(小神麓山から口太山と木幡山)
阿武隈高地は海底で堆積した古い地層が隆起して陸地となり、その後の侵食作用によってなだらかな地形になった、と考えられている(Wikipediaより)。そして地質の硬い部分が残った所は特異な形状をした独立峰となっており、綺麗な円錐形の千貫森はその典型だろう。また近くにある女神山や前回登った口太山などもそうした中に入る。他方で天井山や十万劫山はなだらかな丘で、低山ながらも縦走ハイキングが楽しめる。今回登る羽山・麓山・布引山はどちらかといえば、なだらかな丘に類する山だといえる。当然麓や他の山から見て、それほど目立つ山ではない。そのためあまり登山対象とはなっていないようだが、その分、静かな山歩きが楽しめる。どれも400m余りと大きな山ではないので、のんびりとした山歩きが楽しめるものと期待して出掛けた。
今日は福島駅東口からJRバス東北に乗る。この路線は土日ダイヤでも比較的朝早くから出ていて、山歩きには都合が良い。川俣町の中心市街地に出れば、他の路線に乗り継ぐこともでき、バス登山不毛の地福島にあっては貴重な路線である。前回降りたUFOの里を通り過ぎ、青木平バス停から先は川俣町に入る。十二社(じゅうにしろ)バス停周辺は結構開けた所で、バス停のすぐ近くに羽田春日神社の石段がある。今日最初に登る羽山はこの辺りにある羽田地区の信仰を集めていて、羽田羽山(はねだはやま)とも呼ばれている。今日一日の安全をお祈りして、境内へ延びている車道を下りていく。すると正面に樹木に覆われた低い山が見える。このときは気付かなかったのだが、この山が麓山であったようだ。森を挟んで右に見えるのは木幡山らしい。
(木幡山 左の低いほうは福沢羽山)
(わかりにくいけれども羽山と麓山と布引山)
境内から下りてくると細い農道に出る。周辺は意外と稲作が盛んならしい。果樹栽培の多い旧伊達町や旧保原町、桑折町辺りとは大分違った光景だ。農道を進むと左手に無骨な台形の山が見える。女神山だ。形の良い山だが、どちらかといえば男性的な姿をしている。やや広い車道と交錯する辺りで道がわかりにくくなる。地形図と異なり、新しく道を整備したらしい。女神山への道標はあるが、羽山へはないので、少々迷う。車道を横切り、細い道へ入ると、ここも地形図とは印象が異なる。それでも紙の地形図には登山口のすぐそばに送電線が走っているので、それを目指して道なりに進んでいく。すると送電線を過ぎた直後に羽山登山口と書かれた看板を発見する。川俣町のHPによると、ここは烏合内(からすごううち)登山口と呼ばれている。そばで御爺さんが座っていたので挨拶を交わす。そのとき怪訝な顔をされた。見知らぬ顔だったので戸惑ったのだろうと思ったのだが、それは間違いだったことを後で思い知らされることになる。
(女神山)
(稲作が盛ん)
(烏合内の登山口)
民家や板金工場が建ち並ぶ車道を歩いていく。やけに犬の鳴き声がうるさい。すると突然一匹の犬が民家から飛び出してきた。一瞬ヒヤっとしたが、可愛らしいミニチュアダックスフンドだ。但しリードは着けていないので、あまり構うと拙い。気にしないようにして足早に立ち去る。民家が無くなるといよいよ登山道の始まりだ。信仰の山らしく、登山口には比較的新しいお堂が建っている。やや草が被った道を歩き始める。傾斜は緩く、悪くない。所々大きな岩が出ていて、どことなく奥武蔵を思わせる。違いといえば雑木林が圧倒的に多いということだろう。町の花にもなっている山ツツジも鮮やかだ。
(山ツツジ)
(大岩が露出する登山道 最初は良いんだけどなぁ…)
このまま楽な道が続いていくものと思っていたのも束の間、段々と行く手を藪が覆うようになっていく。最初の内は余り気にもしなかったが、登るにつれてますます藪濃くなっていく。倒木もあり、踏み跡も見失ってしまった。本当にこれは一般ルートなのだろうか。なるべく沢に沿って歩こうとすると、突然靴が泥に埋まってしまった。どうやら沢のそばは休耕田となっているようだ。あまり端に寄るとヌタ場と化した休耕田に嵌ってしまうので、出来る限り地面の固い所を探りながら進んでいく。これは本当に道なのだろうかと不安になる頃、羽山登山道と書かれた看板を発見する。これで間違いはないらしい。薄くなったり、濃くなったりする藪に悩まされつつも、15分程で鞍部が見えてきた。結局鞍部が見えてくる間際まで、藪に悩まされ続けてしまった。鞍部は形の良い切通しとなっている。伊達市月舘町へ下る道は整備されている雰囲気はある。現在は月舘町側から上がるのが主流なのだろうか。
(徐々に藪深くなっていく)
(一頻り藪漕ぎした後、標識を発見)
(休耕田 鞍部の近くまで延々と続く)
(比較的藪の薄い所 左手に踏み跡が見えている)
(猛烈な藪 倒木も多い)
(鞍部が見えてきた)
(鞍部の切り通し 向かいは月舘町へと下っている)
羽山への尾根道は藪も無く良い道が続く。若葉の茂った雑木林の新緑が眩しいほどに輝いている。今日は天気が良く、気温も上がっているので、新緑に覆われた道は涼しくて気持ちが良い。藪を刈ったやや雑然とした道となると、左手に道が分岐する。傍らには羽山神社と書かれた道標がある。分岐を上がっていくと炭焼きに使うような石積みが現れる。ここが羽山神社の祠であるらしい。祠の周辺は樹林に覆われているが、安達太良山方面のみ、少し展望が開けている。一応ここが山頂とされているようだ。
(縦走路 雑木林が多い)
(羽山神社)
(安達太良山方面の眺め)
