おはようございます。トピアリー宮崎です。
義母が初めて「パート勤務」に就いたのは70才をすぎてから。
近隣のお医者さまに頼まれて「こんなおばあちゃんにも仕事ができるなんて♪」と生き生きと事務のお手伝いに通っていました。
熱心なクリスチャン同士で義母と仲良くなったパート仲間の横田早紀江さんは、1996年に北朝鮮工作員が「13歳の少女拉致」と話したことから一気に時の人となりました。
どのような理由であれ、突然我が子を失う悲しみ、苦しみはいかばかりなものだったでしょう。
「北朝鮮による拉致被害者家族連絡会(通称:家族会)」を設立した横田滋氏の訃報に際し、義母の本棚に残されていた「めぐみへ横田早紀江、母の言葉」(草思社)を読み返しました。
ご冥福をお祈りいたします。
▲「めぐみへ横田早紀江、母の言葉」(草思社)
▲多忙な中、いつも来訪し手渡してくれた、と義母ははなしていました