(伊豆ヶ岳岩場の天辺から二子山)
「伊豆ヶ岳から子の権現」というと昔から多くの登山者が集うクラシックルートである。人気のあるルートではあるのだが、アップダウンが激しく初心者向けのルートとは言い難い。かつて目の前で遭難事故を目撃して以来、しばらくこのルートは歩いていなかった。だが「奥武蔵の展望スポット」をまとめていて、久しぶりにこのルートを歩いてみたくなった。子の権現からの下山ルートについてはいつも迷うのだが、今回は本陣山を訪れてみることにした。
今日は長丁場になりそうだということもあり、冬場にしてはやや早い時間に正丸駅に到着した。駅舎前には飯能市の委託を受けた調査員がおり、今日の行程などを聞かれた。調査員の話によると今日も既に7,8人が入山しているという。日が昇るのが遅い時期にもかかわらず皆早いものだ。今日は一年ぶりに大蔵山集落から「馬頭さま」まで行き、そのまま車道を上がって正丸峠へと訪れる予定だ。まずは歩きなれた大蔵山集落を行く。前方には二人の登山者の姿が見える。山間の集落ながら、クルマの停まっている家が多い。それだけ人が住んでいるということだ。駅から20分ほどで馬頭さまに到着。馬頭さまの大岩の側には椛が最後の紅葉を見せてくれていた。
(大蔵山集落の椛)
(馬頭さま)
先行していた二人は伊豆ヶ岳方面へ向かい、正丸峠へ向かうのはボクだけのようだ。上着を脱ぎ、そのまま車道を上がると、道は民家の先で山道となる。沢沿いの道は杉林に覆われて暗いものの、それほど寒さは感じない。夏場ひんやりとしているのとは対照的だ。緩やかな傾斜の道を上がっていくと正丸峠ガーデンハウスへの道が分かれる。今日はこのまだ歩いたことのないガーデンハウスへの道を上がってみることにする。土留めの木段を少し上がると道は大きな九十九折となる。傾斜は緩く、歩きやすい。やがて上部にガードレールが見えてくる。正丸峠へ向かう車道かと思いきや、ガーデンハウスのものらしい。そのままガードレールを見送るとガーデンハウス入口の脇から車道に出る。
(正丸峠への道)
車道に出るとガーデンハウス前にクルマを停めていた初老の男性に声をかけられる。「紅葉はもう終わり?」と聞かれたので、今シーズンは終わったことや正丸峠からの眺めが良いことなどを伝えた。でもクルマで来ていたのだから、今思うと刈場坂峠辺りを教えたほうが良かったのかもしれないと反省する。男性と別れ、正丸峠まではしばらく車道歩き。途中開けたところがあり、どこなのか尖った山が見えた。車道歩きも面倒だなぁと思う頃、奥村茶屋の建つ正丸峠に着く。ジンギスカンで有名な奥村茶屋だが、まだ開店には時間が早いようだ。奥村茶屋の駐車場からは南側の眺めが良い。反対に北西側も一部開けたところがあるが、正面に見えるのは武川岳あたりだろうか。
(奥村茶屋の建つ正丸峠)
(南側の眺め)
(北西側の眺め)
峠で写真を撮っていると先ほどの男性のクルマがやって来た。峠を越えて秩父方面へと行くらしい。さてそろそろ縦走路へと入ろう。奥村茶屋の裏が縦走路への道となっている。大蔵山集落からの道が下から延びてくるので、そこには入らないよう注意したい。奥村茶屋の裏手からは正丸峠ガーデンハウスの建物が見えた。茶屋の中からだともっとわかりやすいのだろう。土留めの木段を上がるとすぐに緩やかな尾根が続く。意外と周囲は雑木林が多い。なだらかな縦走路は笹の生えている所も多く、子の権現から竹寺への縦走路にあった笹のトンネルを思い出す。やがて道が二手に分かれるので、尾根に上がると峠から二番目にある小ピークに出る。木でできた粗末なベンチが置かれ、北側の展望が開ける。手前にある三角形の山は正丸山か川越山辺りだろう。ここは670mくらいあるためか、正丸峠ガーデンハウスの建物は大分低い位置に見える。
(正丸峠からガーデンハウスの建物を眺める)
(笹の生える尾根)
(小ピークからの眺め)
縦走路へ戻り、少し登り返すと小広い山頂の小高山(720 但し地形図だと700m位か)に着く。かつては茶屋があり、小母さんが経営していたという。そういえばこの近辺にはかつて高山不動の萩ノ平茶屋や刈場坂峠のりんどう茶屋などがあった。皆女性がやっていたのだが、どちらも今は無い。ただ萩ノ平茶屋には小屋のみが残されたままだ。ここ小高山にもかつては小屋が残されていたものの、それも登山者の失火で無くなってしまったという。山頂からは西側が開け、二子山と甲仁田山が大きく聳える。台形状に肩を怒らせた様は存在感十分だ。その右奥にはなだらかな尾根が連なる丸山が見える。左に目をやれば武川岳へと続く尾根が一部だが見渡せる。
(二子山とアンテナの建つ甲仁田山)
(武川岳へ続く尾根)
(武川岳)
(二子山と背後に丸山)
小高山から下りてくるとすぐに長岩峠に着く。ここも縦走路は二手に分かれるので、尾根ルートを行く。尾根を上がると亀岩からのルートが合わさる大蔵山だ。樹林に覆われ、他に特徴は無い。大蔵山を下り、縦走路に合流すると五輪山への道に差し掛かる。この辺りから木段の連続となり、道の状態は悪い。土が流失し、ハードルとなった木段を乗り越えていくと広い五輪山に出る。二十年近く前に小学校の遠足でここを訪れ、休憩を取ったことが微かに記憶にある。山頂にあるベンチには中高年の男性たちがいたほか、伊豆ヶ岳の直登コースから黄色いジャケットの若者も登ってきた。