分岐に戻り、縦走路らしき道を進む。コンパスが無いので、方向がわからず、確証が得られないのだ。そういえば羽山神社には三角点がなかった。おそらく縦走路の上に見える尾根のどこかにあるのだろう。縦走路を進むと何か独特な香りが匂ってきた。見ると細くて白い花びらを枝に付けた木が立っている。葉っぱを見ると前回口太山に登ったときに見掛けたアオダモに似ている。後で調べてみたらマルバアオダモというらしい。縦走路を進むと下って尾根に出てしまう。三角点へはどこから上がったらよいのやら。尾根上に出る手前を探ってみると藪の中に薄い踏み跡がある。また藪漕ぎをするのか…。それでも鞍部に登ってくるまでよりかは薄い藪で、一頻り進むと三角点(422.7)があった。
(マルバアオダモ)
(藪の中に三角点がある)
(三角点への入口 いくらか藪は薄め)
縦走路に戻り、改めて麓山を目指す。雑木林の中をフラットな道が続く。山頂付近が藪だったのに対し、やけに良い道だ。調子に乗って進んでいると道はやがて尾根の東側を巻くように下っていく。麓山はどこへ行った?訝しがりながらもそのまま下っていくと正面になだらかな山が見えてきた。おそらく布引山だろう。この先は小神と小島をつなぐ林道に出るに違いないという見当が付いたので、引き返して麓山を探す。
(麓山への縦走路 距離は短いが良い道だ)
(縦走路から花塚山を眺める)
(正面に見えるのは布引山)
さて取り付きだが、実は尾根が東側を巻く辺りで切り通しのような不自然な地形に気付いていた。その辺りを改めて探ってみると切り通しの裏側に踏み跡らしきものを見つける。踏み跡は麓山頂上の西側を巻くように付けられているので、適当な所で尾根へと上がる。藪がやや薄いのが救いか。急斜面には何となく踏み跡らしきものもある。そこを辿っていくと祠の裏側へと出た。祠を回り込むと小神麓山(422 こがみはやま)と書かれた石柱が建っている。ここが山頂で間違いないだろう。石柱を見ると標高は420メートルと書かれていた。傍らには破れた和紙が散乱していて、幟でもあったのだろうと推測する。
(小神麓山頂上)
展望は全くないものの、これまであまり息つく暇もなかったので、少しだけ休憩を取る。林の中を涼しげな風が抜けていく。準備を整え、再び歩き始める。まずは目の前に延びる尾根を下ってみる。方向からすると小神の集落へと下っていくのだろう。川俣町のHPには小神麓山を含め、川俣町を代表する山の登山ルートが掲載されている。それによると小神へ下りる途中に布引山方面へ下るルートに合流できる分岐があるということだ。それを信じて下っていくが、先ほど布引山が見えた辺りよりも更に下っても分岐が見当たらない。たぶん廃道化したのだろうと考え、山頂へ引き返し、素直に縦走路から布引山へと下ることにした。日当りの良い縦走路は麓山を東に巻く辺りから林道のような砂利道へと変わる。草が伸びているのが鬱陶しい。布引山が見えた辺りまで戻り、そこから更に下っていく。クルマが通れるようにするためか、大きなジグザグを描いている。時折展望が開け、正面になだらかな布引山が横たわる。その奥に見えるのは花塚山だ。
(縦走路から下って 手前は布引山 奥は花塚山)
(山ツツジ)
傾斜が緩んでくると道は直線的に下っていく。刈払いの済んだ道を下ると正面が開けてきた。なだらかな布引山の奥に見えるのは口太山と木幡山だ。ようやくこの二つの山は見慣れてきた。そのまま下っていくと広い伐採地に出る。花卉栽培なのか、斜面南西側は低い木がびっしりと植えられている。南東側は伐採されたままで、広い道の脇に1本だけ大きな木が残されていた。展望は良く、布引山の全貌と、左手には花塚山へ延びる尾根、右手には口太山と木幡山が見渡せる。ここはおそらく農家の敷地内なのだろうけれども、ザックを置いてしばらくこの展望に見入ってしまった。
(伐採地の入口 左奥が口太山 右奥は木幡山)
(布引山 残った木に風情を感じる)
(口太山と木幡山)
(伐採地上部からのパノラマ)
布引山の正面に見据えつつ、日当りの良い道をどんどん下る。5月中旬ともなると流石に暑い。農具小屋の脇から民家の前を通り過ぎる。放し飼いの犬でも出てこないかとビクビクしながら歩く。すると人間のものでないフーッ、フーッという息遣いが聞こえてきた。見回すと立派な黒い牛がこちらを窺っている。綱につながれているとはいえ、体の大きさといい、尖った角といい、迫力十分だ。よく見ると奥にも数頭の牛と山羊が飼われていた。作業服が沢山吊るしてあったので、畜産などを営む農家なのだろう。
(布引山を眺めつつ下る)
(口太山)
(木幡山)
(伐採地下部から)
(牛)
農家の敷地から車道へと出る。川俣町のHPによると下手渡藩駕籠立場の碑があるらしいのだが、発見できなかった。布引山の登山口へはこの車道を笠松池まで下っていく。細い山間の車道ながら交通量は意外と多い。紙の地形図には笠松池の近くを送電線が通っているので、それを目指して進んでいく。そろそろ送電線の下に来たなと思う頃、左手の畑の脇に布引山登山口と書かれた標識を見つける。でもこの道には入り込まない。川俣町の案内だとこの道は沢沿いを詰める道で、途中藪漕ぎがあるという。もう藪漕ぎは御免である。そのすぐ先に鉄塔コースがあり、そこを歩く予定なのだ。
(笠松池)
