はぐれけんきゅういん♀リターンズ

マニアックな研究(?)に明け暮れる毎日……

「生きて腸に届く」は意味がないと考えている。 腸内の生物多様性については重要だと考えている。

2025年01月21日 | 環境
こちらのXの投稿から知った記事。
https://www.foodnavigator.com/Article/2025/01/15/probiotics-claims-remain-restricted-by-eu/

Why the EU still restricts ‘probiotics’ claims

After a recent ruling, the use of the term 'probiotics' is still restricted on packaging. Why? How does the case cement the EU's stance?

FoodNavigator.com

 


これに関して個人的意見を書き連ねたい。

一言(二言?)で書けば、

「生きて腸に届く」は意味がないと考えている。
腸内の生物多様性については重要だと考えている。

河川と同じように考えると分かり易い。

渓流の水は汚濁度が低い一方で水棲昆虫や微生物、魚類まで幅広く生息している。絶対的な生物数に限りがあっても多様性は高い。
下流に進むにつれ、多様性が低下し汚濁度は上がる。下流では生息可能な生物が限られ、魚類はギンブナくらいしか生息出来なくなる。(てかフナ強ええ。中流域からドブ川、止水の防火用水槽に至るまでどこででも生息している。腐ったような水でも繁殖している。)
汚濁が進むと生物多様性が低下し(ここは相互的でスパイラル)、富栄養化によって悪臭が発生する。

あくまで推測ではあるが、この現象を腸内細菌叢に当て嵌めて想定してみると、現代人が慢性的に有している腸内の「不具合」を全部ではないにせよ説明出来るのではないかと考えている。
これは個人的意見である。

例えばドブ川を綺麗にする為に「渓流の微生物だんご」をドブ川に投入しても、生息に適していなければ定着しない。基本その微生物は定着出来ず無意味だろうと多くの人が察する事であるが、日本の「プロバイオティクス」はそれと同じ事を腸内で試みている。

そして、その渓流の微生物だんご内の微生物が「生きてドブ川まで届くかどうか?」を考える事自体が無意味だという事も理解出来ると思う。
(1)基本届くまでに死んでいる
(2)ワンチャン生きて届いてもじきに死ぬ
「腸内に生きて届くは無意味」と書いた理由も、そこから推察できるかと思う。

なお「死菌」でも、腸内の常在菌はそれを餌にして増殖する。なので腸内環境を整える作用がある。
「プロバイオティクス」を謳う企業ががあれほどまでに拘っている「菌の種類」や「生きて腸まで届く菌株」は、死骸としての効果しか確認出来ていないのであまり気にする必要はない。

寧ろ飲むタイプの乳酸菌や発酵食品等は、「死菌として優秀」を目指した方が論理的整合性があると思うが、イメージが良くないのかそっちには向かいそうにない笑
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柿とミーム

2024年10月31日 | 環境
食後のデザートに柿。
この柿はおそらく在来種甘柿「江戸一」或いは「三国一」。熊が里に下りて来る事を懸念して家の近くの柿の木を伐採する人が増えており、減少を懸念している。

この柿の良さを伝えたところ、同僚が興味を持ち、更にその採り方(竹の棒を作り、先を少し割り、そこに枝を挟んで捻る、という採り方)を父親から学んで自分で採った、と話していた。
リチャード・ドーキンスが提唱した「ミーム」が、親から子に伝わった事になる。
滑稽に思う人もいるかもしれないが、ネットショッピングの高枝切りばさみ等々にその座を奪われ、ともすれば消えかけている地元の「そこにあるもの」で柿の実を採取する方法がこうして残されたとも言える。

ミームと言えば思い出す事がある。
この流域の中流域の地域では、地域絶滅危惧種のササユリを保存する為、自生ササユリを神社に集めて育てていた。実はササユリは移植が上手く行かないタイプの植物で、地元民は徐々に数を減らしている事を危惧していた。
現地を見ると数百の花が咲き乱れていた。
移植された事で絶滅しかけていた集団の花粉の授受が容易になっており、かつ、神社内という侵入しにくい場所への移植の結果、盗掘を防止出来ていた。
私はそれを褒めた。

だが、3年後には交流が途絶えてしまった。
私の方はPCが壊れて連絡先を消失してしまい、更に厄介な事にその地域の人々は皆姓が同じで屋号で呼び合っており、誰が地区長かどうかも外部からは分かり難い……。
向こうも遠慮してなのか、連絡を入れて来る事は無かった。

数年後、下流域の僧侶からこの件で話しかけられた。
その中流域の住人が、褒められた事を嬉しく思い、僧侶に伝えていたのである。
私は地域住人の活動を評価しただけだったのだが、住人は覚えていた。そして保存を続けていた。
これも、ミームが引き継がれた事例である。

ミームは引き継がれたが、この中流域のササユリにはまだ減少の懸念があった。
10年前のその時点で既に近親交配の傾向があり、自然の状態ではゆっくりと消失に向かってしまう状況だったのである。
私は当時採種したササユリのこぼれ種を無菌播種し、培養し増殖している。その約10年前の状態のまま、球根にして増やし、植え継ぎ、残してある。受け身の姿勢ではあるが、万が一あの神社の植物体が消失してしまっても、10年前の状態に巻き戻せるよう、維持している。

連絡があれば提供したいと思っているが、出しゃばるのもあれだし恥ずかしいので声を掛けにくい……。
培養の植え替え時期になると毎回、何とも言えない少し苦い気持ちになっている。
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てすてす

2024年07月02日 | 環境
更新ないとテンプレ切り替わっちゃうっぽい。
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