(五輪山)
五輪山から木段を下るとすぐに伊豆ヶ岳の男坂の岩場が立ち塞がる。鎖のぶら下がる岩場は高さ30mくらいといったところだろうか。岩場の前には注意を促す看板が置かれている。落石のため通行禁止とされているが、他方で事故を起こした場合は自己責任とも書かれている。ここは小学生のときに初めて登った鎖場である。落石に注意さえすれば十分登れる斜度だ。意を決し、登り始める。まずは斜めに割れ目が入った岩場だ。ここは鎖を使わなくとも登れる。最初は斜度も大したことが無いので、鎖は手を添える程度で良い。ここを越えるとテラス状になった足場に出る。狭いが振り返る余裕はある。正丸山から刈場坂峠への道がよく見える。この上はホールドの乏しい岩場。左に移動すると鎖を使わずに済む所がある。ここを登りきれば鎖場の最上部に出る。最上部からは二子山・甲仁田山に丸山から正丸尾根、そして正丸峠ガーデンハウスが見える。
(男坂を見上げる)
(正丸尾根が見える)
(鎖場中段 上に最上部も見える)
(下を振り返ったところ)
(最上部から二子山)
(最上部からのパノラマ)
最上部から左側に鎖が付けられた巻き道を進むと岩と岩の鞍部に出る。まずは岩場の天辺に立とう。天辺は鎖場最上部に比べると枝が邪魔して眺めはそれほど良くはない。それでも二子山とその背後の御荷鉾山などがすっきりと見え、枝越しには武川岳とその背後に武甲山の頭が覗かせる。岩場を覗き込むと高度感たっぷり。五輪山で見かけた黄色いジャケットを着た若者が鎖場を登り終わったようだ。鞍部に戻ったところで若者に「この岩場を登る人は少ないんですね」と声を掛けられる。通行禁止の措置が取られていることを説明すると納得してくれたようだ。岩場からの眺めをお薦めして先へ進む。山頂へは尾根上に立ち塞がるもう一つの岩を越えていかなければならない。ボクはいつもこの岩を越えずに左からの巻き道を行くのだが、来る度に巻き道の状態が悪くなっている。これでは鎖場を登りきったとしても二つ目の岩を越えるのに難儀するだろう。ロープがあったほうが良いかもしれない。
(武川岳と武甲山)
(岩場を見下ろす)
(二つ目の岩 左の巻き道には入らないように)
岩を巻き終わると南北に長い伊豆ヶ岳の山頂(850.9)に出る。ここは流石に人が多い。雑木林に囲まれた山頂は小学生の頃の記憶と比べるとかなり展望は狭くなっている。東側からは北に尾根を連ねる大高山が山頂を突き出し、その右には山頂部だけをポコンと突き出す天覚山が顕著だ。山頂標識のある岩の上からは枝越しに子の権現辺りが見えているらしい。西側には武川岳と武甲山が見える。山頂下の岩に腰を下ろし、朝食のカレーパンを食べる。すぐ側の岩に上がると前武川岳の左に大持山と小持山が見える。カレーパンを食べ終わると可愛らしい格好をした山ガールが目に入った。すると山頂標識をバックに記念写真を撮るよう頼まれてしまった。写真を撮ってあげたのだが、スマートフォンなので、色々と手間取ってしまった。さぞ機械音痴な人と思ったに違いない。
(伊豆ヶ岳山頂の様子)
(大高山と天覚山)
(山頂標識 朝はどうしても逆光となる)
(武川岳と武甲山)
(前武川岳の後ろが大持山から小持山の尾根)
さて恥も掻いたことだし、そろそろ下ろうか。子の権現方面の尾根は雑木林に覆われた急斜面となっている。落ち葉とザレで滑る道を恐る恐る下る。すると名郷にある採掘場を望む所に山伏峠への分岐がある。伊豆ヶ岳から山伏峠は未踏なので、ここもいずれ訪れなければならない所だ。山伏峠への道を見送って、暗い檜の林を下っていく。ここは転落に十分注意したほうがいい。古御岳との鞍部に下りたところで、先ほどの黄色いジャケットの若者に出会う。古御岳を越えるかそれともここから西吾野駅へ下りたほうがよいか迷っているようだ。西吾野駅へは2時間弱の車道歩きだよと教えると古御岳へと向かっていった。彼にはそのほうが良いだろうと思う。鞍部から古御岳への登りもかなり辛い。山頂直下の木段で中高年の夫婦に抜かれる。体力あるなぁと感心する。雑木林に覆われた古御岳山頂(830)は陽だまりの明るい光に包まれていた。息を整えたところで次の高畑山を目指す。
(山伏峠の分岐)
(古御岳山頂)
古御岳からの下りもかなりの急斜面だ。しかし伊豆ヶ岳からの下りに比べると道がジグザグに切ってあって下りやすい。ここの下りで中年の男性と擦れ違う。このルートも以前に比べるとかなり人が増えてきた印象だ。古御岳の急斜面を下りきると、高畑山まで比較的緩やかなアップダウンが続く。途中名郷を示す道標があるが、急斜面で道形は認められない。ここを下ることは本当にできるのだろうか。高畑山までは常緑広葉樹であるアセビの木が多い。有毒ということもあって、鹿も食べないらしい。やや道が急になったなと思うと高畑山(695)に到着。檜と雑木林に覆われ、ここも展望はない。道標には「ナローノ高畑山」とあるが、「楢生の」と書くのが正しいそうだ。かつてはすっきりと古御岳が望めたそうだが、今は雑木林に隠されて、冬枯れの時期に枝越しに望むことしかできない。休憩を取り終わると入れ替わりに伊豆ヶ岳で撮影を頼まれた若い女性が登ってきた。
(アセビの生えるなだらかな尾根)
(高畑山)