樹木に囲まれた笠松池が見えると車道の向かいにこれまた布引山登山口と書かれた標識がある。ここが鉄塔コースだ。鉄塔管理道ということもあり、一応綺麗に刈払いが済んでいる。問題は日差しを避けられないこととアップダウンの多さだ。地形図を見ていて予想はしていたことだが、登り始めは傾斜がきつい。土留めの木段などもあってペースが落ちる。切り開かれた登山道脇には、ここにもアオダモの花が咲いている。頭上に一つ目の鉄塔が見えてきた。振り返ると山の上のほうまで伐採が進んだ麓山が見える。改めてみると麓山もなだらかな山だ。
(鉄塔管理道入口)
(麓山を振り返る)
355のピーク手前で道は左へ曲がる。伐採跡地の遷移が進んだのか展望が開け、ちょうど安達太良山の眺めが良い。355のピークを通らずに道は雑木林の中へと進んでいく。ようやく日差しが避けられて、一息つける。再び頭上が明るくなると東北電力の看板が現れ、道が分岐する。尾根伝いの道は鉄塔下で行き止まり。南東へ向かってトラバースする道を下ると杉林となる。杉林を抜けると藪っぽい湿地帯の脇に出る。右手にヌタ場のような水溜りがある。川俣町のHPによるとこれは菖蒲池というそうだ。道が右に傾いていてちょっと怖い。しかも藪で道が隠されている上、マムシが潜んでいるとの噂もある。
(安達太良山)
(雑木林の縦走路)
(湿地帯の脇を抜ける)
(菖蒲池)
足早に湿地帯を抜けると小広い杉林の中に入る。杉の葉で踏み跡が隠され、少々戸惑う。それでも杉林から抜け出れば、木段の付いた伐採地に辿りつく。尾根が南西方面へと突き出している辺りだろうか。鉄塔を目指してきつい木段を登る。登りきると送電線脇に三角形をした千貫森とその背後の吾妻山の眺めが良い。雑木林の上には安達太良山も見えている。ここから先は鉄塔をつなぐ開けたトラバース道を進む。道は南西方向に傾いており、うっかり足を滑らすと斜面を転げ落ちそうだ。しかも日差しでかなり暑い。次の鉄塔を目指してアップダウンを繰り返す。沢地形を横切る所があり、木段の上り下りが鬱陶しい。木段を登りきると胡麻作池からの道が合流してくる。道標が立つが、胡麻作池方面の掘割道は完全に藪の中だ。
(杉林 道が少々わかりにくい)
(杉林を抜けた所)
(鉄塔を見上げる)
(鉄塔近くから 手前が千貫森 奥は吾妻山)
(安達太良山)
(足元が不安定なトラバース道を進む)
(胡麻作池分岐)
登山口から数えると四つ目、杉林を抜けてから数えると二つ目の鉄塔下までやって来た。鉄塔の右手、山側に刈払いの済んだ道が延びている。管理道だけあって、この道の整備状況はすこぶる良好だ。刈払われた道を進むと雑木林の中に入る。火照った体を冷ますようにゆっくりと歩く。傾斜はそれほど急でなく、新緑の美しさを楽しみつつ、山頂を目指す。何度か分岐があるが、藪っぽい所は避けて、歩きやすいほうを進む。やがて道が右手へ緩やかに下る分岐で山頂方面の道に入る。道標にしたがって進むと人為的に掘削された広場に出た。広場は山頂方面から下ってきた林道の待避所として使われているらしい。広場から右に林道のような広い道を進む。十万劫山でもそうであったが、林道のような道になるとやや興を削がれる。
(この切り開きから雑木林へ入る)
(雑木林の中、山頂を目指す)
(待避所のような広場)
緩やかに登ると布引山(430.1)に到着だ。松の木などに囲まれた広い山頂で、二基の祠と三角点がある。展望は殆ど得られないが、安達太良山と吾妻山の方角が少しだけ開けている。川俣町のHPによると二基の祠は風神・雷神を祀ったもので、布引山も信仰の対象となっているという。そして町内の人には鳴神堂と呼ばれることが多いという。平たい山容はお堂のようでもあり、相応しい名といえよう。もちろん布引山も絹の里と呼ばれる川俣町に相応しい名だと思う。ただ布引山は由来がどうもわからない。木陰にザックを置いて、広場の縁にある切り株に腰掛けて休憩を取る。羽山の登山口からここまで誰一人出会うことがない。新緑の美しい山を独り占めできた気分である。
(布引山頂上)
(頂上からの安達太良山)
下りは一旦往路を戻る。林道の広場から更に先の分岐に戻り、テレビ塔・川俣小学校と道標に書かれたほうへ進む。こちらも雑木林で覆われた緩やかな道が続く。よく整備されていて、草を被るところもない。少し登り返した後は只管の下り。前方が開けてくると送電線の下に出る。電線の切り開きからは川俣町の市街地が見下ろせる。阿武隈の山を歩いてきて、初めて見る光景だ。再び雑木林に入ったかと思うとまたも鉄塔がある。鉄塔越しではあるが、花塚山の眺めが良い。ここを過ぎるとテレビ塔までは雑木林の道を歩く。不意に前方が明るくなってくれば、テレビ塔の脇に出る。
(山頂からテレビ塔・川俣小学校方面の入口 同時に胡麻作池・菖蒲池・笠松池方面の入口でもある)
(雑木林がこちらも美しい)
(送電線下で展望が開ける)
(花塚山)
(テレビ塔)
テレビ塔から先はしばらく砂利道を下る。途中胡麻作池への分岐があったが、HPにも無い道で、ここも藪っぽい。所々南側が開けていて、花塚山の眺めが良い。…と思っていたら口太山であった。民家が見えてくれば、舗装された車道へと変わる。道が右にカーヴする辺りにちょっとした見晴らしがある。眼下に見えるのは中心市街地で、左手奥に見えるのは…花塚山だ。今度は間違いないだろう。見晴らしを過ぎれば、桜などが植わる車道を下っていくだけだ。傾斜は比較的緩やかで、山の車道としては歩きやすい。しばらく下っていくと春日神社を示す道標がある。ここも藪だらけで下っていく勇気は無い。クネクネと曲がる急カーヴを過ぎると右手にモダンな建物が見えてきた。これが川俣小学校だろうか。道なりに下っていくと建物の正面に出る。やはり川俣小学校であった。学校の向かいには案内板が設けられていた。
