ボクの家の周りにはノネコが多い。ボクは猫に限らず動物は好きな方なのだが、ノネコに関しては庭に糞尿をしていったり、毛玉とともにキャットフードを吐いていったりして、居着かれると困るなぁとは思っている。そのため敷地に入る猫は追い払い、ノネコには決して餌をやらないようにしている。それでも発情期になると夜中しばしば敷地に入っては大騒ぎしていくのだが、もうその辺になるとこちらも諦めて好き勝手にさせておいている。夜中に起きてまで猫に付き合っていられるほど暇ではないし、とりあえずボクの顔を見れば猫が逃げていくように仕向けていれば十分だろうと考えているのだ。まあそれでも朝出かける際に夜中猫たちが倒していった植木鉢を見ては嘆息する日が今でも続いているのだが、こればかりはどうしようもない。
そんな招かれざる住人と長年過ごしてきた中、昨年の夏とある事件が起きた。早朝買い物に出かけようと準備していると「ミー、ミー」という鳴き声が聞こえてくる。聞き慣れない鳴き声だが、どうやら何か小動物の鳴き声であることは容易に予想できた。鳴き声の出所を探していると自宅の横に立てかけている自転車がどうやら怪しい。長いことカバーを掛けたまま放置してあったので、カバーの中に動物が居着いてしまったのだろう。カバーを揺すってみると瘦せ細ったノネコが飛び出して行った。とりあえず猫除けを撒いておこうとカバーを外すとなんと3匹の生まれたばかりの子猫がいるではないか。う~む、これは困った。家には病気療養中の母がいるのだが、とにかく猫が苦手なのだ。したがって家で飼うこともできず、かといって保健所へ持っていくのは面倒だ。そこでボクは平和的解決を図ることにした。それは自転車を人目につく所へ移動してカバーを取っ払ってしまうことだ。あとには子猫だけが残されていたが、そのまま何もせずに出かけることにした。数時間後買い物から帰ってくると子猫たちは既にいなくなっており、ただ親猫が移動した自転車の周りをウロウロとしていた。その親猫もカバーが掛けられることはないと悟ったのか、やがてどこかへと行ってしまった。
人によっては今回の件を残酷だと感じる向きもあろう。しかし自然繁殖した猫はもはや野生動物だとボクは考えている。そして野生動物である以上は人間が彼らの生活に介入することをボクは好まない。だからボクは子猫には絶対に触らず、親猫の選択に任せることにした。どうせこのままカバーの下で大きくなっていけば子猫にとって一番の外敵である他のノネコたちに襲撃されるのは時間の問題である。それならばより安全な場所へ逃げる選択の余地を親猫に残しておくことにしたのだ。
最近猫ブームのせいか、ノネコを必要以上に可愛がる風潮があるようだ。でもボクはそういう風潮は好きではない。何故なら彼らは人間の助けを必要としないくらい逞しいからだ。もちろん自然は厳しいから餓死したり、病死したり、事故死したり、あるいは外敵に襲われて死ぬ運命にある。でも野生動物の一生など本来そういうものであろう。山に入れば動物の死体を見かけることは珍しくない。彼らもまた餓死したり、病死したり、事故死したり、あるいは外敵に襲われて死に、最期はクマなどによってスカベンジされるというのが現実なのだ。現実が厳しいからといってわざわざ山に分け入って餌をやったり、病気や怪我の治療をする人はほとんどいないし、またするべきではないと考えられていることが多い。それは餌付けや手当が事実上不可能であるということだけでなく、人間が手助けをすることは動物が自然界で生きていく力を弱めてしまうからだ。そしてノネコについても基本的には同じことが言えると思う。