(高畑山から望む古御岳)
高畑山からは天目指峠まで200mほど下る。ここも比較的なだらかな尾根が続き、巻き道もある。途中中ノ沢の頭(イモグナの頭 622.7)があったのだが、うっかり巻いてしまった。中ノ沢の頭を巻くと道は北側を巻くように進む。やや岩場が多くなり、ちょうどこの辺りが遭難事故を目撃した所だ。やや手を使わないと進めないような岩場はもちろん気をつける必要があるが、事故が起きたのはその先の岩場だ。どうってことない岩場なのだが、天目指峠側に下るときやや谷側に傾いている。そこで中高年の男性が谷を落ちたのだ。ボクはちょうど転がり落ちるところを見たのだが、一見なんともないように見えた。ところが後日新聞の記事で男性が首の骨を折る重傷であったことがわかった。難しい所は誰もが気を付ける。しかし落とし穴は何でもない所にあるのだとあのときは改めて思い知らされた。
(紅葉が残る)
(なだらかな尾根)
(やや難しめの岩場 ここは誰でも気を付ける所だ)
(男性が落ちたのはこの岩場 一見何てこと無い岩場だ)
(振り返ったところ 谷側に傾いている上、絶壁になっている)
急斜面を下ると再びなだらかな下り坂が続く。途中山道と書かれた道標の先は鉄塔巡視路となっているらしい。峠手前はやや急な下りで475mと書かれた標識も置かれている。東屋のある天目指(あまめざす)峠は車道が乗り越し、ここから660mの愛宕山を越えていかなければならない。峠に下り立った所でカップルを追い抜き、まずは最初の小ピークを目指す。土留めの木段を登りきるとやや急な傾斜の道が続く。荒れてあまり良い道とは言えない。登り切った小ピークにはベンチがあり、ヤマザクラの説明板が設けてある。この小ピークからは北にある吹上山への縦走路が延びている。吹上山もいずれ一度訪れてみたい所だ。
(天目指峠の標識)
(アジサイの紅葉)
(最初の小ピーク)
(吹上山への道)
小ピークを越えてやや緩やかな尾根になったのも束の間、再び急斜面が待つ。伊豆ヶ岳から高畑山の厳しいアップダウンを越えてきた身には厳しい尾根だ。最近発行されている昭文社のガイドブックにはスルギ尾根を飯能アルプスと呼んでいるが、ボクが山で一人歩きを始めた頃はむしろ伊豆ヶ岳から子の権現までの道を飯能アルプスと呼んでいたように思う。厳しい道だからこそアルプスと呼ばれるのであって、スルギ尾根では正直アルプスには程遠いのではないだろうか。もう一つ小ピークを越え、愛宕山との鞍部に差しかかったところで何やら息遣いが聞こえてきた。音のほうに目を凝らすと銃を抱えたハンターが谷側に向かって息を潜めていた。邪魔しないように熊鈴を止める。石がゴロゴロとした歩きにくい急坂を登りきると社の置かれた愛宕山(660)に出る。
(愛宕山)
愛宕山から少し下ると鳥居があり、竹寺への道が分岐している。鳥居を潜れば子の権現は近い。見晴らしの良い鞍部で写真を撮っていると若い女性二人組がやって来た。するとその背後から二匹の猟犬もやって来た。ボクは気付いていたのだが、女性たちは気付かず大きな声を上げて驚いていた。むしろボクはその大声でビックリしてしまった。ハンターが居たので流れ弾に気をつけるように伝えて別れた。展望台へ向かう道と本堂へと向かう道が分岐する辺りからは古御岳と伊豆ヶ岳の眺めが良い。展望台へと向かうと北風が強いせいか誰も居ない。ベンチにザックを下ろし、腰を掛ける。展望台からは右端に八徳集落と傘杉峠が見え、左に目をやると高山集落と関八州見晴台が見える。左からは枝越しに武川岳・古御岳・伊豆ヶ岳が見え、右に目をやると二子山と正丸山・川越(かんぜ)山が見える。丸山から関八州見晴台まではグリーンラインが延びており、手前に見える三角形の山は本陣山だろう。
(愛宕山と子の山の鞍部から)
(古御岳と伊豆ヶ岳)
(展望台)
(中央左寄りに関八州見晴台と高山集落・右端に傘杉峠と八徳集落)
(中央奥に丸山)
(展望台からのパノラマ)
風の強い展望台を早々に辞し、本堂へと向かう。境内裏手の道は南に面しており、休憩を取っている人も多い。境内に入ると人が多い。山頂近くまでクルマで来られるせいか、登山者だけでなく、観光客も多いようだ。またまた黄色いジャケットの若者と出会う。結局吾野駅へと下ることにしたらしい。本堂でお参りした後、境内のすぐ近くにある阿字山で昼食を取ることにした。阿字山へ上がると何やら騒がしい。東屋に十数人の人集りができている。何かの集まりらしい。騒々しいが致し方ない。石仏のある阿字山頂に上がると東側の眺めが良い。左から台形状の大高山が見え、右手前は板谷(または板屋)の頭、その右背後にはモヒカン頭の天覚山が見える。更に右のやや尖った山は高反山であろう。更に右にやや離れた所にある平たい山は南堂平山だ。風が強いがコンロでお湯を沸かし、カップラーメンを作る。やはり山では味の濃いものが美味しい。
(境内の紅葉)
(子の権現本堂)
(阿字山頂の石仏)
(山頂からの眺め)