(口太山)
(花塚山)
(民家の近くの見晴台)
(見晴台からの眺め)
(見晴台から花塚山)
(桜が植わった車道)
(春日神社分岐)
(川俣小学校)
高台の小学校から市街地へと下りていく。小学生位の野球少年たちが自転車で通り過ぎていく。結局山中では人に会うことはなかった。身近な山過ぎて歩く人もいないということなのだろうか。市街地に入り、広瀬川沿いに南下する。正面にこんもりとした舘ノ山が見え、奥には口太山が頭を覗かせている。川沿いをこのまま進んでもよいが、川向こうの小さな山の中腹にお堂が見えたので、そちらへ寄ってみることにする。橋を渡り、商店街へと出ると店は皆シャッターを閉めていて、歩いている人はいない。車道を横切り、裏路地を抜けて石段を登っていく。お堂まで上がると中心街が見下ろせる。遠くは吾妻山までが見える。
(広瀬川から舘ノ山と口太山)
(路地を抜ける)
(高台のお堂)
(吾妻山が見える)
お堂に至る石段からは山の上部に向かって道が付けられている。道を上がると公園のような所へ出る。人の声がするほうへ向かうと小手姫像と書かれた道標を見つける。紙の地形図を見るとここは中央公園と書かれている。折角ここまで来たのなら、川俣町のシンボルでもある小手姫像を見てみたい。一旦人の声がしたみはらし広場とかかれたほうへ進むと、中高年のグループが宴会の最中であった。騒がしいのは苦手なので、そのまま舗装路へと入る。日本庭園の池や音楽堂のステージを見送り、舗装路を上がっていく。ここに来ての舗装路の登りはきついなぁと思っていると、ヘアピンカーヴの辺りから山道が延びている。山道を上がると観音像が乱雑に立ち並ぶ一画に出る。先には赤いお堂があり、案内図によると峰能観音というらしい。
(観音像が立ち並ぶ)
お堂の先を進むと下から延びてきた舗装路に下り立つ。小手姫(おてひめ)像はこの先だろう。舗装路を上がると小手姫像のある広場(270)へと出る。ううむ。結構大きな像だ。近くに寄ってお顔を見上げると…怖い。何か睨まれてないか?心なしか眉間に皺が寄っているような気がしないでもない。ちなみに小手姫様は崇峻天皇のお后で、天皇暗殺後、難を逃れた蜂子皇子を探しに川俣町を訪れたという。そしてこの地にとどまり、養蚕の技術を広めたと伝えられている(Wikipedia参照)。小手姫像の脇には養蚕の様子を伝えるレリーフが設けられていた。
(小手姫の像)
(アップで)
(下で見上げているのはtokoro)
往路を戻り、商店街から鉄炮町に出る。この辺りは休日でも店を開けていて、先ほどの静けさが嘘のような賑わいだ。バス停はすぐ近くにあるのだが、今日はお土産にシルクのスカーフを頼まれているので、道の駅川俣へと延々と歩く。前回歩いた二本松に比べれば長閑な街ではある。でも和菓子屋さんなどは点々と店を開けていて、賑わいはある。炎天下、辛い車道歩きをこなして何とか道の駅川俣へと辿りつく。売店のあるシルクピア以外にも展示館などがある。とりあえず母の日の贈り物としてシルクのスカーフを購入した。3千円位の比較的安いものだが、柄は綺麗だ。高いものだと世界一細い絹糸で出来たスカーフで2万5千円位する。うーん、絹はやはり高価だ。他にシャモメンチなどを買い込み、バスが来るのをゆっくりと待つ。ここは屋根のある所にベンチがないので、トイレの前で待つしかない。出来れば道の駅あしがくぼのように、東屋の下にベンチを置いて欲しいのだが。
(布引山を望む)
(道の駅川俣 手前の建物は織物展示館)
一時間ほど時間を潰してバスに乗り込む。このまま帰りたいところだが、今日はもう一つ寄るところがある。福島市の立子山地区に民家のオープンガーデンがあり、ちょうど山ツツジと芝桜が見頃なのだ。バスで十二社へ向かう際にチラっと目に入ったので、ちょっと寄ってみることにしたのだ。野城(のじょう)バス停で降り、まずは山ツツジを見に行く。入川沿いに下っていくと山ツツジの群落がある。中田山公園と名付けられ、他に花桃なども植えられていた。個人宅でこれだけの規模のものとなるとなかなか無いだろう。もうひとつ芝桜へ寄ろうとしたが、もう次のバス時間が来てしまった。泣く泣くバスに乗り込む。一月半福島に居たが、これほど山を歩いたのは今回が初めてであった。公共交通機関を使っての山歩きには不便な所ではあるが、探せば歩ける所は他にもまだあるだろう。いつかまたゆっくりと歩ける機会があることを願いつつ、最後の山歩きを終えたのだった。
(中田山公園)
DATA:
福島駅東口(JRバス東北)十二社9:39~10:00烏合内登山口~10:27鞍部~10:36羽田羽山~11:01小神麓山~11:37農家の入口
~11:43笠松池~11:58菖蒲池~12:18布引山12:29~12:42テレビ塔~13:04川俣小学校~13:27中央公園(小手姫像)~
13:44川俣町役場~14:07道の駅川俣(JRバス東北)野城(JRバス東北)福島駅東口
トイレ 中央公園 道の駅川俣など
JRバス東北 福島駅東口~十二社 740円
地形図 月舘 川俣
歩数:27,748歩
今回歩いた烏合内から羽田羽山のルートは藪歩きの経験がない人にはお薦めできません。どうしても歩いてみたいという方は11月以降の草の勢いが弱まった時期がよいでしょう。その他羽田羽山・小神麓山・布引山の情報については、川俣町のHPに詳細が載っています。参考にしてください。