こういうことを書くとノネコの大半は捨て猫だとの反論が来ることが多い。だが上記に挙げたように自然繁殖を繰り返してしまっているのが現実である。また避妊去勢手術を施した上で給餌をする地域猫活動を広める試みもあるようだが、そうした猫たちも路上生活をしている以上は餓死したり、病死したり、事故死したり、あるいは外敵に襲われて死ぬ運命からは逃れられない。人間がわざわざ避妊去勢手術をして更には餌を与えてまでして猫たちを路上で死なせることにどんな意味があるのだろう。そんな中途半端なことをするくらいなら完全に放っておくか、人間が引き取って飼養してやればいい。人間の都合で野生化してしまった猫たちに路上生活を継続させておくことのほうが余程残酷なことだとボクは思うのだ。
そんな招かれざる住人と長年過ごしてきた中、昨年の夏とある事件が起きた。早朝買い物に出かけようと準備していると「ミー、ミー」という鳴き声が聞こえてくる。聞き慣れない鳴き声だが、どうやら何か小動物の鳴き声であることは容易に予想できた。鳴き声の出所を探していると自宅の横に立てかけている自転車がどうやら怪しい。長いことカバーを掛けたまま放置してあったので、カバーの中に動物が居着いてしまったのだろう。カバーを揺すってみると瘦せ細ったノネコが飛び出して行った。とりあえず猫除けを撒いておこうとカバーを外すとなんと3匹の生まれたばかりの子猫がいるではないか。う~む、これは困った。家には病気療養中の母がいるのだが、とにかく猫が苦手なのだ。したがって家で飼うこともできず、かといって保健所へ持っていくのは面倒だ。そこでボクは平和的解決を図ることにした。それは自転車を人目につく所へ移動してカバーを取っ払ってしまうことだ。あとには子猫だけが残されていたが、そのまま何もせずに出かけることにした。数時間後買い物から帰ってくると子猫たちは既にいなくなっており、ただ親猫が移動した自転車の周りをウロウロとしていた。その親猫もカバーが掛けられることはないと悟ったのか、やがてどこかへと行ってしまった。
人によっては今回の件を残酷だと感じる向きもあろう。しかし自然繁殖した猫はもはや野生動物だとボクは考えている。そして野生動物である以上は人間が彼らの生活に介入することをボクは好まない。だからボクは子猫には絶対に触らず、親猫の選択に任せることにした。どうせこのままカバーの下で大きくなっていけば子猫にとって一番の外敵である他のノネコたちに襲撃されるのは時間の問題である。それならばより安全な場所へ逃げる選択の余地を親猫に残しておくことにしたのだ。
最近猫ブームのせいか、ノネコを必要以上に可愛がる風潮があるようだ。でもボクはそういう風潮は好きではない。何故なら彼らは人間の助けを必要としないくらい逞しいからだ。もちろん自然は厳しいから餓死したり、病死したり、事故死したり、あるいは外敵に襲われて死ぬ運命にある。でも野生動物の一生など本来そういうものであろう。山に入れば動物の死体を見かけることは珍しくない。彼らもまた餓死したり、病死したり、事故死したり、あるいは外敵に襲われて死に、最期はクマなどによってスカベンジされるというのが現実なのだ。現実が厳しいからといってわざわざ山に分け入って餌をやったり、病気や怪我の治療をする人はほとんどいないし、またするべきではないと考えられていることが多い。それは餌付けや手当が事実上不可能であるということだけでなく、人間が手助けをすることは動物が自然界で生きていく力を弱めてしまうからだ。そしてノネコについても基本的には同じことが言えると思う。
こういうことを書くとノネコの大半は捨て猫だとの反論が来ることが多い。だが上記に挙げたように自然繁殖を繰り返してしまっているのが現実である。また避妊去勢手術を施した上で給餌をする地域猫活動を広める試みもあるようだが、そうした猫たちも路上生活をしている以上は餓死したり、病死したり、事故死したり、あるいは外敵に襲われて死ぬ運命からは逃れられない。人間がわざわざ避妊去勢手術をして更には餌を与えてまでして猫たちを路上で死なせることにどんな意味があるのだろう。そんな中途半端なことをするくらいなら完全に放っておくか、人間が引き取って飼養してやればいい。人間の都合で野生化してしまった猫たちに路上生活を継続させておくことのほうが余程残酷なことだとボクは思うのだ。