昼食も終わり、下山に取り掛かる。車道を出て、駐車場の前に来ると北側に大展望が広がる。西から東に高山・八徳・風影の集落を見渡し、日和田山・大高山・天覚山までが見渡せる。展望台と異なり、本陣山は木の陰に隠れて見ることはできない。この展望地からはスルギ尾根が延びている。駐車場前の展望地から車道を下っていくと浅見茶屋へ下る山道が延びている。地形図を見るとここから本陣山への道がつながっているように見える。そこで一旦ここを下ることにした。しばらく下っていくが、上から見るとどうも西吾野駅へと向かう道にはつながっていないように見える。そこで道を戻り、昨年吉田山を歩いたときの道を下ることにした。道を戻る途中、何人かの山ガールと擦れ違う。伊豆ヶ岳で会った女性も居て、若い女性は皆浅見茶屋に寄って行くらしい。車道に戻り、二年近く前に歩いた西吾野駅への分岐に入る。
(駐車場前の展望地)
(展望地からのパノラマ)
なだらかな道を下っていくと昨年歩いた吉田山ルートの分岐がある。ここを下り、465のピークから本陣山へも行けるらしい。だがここは安全策を採り、その先の小床集落へ下る道を選ぶことにした。少し下ると小床へ下る道と下久通へと下る道が分岐する。ここで中高年の女性グループに声を掛けられる。彼女たちも本陣山へと向かうらしい。地形図で現在位置を確認していると小床方面から若いカップルがやって来た。彼らの話によると本陣山を示す道標があるという。それならば自分が女性グループに付いて行く必要は無い。やや急な下りが続くが、紙の地形図にもこの道はかなり正確に描かれている。大きなカーヴを抜けると天寺十二丁と彫られた石の置かれた尾根に出る。なるほどここまではエアリアに赤実線で描かれるほど道は良かった。
(小床方面へ向かう道 踏み跡は明瞭)
(天寺十二丁石 尾根を乗り越す所にある)
実線ルートはこのまま小床へと下るが、本陣山へは尾根に沿って進む。尾根に上がると踏み跡はやや薄くなる。吉田山ルートと雰囲気はよく似ている。細い尾根のアップダウンを繰り返し、雑木林が見えてくるとイモリ山は近い。縦走路はイモリ山の東を巻いて本陣山へと続くが、一先ずはイモリ山へと向かう。落ち葉でやや滑る尾根を登ると、ビニール袋でできた標識のあるイモリ山(430)に着く。展望はないが、冬枯れの今の時期は枝越しに本陣山を望むことができる。狭い山頂だが、その先下った所にやや広い平場があるので、大人数ならそこで休憩するのも良いだろう。平場の先は急な岩場となっていて、そのまま縦走路へと下るのはロープがなければ難しい。
(細い縦走路)
(イモリ山を望む)
(山頂標識)
(枝越しに本陣山)
往路を戻り、祠のある巻き道を進む。踏み幅が狭く、滑落には注意したい。下りきると412のピークとの鞍部に出る。目の前の明瞭な踏み跡は小床集落へ下る道だ。イモリ山を振り返るとプラスティックの道標があり、イモリ山の北を巻く道へと導いてくれる。巻き道から尾根に上がる所でイモリ山への踏み跡があるが、上部は岩場で上がるのは困難だろう。微妙なアップダウンがある道を進むと山崎から下久通を結ぶ森坂峠に出る。下久通への道はあまり歩かれていないらしい。森坂峠からはイモリ山と異なり、幅の広い尾根を進む。傾斜が急になるといよいよ本陣山頂だ。山頂手前はアンテナが置かれ、そのため広く伐採されている。眺めが良さそうだが後でゆっくりと見よう。最後の急坂を登りきると本陣山頂(442)だ。檜に覆われ、展望は皆無である。何箇所かピンクテープが付けられ、それぞれ下山ルートがあるらしい。ただ今日は往路を戻ることにする。
(巻き道にある祠 イモリとは井守だろうか)
(イモリ山直登ルート 上部は岩場になっている)
(森坂峠 小床峠と雰囲気は似ている)
(アンテナの建つ切り開き)
(本陣山頂)
往路を戻り、先ほどの伐採地に立ち寄る。縦走路からは東側しか見えないが、伐採地の中に入れば子の権現まで見える。伐採地が急でやや危険だが、子の権現が見えると「あそこから歩いてきたのか」という感動がある。そろそろ14時となり、大分暗くなってきた。森坂峠へ下り、そこから東側に下る。歩きやすい沢沿いの道を下ると林道が合流してきた。イモリ山から森坂峠へ向かう途中林道が見えたのでそれだろう。植林帯を抜けると薄の生える湿地帯に出る。かつては萱場だったのだろうか。それにしても広い薄原だ。薄原の脇に水溜りを見つけ、石を投げてみる。すると金属音を上げて跳ね返った。ストックで叩くとカチコチに凍っている。体が寒さに慣れて実感はないが、大分寒いところなのだろう。薄原を抜けるとガードが見えてきて、高麗川を渡れば国道299号に出る。道路端に柚子が売っており、クルマで来て買っていく人たちがいる。一袋100円なので、ボクも買っていくことにした。袋に鼻を近づけると酸味の強い良い香りがする。車道を上がり、西吾野駅に着いたときは14時半近くになっていた。正丸駅から7時間以上掛かってしまった。久しぶりの長い歩きで膝が痛い。今日はゆっくりと風呂に入ろう。そう思いながら電車を待った。
(伐採地から子の権現方面)
(森坂峠の標識)
(薄原)
(高麗川)
DATA:
正丸駅7:16~7:39馬頭さま~8:05正丸峠ガーデンハウス~8:18正丸峠~8:40小高山~8:51大蔵山~9:00五輪山~
9:25伊豆ヶ岳~9:54古御岳~10:25高畑山~11:01天目指峠~11:33愛宕山~11:50子の権現12:33~13:04天寺十二丁石~
13:20イモリ山~13:39森坂峠~13:47本陣山~14:09森坂峠登山口~14:19西吾野駅
地形図 正丸峠 原市場