阿武隈高地は海底で堆積した古い地層が隆起して陸地となり、その後の侵食作用によってなだらかな地形になった、と考えられている(Wikipediaより)。そして地質の硬い部分が残った所は特異な形状をした独立峰となっており、綺麗な円錐形の千貫森はその典型だろう。また近くにある女神山や前回登った口太山などもそうした中に入る。他方で天井山や十万劫山はなだらかな丘で、低山ながらも縦走ハイキングが楽しめる。今回登る羽山・麓山・布引山はどちらかといえば、なだらかな丘に類する山だといえる。当然麓や他の山から見て、それほど目立つ山ではない。そのためあまり登山対象とはなっていないようだが、その分、静かな山歩きが楽しめる。どれも400m余りと大きな山ではないので、のんびりとした山歩きが楽しめるものと期待して出掛けた。
今日は福島駅東口からJRバス東北に乗る。この路線は土日ダイヤでも比較的朝早くから出ていて、山歩きには都合が良い。川俣町の中心市街地に出れば、他の路線に乗り継ぐこともでき、バス登山不毛の地福島にあっては貴重な路線である。前回降りたUFOの里を通り過ぎ、青木平バス停から先は川俣町に入る。十二社(じゅうにしろ)バス停周辺は結構開けた所で、バス停のすぐ近くに羽田春日神社の石段がある。今日最初に登る羽山はこの辺りにある羽田地区の信仰を集めていて、羽田羽山(はねだはやま)とも呼ばれている。今日一日の安全をお祈りして、境内へ延びている車道を下りていく。すると正面に樹木に覆われた低い山が見える。このときは気付かなかったのだが、この山が麓山であったようだ。森を挟んで右に見えるのは木幡山らしい。
(木幡山 左の低いほうは福沢羽山)
(わかりにくいけれども羽山と麓山と布引山)
境内から下りてくると細い農道に出る。周辺は意外と稲作が盛んならしい。果樹栽培の多い旧伊達町や旧保原町、桑折町辺りとは大分違った光景だ。農道を進むと左手に無骨な台形の山が見える。女神山だ。形の良い山だが、どちらかといえば男性的な姿をしている。やや広い車道と交錯する辺りで道がわかりにくくなる。地形図と異なり、新しく道を整備したらしい。女神山への道標はあるが、羽山へはないので、少々迷う。車道を横切り、細い道へ入ると、ここも地形図とは印象が異なる。それでも紙の地形図には登山口のすぐそばに送電線が走っているので、それを目指して道なりに進んでいく。すると送電線を過ぎた直後に羽山登山口と書かれた看板を発見する。川俣町のHPによると、ここは烏合内(からすごううち)登山口と呼ばれている。そばで御爺さんが座っていたので挨拶を交わす。そのとき怪訝な顔をされた。見知らぬ顔だったので戸惑ったのだろうと思ったのだが、それは間違いだったことを後で思い知らされることになる。
(女神山)
(稲作が盛ん)
(烏合内の登山口)
民家や板金工場が建ち並ぶ車道を歩いていく。やけに犬の鳴き声がうるさい。すると突然一匹の犬が民家から飛び出してきた。一瞬ヒヤっとしたが、可愛らしいミニチュアダックスフンドだ。但しリードは着けていないので、あまり構うと拙い。気にしないようにして足早に立ち去る。民家が無くなるといよいよ登山道の始まりだ。信仰の山らしく、登山口には比較的新しいお堂が建っている。やや草が被った道を歩き始める。傾斜は緩く、悪くない。所々大きな岩が出ていて、どことなく奥武蔵を思わせる。違いといえば雑木林が圧倒的に多いということだろう。町の花にもなっている山ツツジも鮮やかだ。
(山ツツジ)
(大岩が露出する登山道 最初は良いんだけどなぁ…)
このまま楽な道が続いていくものと思っていたのも束の間、段々と行く手を藪が覆うようになっていく。最初の内は余り気にもしなかったが、登るにつれてますます藪濃くなっていく。倒木もあり、踏み跡も見失ってしまった。本当にこれは一般ルートなのだろうか。なるべく沢に沿って歩こうとすると、突然靴が泥に埋まってしまった。どうやら沢のそばは休耕田となっているようだ。あまり端に寄るとヌタ場と化した休耕田に嵌ってしまうので、出来る限り地面の固い所を探りながら進んでいく。これは本当に道なのだろうかと不安になる頃、羽山登山道と書かれた看板を発見する。これで間違いはないらしい。薄くなったり、濃くなったりする藪に悩まされつつも、15分程で鞍部が見えてきた。結局鞍部が見えてくる間際まで、藪に悩まされ続けてしまった。鞍部は形の良い切通しとなっている。伊達市月舘町へ下る道は整備されている雰囲気はある。現在は月舘町側から上がるのが主流なのだろうか。
(徐々に藪深くなっていく)
(一頻り藪漕ぎした後、標識を発見)
(休耕田 鞍部の近くまで延々と続く)
(比較的藪の薄い所 左手に踏み跡が見えている)
(猛烈な藪 倒木も多い)
(鞍部が見えてきた)
(鞍部の切り通し 向かいは月舘町へと下っている)
羽山への尾根道は藪も無く良い道が続く。若葉の茂った雑木林の新緑が眩しいほどに輝いている。今日は天気が良く、気温も上がっているので、新緑に覆われた道は涼しくて気持ちが良い。藪を刈ったやや雑然とした道となると、左手に道が分岐する。傍らには羽山神社と書かれた道標がある。分岐を上がっていくと炭焼きに使うような石積みが現れる。ここが羽山神社の祠であるらしい。祠の周辺は樹林に覆われているが、安達太良山方面のみ、少し展望が開けている。一応ここが山頂とされているようだ。
(縦走路 雑木林が多い)
(羽山神社)
(安達太良山方面の眺め)
