東日本大震災から
二年。
もう二年
まだ二年
思うところは人それぞれ
僕はこの震災を決して忘れないようにしている。
震災後
余震やほかの地震も含めて
回数が多いので
僕はそのたびにあの日のことを思い出す。
そして周りの人や家族や友人とあの日の話になる。
震災チャリティソングを聴いて
あの日のことを思い出す。
僕が経験したことは
現地と比べたら大したことなんてない。
あの日も
いつも通り
パン屋で働いていた。
急な揺れで
地下街はパニック
エスカレーターをお客様が、慌てて駆け上がり
買ったパンを置いて逃げてくお客様
あまりにも突然のことで理解できずに立ちすくむお客様
パンの棚が倒れないように
支えるパートさんたち
駅ビルの方も大慌てで
警備員や館内放送もなく
パン屋の店長が
お客様を避難誘導してたな。
そのあと
遅れて僕らも非難して
駅ビルは臨時休業
混乱の中、母を探しに行って
無事に逢えたときは本当に嬉しかった。
そのあと
駅に残る人
避難所に行く人
自力で帰る人
の三つの選択肢があって
駅は多くの人が座り込んでいた。
僕は母と二人で
歩いて帰宅したんだけど
崩れた建物
破壊された水道管
歩き疲れて座り込む人たち
徒歩一時間普段はかからない道のりが倍以上かかった。
帰り道
電気屋さんのテレビの映像が
とてもとても信じられなかった。
家に着いて
家族の無事を確認し
安心。
その後
テレビを観て
あのすさまじい津波の映像が目に飛び込んできて
とても衝撃だった。
くりかえし
テロップで流れる
亡くなった人の情報
僕は
ただテレビを観てかなしむしかない自分に腹が立った。
そのあとは
パン屋が開店し
お客様がどわーっと押し寄せて
すごい忙しかった。
疲れて家に帰ってきて
テレビをつけると
夜炎上している街が映ってた。
当時、僕は
一人でも多くのお客様に
パンを買っていただくことが使命だと思っていた。
というか思うしかなかった。
他になにもできなかった。
そのあと
僕が被災地に入って支援しようとしても体力ないし逆に迷惑になるということがわかっていたので
僕はこちらで募金をしたり
呼びかけたりした。
そのあと
震災チャリティアルバム
「SORAE」、「バタフライエフェクト4」を通じて音楽で被災地支援ができたこと。
もちろん
僕なんかとてもとても微力だけど
ほんの少しでも
一円でも協力できたこと。
とてと良かったと思っています。
まだまだ
被災地支援は必要。
僕はこれからも
たとえ小さな力でも
あの日のことを忘れずに
一秒でも一円でも
協力したいと思っています。
ツツミトモアキ〔T.T〕
www.tsutsumitomoaki.com