歩数 30,511歩
「伊豆ヶ岳から子の権現」というと昔から多くの登山者が集うクラシックルートである。人気のあるルートではあるのだが、アップダウンが激しく初心者向けのルートとは言い難い。かつて目の前で遭難事故を目撃して以来、しばらくこのルートは歩いていなかった。だが「奥武蔵の展望スポット」をまとめていて、久しぶりにこのルートを歩いてみたくなった。子の権現からの下山ルートについてはいつも迷うのだが、今回は本陣山を訪れてみることにした。
今日は長丁場になりそうだということもあり、冬場にしてはやや早い時間に正丸駅に到着した。駅舎前には飯能市の委託を受けた調査員がおり、今日の行程などを聞かれた。調査員の話によると今日も既に7,8人が入山しているという。日が昇るのが遅い時期にもかかわらず皆早いものだ。今日は一年ぶりに大蔵山集落から「馬頭さま」まで行き、そのまま車道を上がって正丸峠へと訪れる予定だ。まずは歩きなれた大蔵山集落を行く。前方には二人の登山者の姿が見える。山間の集落ながら、クルマの停まっている家が多い。それだけ人が住んでいるということだ。駅から20分ほどで馬頭さまに到着。馬頭さまの大岩の側には椛が最後の紅葉を見せてくれていた。
(大蔵山集落の椛)
(馬頭さま)
先行していた二人は伊豆ヶ岳方面へ向かい、正丸峠へ向かうのはボクだけのようだ。上着を脱ぎ、そのまま車道を上がると、道は民家の先で山道となる。沢沿いの道は杉林に覆われて暗いものの、それほど寒さは感じない。夏場ひんやりとしているのとは対照的だ。緩やかな傾斜の道を上がっていくと正丸峠ガーデンハウスへの道が分かれる。今日はこのまだ歩いたことのないガーデンハウスへの道を上がってみることにする。土留めの木段を少し上がると道は大きな九十九折となる。傾斜は緩く、歩きやすい。やがて上部にガードレールが見えてくる。正丸峠へ向かう車道かと思いきや、ガーデンハウスのものらしい。そのままガードレールを見送るとガーデンハウス入口の脇から車道に出る。
(正丸峠への道)
車道に出るとガーデンハウス前にクルマを停めていた初老の男性に声をかけられる。「紅葉はもう終わり?」と聞かれたので、今シーズンは終わったことや正丸峠からの眺めが良いことなどを伝えた。でもクルマで来ていたのだから、今思うと刈場坂峠辺りを教えたほうが良かったのかもしれないと反省する。男性と別れ、正丸峠まではしばらく車道歩き。途中開けたところがあり、どこなのか尖った山が見えた。車道歩きも面倒だなぁと思う頃、奥村茶屋の建つ正丸峠に着く。ジンギスカンで有名な奥村茶屋だが、まだ開店には時間が早いようだ。奥村茶屋の駐車場からは南側の眺めが良い。反対に北西側も一部開けたところがあるが、正面に見えるのは武川岳あたりだろうか。
(奥村茶屋の建つ正丸峠)
(南側の眺め)
(北西側の眺め)
峠で写真を撮っていると先ほどの男性のクルマがやって来た。峠を越えて秩父方面へと行くらしい。さてそろそろ縦走路へと入ろう。奥村茶屋の裏が縦走路への道となっている。大蔵山集落からの道が下から延びてくるので、そこには入らないよう注意したい。奥村茶屋の裏手からは正丸峠ガーデンハウスの建物が見えた。茶屋の中からだともっとわかりやすいのだろう。土留めの木段を上がるとすぐに緩やかな尾根が続く。意外と周囲は雑木林が多い。なだらかな縦走路は笹の生えている所も多く、子の権現から竹寺への縦走路にあった笹のトンネルを思い出す。やがて道が二手に分かれるので、尾根に上がると峠から二番目にある小ピークに出る。木でできた粗末なベンチが置かれ、北側の展望が開ける。手前にある三角形の山は正丸山か川越山辺りだろう。ここは670mくらいあるためか、正丸峠ガーデンハウスの建物は大分低い位置に見える。
(正丸峠からガーデンハウスの建物を眺める)
(笹の生える尾根)
(小ピークからの眺め)
縦走路へ戻り、少し登り返すと小広い山頂の小高山(720 但し地形図だと700m位か)に着く。かつては茶屋があり、小母さんが経営していたという。そういえばこの近辺にはかつて高山不動の萩ノ平茶屋や刈場坂峠のりんどう茶屋などがあった。皆女性がやっていたのだが、どちらも今は無い。ただ萩ノ平茶屋には小屋のみが残されたままだ。ここ小高山にもかつては小屋が残されていたものの、それも登山者の失火で無くなってしまったという。山頂からは西側が開け、二子山と甲仁田山が大きく聳える。台形状に肩を怒らせた様は存在感十分だ。その右奥にはなだらかな尾根が連なる丸山が見える。左に目をやれば武川岳へと続く尾根が一部だが見渡せる。
(二子山とアンテナの建つ甲仁田山)
(武川岳へ続く尾根)
(武川岳)
(二子山と背後に丸山)
小高山から下りてくるとすぐに長岩峠に着く。ここも縦走路は二手に分かれるので、尾根ルートを行く。尾根を上がると亀岩からのルートが合わさる大蔵山だ。樹林に覆われ、他に特徴は無い。大蔵山を下り、縦走路に合流すると五輪山への道に差し掛かる。この辺りから木段の連続となり、道の状態は悪い。土が流失し、ハードルとなった木段を乗り越えていくと広い五輪山に出る。二十年近く前に小学校の遠足でここを訪れ、休憩を取ったことが微かに記憶にある。山頂にあるベンチには中高年の男性たちがいたほか、伊豆ヶ岳の直登コースから黄色いジャケットの若者も登ってきた。