分岐に戻り、縦走路らしき道を進む。コンパスが無いので、方向がわからず、確証が得られないのだ。そういえば羽山神社には三角点がなかった。おそらく縦走路の上に見える尾根のどこかにあるのだろう。縦走路を進むと何か独特な香りが匂ってきた。見ると細くて白い花びらを枝に付けた木が立っている。葉っぱを見ると前回口太山に登ったときに見掛けたアオダモに似ている。後で調べてみたらマルバアオダモというらしい。縦走路を進むと下って尾根に出てしまう。三角点へはどこから上がったらよいのやら。尾根上に出る手前を探ってみると藪の中に薄い踏み跡がある。また藪漕ぎをするのか…。それでも鞍部に登ってくるまでよりかは薄い藪で、一頻り進むと三角点(422.7)があった。
(マルバアオダモ)
(藪の中に三角点がある)
(三角点への入口 いくらか藪は薄め)
縦走路に戻り、改めて麓山を目指す。雑木林の中をフラットな道が続く。山頂付近が藪だったのに対し、やけに良い道だ。調子に乗って進んでいると道はやがて尾根の東側を巻くように下っていく。麓山はどこへ行った?訝しがりながらもそのまま下っていくと正面になだらかな山が見えてきた。おそらく布引山だろう。この先は小神と小島をつなぐ林道に出るに違いないという見当が付いたので、引き返して麓山を探す。
(麓山への縦走路 距離は短いが良い道だ)
(縦走路から花塚山を眺める)
(正面に見えるのは布引山)
さて取り付きだが、実は尾根が東側を巻く辺りで切り通しのような不自然な地形に気付いていた。その辺りを改めて探ってみると切り通しの裏側に踏み跡らしきものを見つける。踏み跡は麓山頂上の西側を巻くように付けられているので、適当な所で尾根へと上がる。藪がやや薄いのが救いか。急斜面には何となく踏み跡らしきものもある。そこを辿っていくと祠の裏側へと出た。祠を回り込むと小神麓山(422 こがみはやま)と書かれた石柱が建っている。ここが山頂で間違いないだろう。石柱を見ると標高は420メートルと書かれていた。傍らには破れた和紙が散乱していて、幟でもあったのだろうと推測する。
(小神麓山頂上)
展望は全くないものの、これまであまり息つく暇もなかったので、少しだけ休憩を取る。林の中を涼しげな風が抜けていく。準備を整え、再び歩き始める。まずは目の前に延びる尾根を下ってみる。方向からすると小神の集落へと下っていくのだろう。川俣町のHPには小神麓山を含め、川俣町を代表する山の登山ルートが掲載されている。それによると小神へ下りる途中に布引山方面へ下るルートに合流できる分岐があるということだ。それを信じて下っていくが、先ほど布引山が見えた辺りよりも更に下っても分岐が見当たらない。たぶん廃道化したのだろうと考え、山頂へ引き返し、素直に縦走路から布引山へと下ることにした。日当りの良い縦走路は麓山を東に巻く辺りから林道のような砂利道へと変わる。草が伸びているのが鬱陶しい。布引山が見えた辺りまで戻り、そこから更に下っていく。クルマが通れるようにするためか、大きなジグザグを描いている。時折展望が開け、正面になだらかな布引山が横たわる。その奥に見えるのは花塚山だ。
(縦走路から下って 手前は布引山 奥は花塚山)
(山ツツジ)
傾斜が緩んでくると道は直線的に下っていく。刈払いの済んだ道を下ると正面が開けてきた。なだらかな布引山の奥に見えるのは口太山と木幡山だ。ようやくこの二つの山は見慣れてきた。そのまま下っていくと広い伐採地に出る。花卉栽培なのか、斜面南西側は低い木がびっしりと植えられている。南東側は伐採されたままで、広い道の脇に1本だけ大きな木が残されていた。展望は良く、布引山の全貌と、左手には花塚山へ延びる尾根、右手には口太山と木幡山が見渡せる。ここはおそらく農家の敷地内なのだろうけれども、ザックを置いてしばらくこの展望に見入ってしまった。
(伐採地の入口 左奥が口太山 右奥は木幡山)
(布引山 残った木に風情を感じる)
(口太山と木幡山)
(伐採地上部からのパノラマ)
布引山の正面に見据えつつ、日当りの良い道をどんどん下る。5月中旬ともなると流石に暑い。農具小屋の脇から民家の前を通り過ぎる。放し飼いの犬でも出てこないかとビクビクしながら歩く。すると人間のものでないフーッ、フーッという息遣いが聞こえてきた。見回すと立派な黒い牛がこちらを窺っている。綱につながれているとはいえ、体の大きさといい、尖った角といい、迫力十分だ。よく見ると奥にも数頭の牛と山羊が飼われていた。作業服が沢山吊るしてあったので、畜産などを営む農家なのだろう。
(布引山を眺めつつ下る)
(口太山)
(木幡山)
(伐採地下部から)
(牛)
農家の敷地から車道へと出る。川俣町のHPによると下手渡藩駕籠立場の碑があるらしいのだが、発見できなかった。布引山の登山口へはこの車道を笠松池まで下っていく。細い山間の車道ながら交通量は意外と多い。紙の地形図には笠松池の近くを送電線が通っているので、それを目指して進んでいく。そろそろ送電線の下に来たなと思う頃、左手の畑の脇に布引山登山口と書かれた標識を見つける。でもこの道には入り込まない。川俣町の案内だとこの道は沢沿いを詰める道で、途中藪漕ぎがあるという。もう藪漕ぎは御免である。そのすぐ先に鉄塔コースがあり、そこを歩く予定なのだ。
(笠松池)
