広域的にマニアック

主に、独断と偏見でゲームと漫画とアニメの話が書かれているブログ。イメージ的に、本屋で見かける「○○の謎」「○○考察」的な

クルルからの重圧

2014年05月06日 | ケロロ軍曹の話
ケロロ軍曹の話。7th2話で、「侵略を当番制にする」と決めたケロロ。7th4話は、クルルの番。きっと、陰湿なプランになる。そんな悪夢で起きたケロン軍。当のクルルも、「おもしろそうじゃん。オレがやるからには、一味違う侵略になるぜ。楽しみにしてくれよな」と、意味深な宣言しつつ、クルルズラボから出てこない。
でも、ギロロが言う「あいつが、人の嫌がることを忘れるとは思えん」というのが、ケロン軍の共通認識。

そして、次々と起こる不幸。ギロロは、夏美の写真に傷が。タママは、チョコと間違え、カレーのルーを食べた。ケロロは、ガンプラの切ってはいけないパーツを、切ってしまった。マンガの応募券を探すが、見つからない。DVDを、踏み潰してしまった等々。
「これが侵略?」そう考えざるをえない不測の事態の連続に、クルルに白旗をあげに行くが、クルルズラボに、クルルはいない。そこには「めんどくさいので、パス」のメモが1枚。クルル本人は、カレー屋にいて、何もしてないらしい。

しかし、クルルの性格だと、文面どおりに「めんどくさいので、パス」した可能性もあるが。逆に、「めんどくさいので、パス」という事にしておいて、実際には気づかれないように、一通りの嫌がらせを終えて満足した後で、カレー屋に向かった。という事も、考えられなくもない。
その真相は、クルルのみが知っている。何かをしても、しなかったとしても、怪しい存在。それこそが、クルルからの重圧。

夜のケロロ軍曹

2014年05月03日 | ケロロ軍曹の話
ケロロ軍曹の話。7th1話。草木も眠る丑三つ時。そんな時間に、夏美は風呂。ママどのは、仕事から帰る。同刻、日向家のリビングには、侵略をやる気満々のケロロ軍曹が待ち構えていた。「夜の~」と冠を付け、アダルト、ダーク、デンジャラスな雰囲気と。その雰囲気で、ケロロ本人としては、完全無欠の感覚と、勘違い。そう。あくまでも勘違いだから、急激に実力が上がった訳ではない。

自分がピンチになったので、夜のケロロ小隊を終結させるが。タママ「そんなの、ご近所迷惑ですよ」ギロロ「昼間やれ、昼間」ドロロ「日の出と共に起き、日没と共に寝るのが、生物本来の姿でござる」クルル「年をとると、徹夜がつらくなってきての~~」と、やる気なし。

結局は、皆を巻き込んでの、午前2時過ぎの、はた迷惑。ただ、地球人でも、夜中にテンションが高い事は、たまにある。感覚的には、ランナーズハイみたいな時。それが夜中だと、覚醒モード突入。仕事に関連しそうな事を思いついた・・・と勘違い。翌朝、自分が書いたらしいメモ等を見つけるわけだが、読めやしない。読めたとしても、何の役にも立たないと、すぐわかる。
だったら、次の日に備えて、眠れなくても寝ようとしたほうがいい。と、気づいたのは、何歳の時だったかな・・・。

「福笑い」を気に入ったケロン人

2014年05月02日 | ケロロ軍曹の話
ケロロ軍曹の話。15巻。進まない侵略会議。「我、関せず。はやく終わらないかな」と、いつもの態度のタママ。同じく、横道にそれるクルル。そんなクルルが笑っているから、怒りの矛口を見つけたケロロだが、ポールの顔で福笑いを見てしまった。
その不意打ちをくらい「あっ、ふァッふァッふァッふァッ・・・・」と笑い転げ、呼吸も整わない程に。同、タママは、笑いすぎて頭痛。ギロロも「なんという恐るべき破壊力」と、笑いすぎてダウン。

クルル曰く、「こいつは福笑いっていうペコポンの遊びだぜェ。ファンクで電波なトコがサイコーなんだが。ペコポンじゃ、下火みたいだなァ・・・・・」と。ケロン人は、福笑いを知らないから、それを、はじめて見る衝撃。しかも、市販の福笑いではなく、知っている人の顔での福笑い。特に、西澤家執事のポールは、普段がダンディ路線だけに、福笑いで、気弱そうな顔になると、ギャップが大きい。

おそらく、もの珍しさで、何度もやっている間に、飽きるだろうけど。福笑いは、上手に出来ない方が、おもしろいわけだが。何度かやると、上手に出来ないことに、ムカついてくる。逆に、上手に出来るようになってしまっても、見ても、おもしろくない。下手すぎても「ヘンなの」という思いが先行して、笑えない。それが下火の理由かな?繰り返して遊べないという。

9×9=88 BY田沢

2014年05月01日 | その他
魁男塾の話。愛蔵版2巻。男塾300年来の禁を破り、外国人留学生を引き受ける事にした塾長(同期の総理の頼みらしい)その留学生らに、良い所を見せようとした教官は、「当男塾にあっては、文武両道。つまり根性と体力を鍛えあげるだけではなく、一般教養は、もちろんの事。高度な学問までを(中略)真のサムライを育てあげておるのである」と、立派な事を言いつつ。
英語だけではなく、数学も得意という田沢に、耳打ちして「日本の学生が、数学に優秀なのは、世界でも定評のある所」「奴らのド肝ぬいたれ」と。

そう言われた田沢も、「教養をひけらかすようではありますが、九九を空んじてお目にかけます」と宣言し、「インイチがイチ」~「クク、88」までを披露。塾生たちも「おう、いつ聞いても、さすがじゃのう。田沢の九九は」「なんでも、今度は分数のかけ算に挑戦するって話だぞ」と、誰も間違いに気づかない。
こういう事を、帰属意識と言うのかな?属している人たちには、それが常識だったり、正しい事だと思い込んでしまう。でも、部外者の留学生たちに言わせると「ここは、小学校だったのか?」「どうせ、この程度だろうよ」と、滑稽に見えてしまう。

実写映画版でも、かけ算のやりとりがあった。「2×2は?」と問われ、答えを小声で教わった富樫源次が、「4、押忍」と言ったら、「よく出来た」と褒められて喜ぶシーン。こういう場面があると、クドクドと説明しなくても、「根性と体力の人たちなんだ」と、すぐわかる。