(五輪山)
五輪山から木段を下るとすぐに伊豆ヶ岳の男坂の岩場が立ち塞がる。鎖のぶら下がる岩場は高さ30mくらいといったところだろうか。岩場の前には注意を促す看板が置かれている。落石のため通行禁止とされているが、他方で事故を起こした場合は自己責任とも書かれている。ここは小学生のときに初めて登った鎖場である。落石に注意さえすれば十分登れる斜度だ。意を決し、登り始める。まずは斜めに割れ目が入った岩場だ。ここは鎖を使わなくとも登れる。最初は斜度も大したことが無いので、鎖は手を添える程度で良い。ここを越えるとテラス状になった足場に出る。狭いが振り返る余裕はある。正丸山から刈場坂峠への道がよく見える。この上はホールドの乏しい岩場。左に移動すると鎖を使わずに済む所がある。ここを登りきれば鎖場の最上部に出る。最上部からは二子山・甲仁田山に丸山から正丸尾根、そして正丸峠ガーデンハウスが見える。
(男坂を見上げる)
(正丸尾根が見える)
(鎖場中段 上に最上部も見える)
(下を振り返ったところ)
(最上部から二子山)
(最上部からのパノラマ)
最上部から左側に鎖が付けられた巻き道を進むと岩と岩の鞍部に出る。まずは岩場の天辺に立とう。天辺は鎖場最上部に比べると枝が邪魔して眺めはそれほど良くはない。それでも二子山とその背後の御荷鉾山などがすっきりと見え、枝越しには武川岳とその背後に武甲山の頭が覗かせる。岩場を覗き込むと高度感たっぷり。五輪山で見かけた黄色いジャケットを着た若者が鎖場を登り終わったようだ。鞍部に戻ったところで若者に「この岩場を登る人は少ないんですね」と声を掛けられる。通行禁止の措置が取られていることを説明すると納得してくれたようだ。岩場からの眺めをお薦めして先へ進む。山頂へは尾根上に立ち塞がるもう一つの岩を越えていかなければならない。ボクはいつもこの岩を越えずに左からの巻き道を行くのだが、来る度に巻き道の状態が悪くなっている。これでは鎖場を登りきったとしても二つ目の岩を越えるのに難儀するだろう。ロープがあったほうが良いかもしれない。
(武川岳と武甲山)
(岩場を見下ろす)
(二つ目の岩 左の巻き道には入らないように)
岩を巻き終わると南北に長い伊豆ヶ岳の山頂(850.9)に出る。ここは流石に人が多い。雑木林に囲まれた山頂は小学生の頃の記憶と比べるとかなり展望は狭くなっている。東側からは北に尾根を連ねる大高山が山頂を突き出し、その右には山頂部だけをポコンと突き出す天覚山が顕著だ。山頂標識のある岩の上からは枝越しに子の権現辺りが見えているらしい。西側には武川岳と武甲山が見える。山頂下の岩に腰を下ろし、朝食のカレーパンを食べる。すぐ側の岩に上がると前武川岳の左に大持山と小持山が見える。カレーパンを食べ終わると可愛らしい格好をした山ガールが目に入った。すると山頂標識をバックに記念写真を撮るよう頼まれてしまった。写真を撮ってあげたのだが、スマートフォンなので、色々と手間取ってしまった。さぞ機械音痴な人と思ったに違いない。
(伊豆ヶ岳山頂の様子)
(大高山と天覚山)
(山頂標識 朝はどうしても逆光となる)
(武川岳と武甲山)
(前武川岳の後ろが大持山から小持山の尾根)
さて恥も掻いたことだし、そろそろ下ろうか。子の権現方面の尾根は雑木林に覆われた急斜面となっている。落ち葉とザレで滑る道を恐る恐る下る。すると名郷にある採掘場を望む所に山伏峠への分岐がある。伊豆ヶ岳から山伏峠は未踏なので、ここもいずれ訪れなければならない所だ。山伏峠への道を見送って、暗い檜の林を下っていく。ここは転落に十分注意したほうがいい。古御岳との鞍部に下りたところで、先ほどの黄色いジャケットの若者に出会う。古御岳を越えるかそれともここから西吾野駅へ下りたほうがよいか迷っているようだ。西吾野駅へは2時間弱の車道歩きだよと教えると古御岳へと向かっていった。彼にはそのほうが良いだろうと思う。鞍部から古御岳への登りもかなり辛い。山頂直下の木段で中高年の夫婦に抜かれる。体力あるなぁと感心する。雑木林に覆われた古御岳山頂(830)は陽だまりの明るい光に包まれていた。息を整えたところで次の高畑山を目指す。
(山伏峠の分岐)
(古御岳山頂)
古御岳からの下りもかなりの急斜面だ。しかし伊豆ヶ岳からの下りに比べると道がジグザグに切ってあって下りやすい。ここの下りで中年の男性と擦れ違う。このルートも以前に比べるとかなり人が増えてきた印象だ。古御岳の急斜面を下りきると、高畑山まで比較的緩やかなアップダウンが続く。途中名郷を示す道標があるが、急斜面で道形は認められない。ここを下ることは本当にできるのだろうか。高畑山までは常緑広葉樹であるアセビの木が多い。有毒ということもあって、鹿も食べないらしい。やや道が急になったなと思うと高畑山(695)に到着。檜と雑木林に覆われ、ここも展望はない。道標には「ナローノ高畑山」とあるが、「楢生の」と書くのが正しいそうだ。かつてはすっきりと古御岳が望めたそうだが、今は雑木林に隠されて、冬枯れの時期に枝越しに望むことしかできない。休憩を取り終わると入れ替わりに伊豆ヶ岳で撮影を頼まれた若い女性が登ってきた。
(アセビの生えるなだらかな尾根)
(高畑山)
(高畑山から望む古御岳)