樹木に囲まれた笠松池が見えると車道の向かいにこれまた布引山登山口と書かれた標識がある。ここが鉄塔コースだ。鉄塔管理道ということもあり、一応綺麗に刈払いが済んでいる。問題は日差しを避けられないこととアップダウンの多さだ。地形図を見ていて予想はしていたことだが、登り始めは傾斜がきつい。土留めの木段などもあってペースが落ちる。切り開かれた登山道脇には、ここにもアオダモの花が咲いている。頭上に一つ目の鉄塔が見えてきた。振り返ると山の上のほうまで伐採が進んだ麓山が見える。改めてみると麓山もなだらかな山だ。
(鉄塔管理道入口)
(麓山を振り返る)
355のピーク手前で道は左へ曲がる。伐採跡地の遷移が進んだのか展望が開け、ちょうど安達太良山の眺めが良い。355のピークを通らずに道は雑木林の中へと進んでいく。ようやく日差しが避けられて、一息つける。再び頭上が明るくなると東北電力の看板が現れ、道が分岐する。尾根伝いの道は鉄塔下で行き止まり。南東へ向かってトラバースする道を下ると杉林となる。杉林を抜けると藪っぽい湿地帯の脇に出る。右手にヌタ場のような水溜りがある。川俣町のHPによるとこれは菖蒲池というそうだ。道が右に傾いていてちょっと怖い。しかも藪で道が隠されている上、マムシが潜んでいるとの噂もある。
(安達太良山)
(雑木林の縦走路)
(湿地帯の脇を抜ける)
(菖蒲池)
足早に湿地帯を抜けると小広い杉林の中に入る。杉の葉で踏み跡が隠され、少々戸惑う。それでも杉林から抜け出れば、木段の付いた伐採地に辿りつく。尾根が南西方面へと突き出している辺りだろうか。鉄塔を目指してきつい木段を登る。登りきると送電線脇に三角形をした千貫森とその背後の吾妻山の眺めが良い。雑木林の上には安達太良山も見えている。ここから先は鉄塔をつなぐ開けたトラバース道を進む。道は南西方向に傾いており、うっかり足を滑らすと斜面を転げ落ちそうだ。しかも日差しでかなり暑い。次の鉄塔を目指してアップダウンを繰り返す。沢地形を横切る所があり、木段の上り下りが鬱陶しい。木段を登りきると胡麻作池からの道が合流してくる。道標が立つが、胡麻作池方面の掘割道は完全に藪の中だ。
(杉林 道が少々わかりにくい)
(杉林を抜けた所)
(鉄塔を見上げる)
(鉄塔近くから 手前が千貫森 奥は吾妻山)
(安達太良山)
(足元が不安定なトラバース道を進む)
(胡麻作池分岐)
登山口から数えると四つ目、杉林を抜けてから数えると二つ目の鉄塔下までやって来た。鉄塔の右手、山側に刈払いの済んだ道が延びている。管理道だけあって、この道の整備状況はすこぶる良好だ。刈払われた道を進むと雑木林の中に入る。火照った体を冷ますようにゆっくりと歩く。傾斜はそれほど急でなく、新緑の美しさを楽しみつつ、山頂を目指す。何度か分岐があるが、藪っぽい所は避けて、歩きやすいほうを進む。やがて道が右手へ緩やかに下る分岐で山頂方面の道に入る。道標にしたがって進むと人為的に掘削された広場に出た。広場は山頂方面から下ってきた林道の待避所として使われているらしい。広場から右に林道のような広い道を進む。十万劫山でもそうであったが、林道のような道になるとやや興を削がれる。
(この切り開きから雑木林へ入る)
(雑木林の中、山頂を目指す)
(待避所のような広場)
緩やかに登ると布引山(430.1)に到着だ。松の木などに囲まれた広い山頂で、二基の祠と三角点がある。展望は殆ど得られないが、安達太良山と吾妻山の方角が少しだけ開けている。川俣町のHPによると二基の祠は風神・雷神を祀ったもので、布引山も信仰の対象となっているという。そして町内の人には鳴神堂と呼ばれることが多いという。平たい山容はお堂のようでもあり、相応しい名といえよう。もちろん布引山も絹の里と呼ばれる川俣町に相応しい名だと思う。ただ布引山は由来がどうもわからない。木陰にザックを置いて、広場の縁にある切り株に腰掛けて休憩を取る。羽山の登山口からここまで誰一人出会うことがない。新緑の美しい山を独り占めできた気分である。
(布引山頂上)
(頂上からの安達太良山)
下りは一旦往路を戻る。林道の広場から更に先の分岐に戻り、テレビ塔・川俣小学校と道標に書かれたほうへ進む。こちらも雑木林で覆われた緩やかな道が続く。よく整備されていて、草を被るところもない。少し登り返した後は只管の下り。前方が開けてくると送電線の下に出る。電線の切り開きからは川俣町の市街地が見下ろせる。阿武隈の山を歩いてきて、初めて見る光景だ。再び雑木林に入ったかと思うとまたも鉄塔がある。鉄塔越しではあるが、花塚山の眺めが良い。ここを過ぎるとテレビ塔までは雑木林の道を歩く。不意に前方が明るくなってくれば、テレビ塔の脇に出る。
(山頂からテレビ塔・川俣小学校方面の入口 同時に胡麻作池・菖蒲池・笠松池方面の入口でもある)
(雑木林がこちらも美しい)
(送電線下で展望が開ける)
(花塚山)
(テレビ塔)
テレビ塔から先はしばらく砂利道を下る。途中胡麻作池への分岐があったが、HPにも無い道で、ここも藪っぽい。所々南側が開けていて、花塚山の眺めが良い。…と思っていたら口太山であった。民家が見えてくれば、舗装された車道へと変わる。道が右にカーヴする辺りにちょっとした見晴らしがある。眼下に見えるのは中心市街地で、左手奥に見えるのは…花塚山だ。今度は間違いないだろう。見晴らしを過ぎれば、桜などが植わる車道を下っていくだけだ。傾斜は比較的緩やかで、山の車道としては歩きやすい。しばらく下っていくと春日神社を示す道標がある。ここも藪だらけで下っていく勇気は無い。クネクネと曲がる急カーヴを過ぎると右手にモダンな建物が見えてきた。これが川俣小学校だろうか。道なりに下っていくと建物の正面に出る。やはり川俣小学校であった。学校の向かいには案内板が設けられていた。
