス不動坂バス停からは針道行き、川俣高校行きがそれぞれ出ています。本数僅少なので、ご注意を。川俣高校前からはJRバス東北福島駅東口行きが出ていて、比較的遅い便もあります。

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