高畑山からは天目指峠まで200mほど下る。ここも比較的なだらかな尾根が続き、巻き道もある。途中中ノ沢の頭(イモグナの頭 622.7)があったのだが、うっかり巻いてしまった。中ノ沢の頭を巻くと道は北側を巻くように進む。やや岩場が多くなり、ちょうどこの辺りが遭難事故を目撃した所だ。やや手を使わないと進めないような岩場はもちろん気をつける必要があるが、事故が起きたのはその先の岩場だ。どうってことない岩場なのだが、天目指峠側に下るときやや谷側に傾いている。そこで中高年の男性が谷を落ちたのだ。ボクはちょうど転がり落ちるところを見たのだが、一見なんともないように見えた。ところが後日新聞の記事で男性が首の骨を折る重傷であったことがわかった。難しい所は誰もが気を付ける。しかし落とし穴は何でもない所にあるのだとあのときは改めて思い知らされた。
(紅葉が残る)
(なだらかな尾根)
(やや難しめの岩場 ここは誰でも気を付ける所だ)
(男性が落ちたのはこの岩場 一見何てこと無い岩場だ)
(振り返ったところ 谷側に傾いている上、絶壁になっている)
急斜面を下ると再びなだらかな下り坂が続く。途中山道と書かれた道標の先は鉄塔巡視路となっているらしい。峠手前はやや急な下りで475mと書かれた標識も置かれている。東屋のある天目指(あまめざす)峠は車道が乗り越し、ここから660mの愛宕山を越えていかなければならない。峠に下り立った所でカップルを追い抜き、まずは最初の小ピークを目指す。土留めの木段を登りきるとやや急な傾斜の道が続く。荒れてあまり良い道とは言えない。登り切った小ピークにはベンチがあり、ヤマザクラの説明板が設けてある。この小ピークからは北にある吹上山への縦走路が延びている。吹上山もいずれ一度訪れてみたい所だ。
(天目指峠の標識)
(アジサイの紅葉)
(最初の小ピーク)
(吹上山への道)
小ピークを越えてやや緩やかな尾根になったのも束の間、再び急斜面が待つ。伊豆ヶ岳から高畑山の厳しいアップダウンを越えてきた身には厳しい尾根だ。最近発行されている昭文社のガイドブックにはスルギ尾根を飯能アルプスと呼んでいるが、ボクが山で一人歩きを始めた頃はむしろ伊豆ヶ岳から子の権現までの道を飯能アルプスと呼んでいたように思う。厳しい道だからこそアルプスと呼ばれるのであって、スルギ尾根では正直アルプスには程遠いのではないだろうか。もう一つ小ピークを越え、愛宕山との鞍部に差しかかったところで何やら息遣いが聞こえてきた。音のほうに目を凝らすと銃を抱えたハンターが谷側に向かって息を潜めていた。邪魔しないように熊鈴を止める。石がゴロゴロとした歩きにくい急坂を登りきると社の置かれた愛宕山(660)に出る。
(愛宕山)
愛宕山から少し下ると鳥居があり、竹寺への道が分岐している。鳥居を潜れば子の権現は近い。見晴らしの良い鞍部で写真を撮っていると若い女性二人組がやって来た。するとその背後から二匹の猟犬もやって来た。ボクは気付いていたのだが、女性たちは気付かず大きな声を上げて驚いていた。むしろボクはその大声でビックリしてしまった。ハンターが居たので流れ弾に気をつけるように伝えて別れた。展望台へ向かう道と本堂へと向かう道が分岐する辺りからは古御岳と伊豆ヶ岳の眺めが良い。展望台へと向かうと北風が強いせいか誰も居ない。ベンチにザックを下ろし、腰を掛ける。展望台からは右端に八徳集落と傘杉峠が見え、左に目をやると高山集落と関八州見晴台が見える。左からは枝越しに武川岳・古御岳・伊豆ヶ岳が見え、右に目をやると二子山と正丸山・川越(かんぜ)山が見える。丸山から関八州見晴台まではグリーンラインが延びており、手前に見える三角形の山は本陣山だろう。
(愛宕山と子の山の鞍部から)
(古御岳と伊豆ヶ岳)
(展望台)
(中央左寄りに関八州見晴台と高山集落・右端に傘杉峠と八徳集落)
(中央奥に丸山)
(展望台からのパノラマ)
風の強い展望台を早々に辞し、本堂へと向かう。境内裏手の道は南に面しており、休憩を取っている人も多い。境内に入ると人が多い。山頂近くまでクルマで来られるせいか、登山者だけでなく、観光客も多いようだ。またまた黄色いジャケットの若者と出会う。結局吾野駅へと下ることにしたらしい。本堂でお参りした後、境内のすぐ近くにある阿字山で昼食を取ることにした。阿字山へ上がると何やら騒がしい。東屋に十数人の人集りができている。何かの集まりらしい。騒々しいが致し方ない。石仏のある阿字山頂に上がると東側の眺めが良い。左から台形状の大高山が見え、右手前は板谷(または板屋)の頭、その右背後にはモヒカン頭の天覚山が見える。更に右のやや尖った山は高反山であろう。更に右にやや離れた所にある平たい山は南堂平山だ。風が強いがコンロでお湯を沸かし、カップラーメンを作る。やはり山では味の濃いものが美味しい。
(境内の紅葉)
(子の権現本堂)
(阿字山頂の石仏)
(山頂からの眺め)