(口太山)
(花塚山)
(民家の近くの見晴台)
(見晴台からの眺め)
(見晴台から花塚山)
(桜が植わった車道)
(春日神社分岐)
(川俣小学校)
高台の小学校から市街地へと下りていく。小学生位の野球少年たちが自転車で通り過ぎていく。結局山中では人に会うことはなかった。身近な山過ぎて歩く人もいないということなのだろうか。市街地に入り、広瀬川沿いに南下する。正面にこんもりとした舘ノ山が見え、奥には口太山が頭を覗かせている。川沿いをこのまま進んでもよいが、川向こうの小さな山の中腹にお堂が見えたので、そちらへ寄ってみることにする。橋を渡り、商店街へと出ると店は皆シャッターを閉めていて、歩いている人はいない。車道を横切り、裏路地を抜けて石段を登っていく。お堂まで上がると中心街が見下ろせる。遠くは吾妻山までが見える。
(広瀬川から舘ノ山と口太山)
(路地を抜ける)
(高台のお堂)
(吾妻山が見える)
お堂に至る石段からは山の上部に向かって道が付けられている。道を上がると公園のような所へ出る。人の声がするほうへ向かうと小手姫像と書かれた道標を見つける。紙の地形図を見るとここは中央公園と書かれている。折角ここまで来たのなら、川俣町のシンボルでもある小手姫像を見てみたい。一旦人の声がしたみはらし広場とかかれたほうへ進むと、中高年のグループが宴会の最中であった。騒がしいのは苦手なので、そのまま舗装路へと入る。日本庭園の池や音楽堂のステージを見送り、舗装路を上がっていく。ここに来ての舗装路の登りはきついなぁと思っていると、ヘアピンカーヴの辺りから山道が延びている。山道を上がると観音像が乱雑に立ち並ぶ一画に出る。先には赤いお堂があり、案内図によると峰能観音というらしい。
(観音像が立ち並ぶ)
お堂の先を進むと下から延びてきた舗装路に下り立つ。小手姫(おてひめ)像はこの先だろう。舗装路を上がると小手姫像のある広場(270)へと出る。ううむ。結構大きな像だ。近くに寄ってお顔を見上げると…怖い。何か睨まれてないか?心なしか眉間に皺が寄っているような気がしないでもない。ちなみに小手姫様は崇峻天皇のお后で、天皇暗殺後、難を逃れた蜂子皇子を探しに川俣町を訪れたという。そしてこの地にとどまり、養蚕の技術を広めたと伝えられている(Wikipedia参照)。小手姫像の脇には養蚕の様子を伝えるレリーフが設けられていた。
(小手姫の像)
(アップで)
(下で見上げているのはtokoro)
往路を戻り、商店街から鉄炮町に出る。この辺りは休日でも店を開けていて、先ほどの静けさが嘘のような賑わいだ。バス停はすぐ近くにあるのだが、今日はお土産にシルクのスカーフを頼まれているので、道の駅川俣へと延々と歩く。前回歩いた二本松に比べれば長閑な街ではある。でも和菓子屋さんなどは点々と店を開けていて、賑わいはある。炎天下、辛い車道歩きをこなして何とか道の駅川俣へと辿りつく。売店のあるシルクピア以外にも展示館などがある。とりあえず母の日の贈り物としてシルクのスカーフを購入した。3千円位の比較的安いものだが、柄は綺麗だ。高いものだと世界一細い絹糸で出来たスカーフで2万5千円位する。うーん、絹はやはり高価だ。他にシャモメンチなどを買い込み、バスが来るのをゆっくりと待つ。ここは屋根のある所にベンチがないので、トイレの前で待つしかない。出来れば道の駅あしがくぼのように、東屋の下にベンチを置いて欲しいのだが。
(布引山を望む)
(道の駅川俣 手前の建物は織物展示館)
一時間ほど時間を潰してバスに乗り込む。このまま帰りたいところだが、今日はもう一つ寄るところがある。福島市の立子山地区に民家のオープンガーデンがあり、ちょうど山ツツジと芝桜が見頃なのだ。バスで十二社へ向かう際にチラっと目に入ったので、ちょっと寄ってみることにしたのだ。野城(のじょう)バス停で降り、まずは山ツツジを見に行く。入川沿いに下っていくと山ツツジの群落がある。中田山公園と名付けられ、他に花桃なども植えられていた。個人宅でこれだけの規模のものとなるとなかなか無いだろう。もうひとつ芝桜へ寄ろうとしたが、もう次のバス時間が来てしまった。泣く泣くバスに乗り込む。一月半福島に居たが、これほど山を歩いたのは今回が初めてであった。公共交通機関を使っての山歩きには不便な所ではあるが、探せば歩ける所は他にもまだあるだろう。いつかまたゆっくりと歩ける機会があることを願いつつ、最後の山歩きを終えたのだった。
(中田山公園)
DATA:
福島駅東口(JRバス東北)十二社9:39~10:00烏合内登山口~10:27鞍部~10:36羽田羽山~11:01小神麓山~11:37農家の入口
~11:43笠松池~11:58菖蒲池~12:18布引山12:29~12:42テレビ塔~13:04川俣小学校~13:27中央公園(小手姫像)~
13:44川俣町役場~14:07道の駅川俣(JRバス東北)野城(JRバス東北)福島駅東口
トイレ 中央公園 道の駅川俣など
JRバス東北 福島駅東口~十二社 740円
地形図 月舘 川俣
歩数:27,748歩
今回歩いた烏合内から羽田羽山のルートは藪歩きの経験がない人にはお薦めできません。どうしても歩いてみたいという方は11月以降の草の勢いが弱まった時期がよいでしょう。その他羽田羽山・小神麓山・布引山の情報については、川俣町のHPに詳細が載っています。参考にしてください。