昼食も終わり、下山に取り掛かる。車道を出て、駐車場の前に来ると北側に大展望が広がる。西から東に高山・八徳・風影の集落を見渡し、日和田山・大高山・天覚山までが見渡せる。展望台と異なり、本陣山は木の陰に隠れて見ることはできない。この展望地からはスルギ尾根が延びている。駐車場前の展望地から車道を下っていくと浅見茶屋へ下る山道が延びている。地形図を見るとここから本陣山への道がつながっているように見える。そこで一旦ここを下ることにした。しばらく下っていくが、上から見るとどうも西吾野駅へと向かう道にはつながっていないように見える。そこで道を戻り、昨年吉田山を歩いたときの道を下ることにした。道を戻る途中、何人かの山ガールと擦れ違う。伊豆ヶ岳で会った女性も居て、若い女性は皆浅見茶屋に寄って行くらしい。車道に戻り、二年近く前に歩いた西吾野駅への分岐に入る。
(駐車場前の展望地)
(展望地からのパノラマ)
なだらかな道を下っていくと昨年歩いた吉田山ルートの分岐がある。ここを下り、465のピークから本陣山へも行けるらしい。だがここは安全策を採り、その先の小床集落へ下る道を選ぶことにした。少し下ると小床へ下る道と下久通へと下る道が分岐する。ここで中高年の女性グループに声を掛けられる。彼女たちも本陣山へと向かうらしい。地形図で現在位置を確認していると小床方面から若いカップルがやって来た。彼らの話によると本陣山を示す道標があるという。それならば自分が女性グループに付いて行く必要は無い。やや急な下りが続くが、紙の地形図にもこの道はかなり正確に描かれている。大きなカーヴを抜けると天寺十二丁と彫られた石の置かれた尾根に出る。なるほどここまではエアリアに赤実線で描かれるほど道は良かった。
(小床方面へ向かう道 踏み跡は明瞭)
(天寺十二丁石 尾根を乗り越す所にある)
実線ルートはこのまま小床へと下るが、本陣山へは尾根に沿って進む。尾根に上がると踏み跡はやや薄くなる。吉田山ルートと雰囲気はよく似ている。細い尾根のアップダウンを繰り返し、雑木林が見えてくるとイモリ山は近い。縦走路はイモリ山の東を巻いて本陣山へと続くが、一先ずはイモリ山へと向かう。落ち葉でやや滑る尾根を登ると、ビニール袋でできた標識のあるイモリ山(430)に着く。展望はないが、冬枯れの今の時期は枝越しに本陣山を望むことができる。狭い山頂だが、その先下った所にやや広い平場があるので、大人数ならそこで休憩するのも良いだろう。平場の先は急な岩場となっていて、そのまま縦走路へと下るのはロープがなければ難しい。
(細い縦走路)
(イモリ山を望む)
(山頂標識)
(枝越しに本陣山)
往路を戻り、祠のある巻き道を進む。踏み幅が狭く、滑落には注意したい。下りきると412のピークとの鞍部に出る。目の前の明瞭な踏み跡は小床集落へ下る道だ。イモリ山を振り返るとプラスティックの道標があり、イモリ山の北を巻く道へと導いてくれる。巻き道から尾根に上がる所でイモリ山への踏み跡があるが、上部は岩場で上がるのは困難だろう。微妙なアップダウンがある道を進むと山崎から下久通を結ぶ森坂峠に出る。下久通への道はあまり歩かれていないらしい。森坂峠からはイモリ山と異なり、幅の広い尾根を進む。傾斜が急になるといよいよ本陣山頂だ。山頂手前はアンテナが置かれ、そのため広く伐採されている。眺めが良さそうだが後でゆっくりと見よう。最後の急坂を登りきると本陣山頂(442)だ。檜に覆われ、展望は皆無である。何箇所かピンクテープが付けられ、それぞれ下山ルートがあるらしい。ただ今日は往路を戻ることにする。
(巻き道にある祠 イモリとは井守だろうか)
(イモリ山直登ルート 上部は岩場になっている)
(森坂峠 小床峠と雰囲気は似ている)
(アンテナの建つ切り開き)
(本陣山頂)
往路を戻り、先ほどの伐採地に立ち寄る。縦走路からは東側しか見えないが、伐採地の中に入れば子の権現まで見える。伐採地が急でやや危険だが、子の権現が見えると「あそこから歩いてきたのか」という感動がある。そろそろ14時となり、大分暗くなってきた。森坂峠へ下り、そこから東側に下る。歩きやすい沢沿いの道を下ると林道が合流してきた。イモリ山から森坂峠へ向かう途中林道が見えたのでそれだろう。植林帯を抜けると薄の生える湿地帯に出る。かつては萱場だったのだろうか。それにしても広い薄原だ。薄原の脇に水溜りを見つけ、石を投げてみる。すると金属音を上げて跳ね返った。ストックで叩くとカチコチに凍っている。体が寒さに慣れて実感はないが、大分寒いところなのだろう。薄原を抜けるとガードが見えてきて、高麗川を渡れば国道299号に出る。道路端に柚子が売っており、クルマで来て買っていく人たちがいる。一袋100円なので、ボクも買っていくことにした。袋に鼻を近づけると酸味の強い良い香りがする。車道を上がり、西吾野駅に着いたときは14時半近くになっていた。正丸駅から7時間以上掛かってしまった。久しぶりの長い歩きで膝が痛い。今日はゆっくりと風呂に入ろう。そう思いながら電車を待った。
(伐採地から子の権現方面)
(森坂峠の標識)
(薄原)
(高麗川)
DATA:
正丸駅7:16~7:39馬頭さま~8:05正丸峠ガーデンハウス~8:18正丸峠~8:40小高山~8:51大蔵山~9:00五輪山~
9:25伊豆ヶ岳~9:54古御岳~10:25高畑山~11:01天目指峠~11:33愛宕山~11:50子の権現12:33~13:04天寺十二丁石~
13:20イモリ山~13:39森坂峠~13:47本陣山~14:09森坂峠登山口~14:19西吾野駅
地形図 正丸峠 原市場
歩数 30,511歩