道東を発見する旅 第3の人生

人民裁判、おもねらない、帰責性と因果関係は違う、16億のバイオリン

最近、タレントの「たけし」氏が離婚に際して自分の100億とか200億とかの財産をすべて離婚した妻に譲り渡したというニュースで驚いた人も多いと思いますが、まったく金に頓着しない実に潔い(いさぎよい)姿で、常識を通り越したカッコヨサを感じました。

たけしの番組でテレビタックルというのがあります。

以前から、自分はその番組に出てくる政治学者「三浦瑠麗」さんの発言に注目していました。

この人の場合、どんな発言をするのか予想がつかない事が多いです。そして、論理的でその場の空気とは関係ない堂々たる持論を展開されます。その潔さにたいしたものだと思っていましたが、女性蔑視の男性からは叩かれることもきっと多いのでしょう。

ネットでこの人のインタビュー記事がアップされていましたので、興味を持って読んだのですが、中学時代の壮絶な体験で、その時から達観した人生観を持っておられたようです。

長くなりますが、退屈されることは無いと思いますのでじっくり読んでください。

今回は、そのインタビュー記事の中でも自分が圧倒された部分を紹介します。
文春オンライン 
三浦瑠麗が語る「感動の涙を醜い」と思っていた中学時代
https://bunshun.jp/articles/-/6816

以下引用

人民裁判

──中学のときもいじめは続いたんですか。

三浦 当時はまだスケバン文化が私の中学では残っていたので、身の危険を覚えるような腕力でのいじめもありました。それから、陸上部内部でのいじめも逃げ場がなかったですね。今考えると、陸上部をやめればよかったと思うんですが、子供ってそういうことが考え付かないんですね。だから黙って部活も続けていました。

その頃のことで強烈に覚えているのは、陸上部員が集まって、中学の木工教室で人民裁判みたいなものが行われたときのことですね。

──人民裁判?

三浦 

たまたま技術の先生が顧問のひとりだったので、場所が木工教室だったのですが。もう一人の顧問の先生が、「濱村(三浦さんの旧姓)と一緒に練習をしないのは問題だ。

濱村もみんなと仲直りしたいと言っているから、みんなの言い分も聞くから話し合おう」と部員に呼びかけたわけです。

仲間はずれにしたのは女子なので、集まっていたのは全員女子でした。その和解のセレモニーというのは、夕陽が少し差し込んできた木工教室で、一人ひとり私に対する不満を順番に言っていくんです。

で、言い終わるたびに一人ずつワーッと泣くんですね。

私はそのとき自分の気持ちを表現できる言葉を持っていなかったのですが、

「これが人々の心を洗い流してくれる感動の涙っていうやつなのか。ずいぶん醜いな」と思ったんですね。

自分で言って、自分で感動して泣くみたいな。どんなにひどかったか、私たちの気持ちをどういう風に理解しなかったか。

──それは具体的にはどんなことだったんですか。

三浦 

まあ、細々としたことなんです。たとえば、瑠麗ちゃんがテストの答案を返してもらって嬉しそうにしてた。私はテストの点が悪くてその日一日落ち込んでいて、「ヤバイ、こんな点とっちゃったよー」と笑いながら言ったら「そうだねー」と返したとか。男子にちやほやされていたとか。

母のしてきた「配慮」が私には出来ない

──それは三浦さんに非があることではないですよね。

三浦 でも、おそらく私は配慮が足りないんです。配慮っていうのは、うちの母親がずっとしてきたようなことです。他人のお母さんの前では「うちの子はこんなに駄目なんです」ということを言ってペコペコしたり……。

私はそれを見て、「ママは私のことずっとそういうふうに思ってたんだ」とか思っちゃうタイプ。母には「能ある鷹は爪を隠せ」とよく言われました。でも、私はそのよくわからない謙遜みたいなものが、すごくウソっぽくていやだと思ってしまって、だったら人と関わらないほうがいいやと思っていました。

彼らが嫌な思いをしたことは事実なんです。それは彼らの主観ですから。

でも、そこで涙を流すようなカタルシスを求めようとする様を私は醜いと思ってしまった。とんだ茶番だと思いました。私はここで言い返してはいけない。まず直感的にそう思いました。何より言い返す気が起こらなかった。

だけど、そのときにはっきり気づいたんです。私は人におもねらずに生きてきたし、この先もおもねることはないだろうと

もしも、人におもねって生きていたら、もうちょっと楽に生きられたかもしれないし、いじめられなかったかもしれない。でも、それは自分で選んだことなんだから、しゃあないな、と。少なくとも自分には自分で落とし前がつけられますし。

引用終わり

ここまでの感想

中学生によるいじめは、加減を知らないので、その分怖ろしいものになります。

仲間はずれにした三浦さんの前で、一人一人が先生におもねり、「私が悪かった」と泣いてその場を取り繕うとしている。

そこで、三浦さんは、自分がいじめらえて孤立していた原因が「他人におもねらなかった」事に気がついたのです。

ここで普通の人なら、自分の生き方を変えて、他人の気に入られるように生きようとして、内向的になってしまうのでしょう。それは彼女の母親のように周りに気を使い忖度して目立たないように生きていく事です。

しかし、これまでそうだったし、これからもこの生き方を変えないと心に決めた事が凄いと思いました。

三浦さんはその後の人生で、この経験をどう生かしていくのでしょうか?

原文から引用します

三浦さんが中学生のときに木工教室で感じた絶望は、その後の三浦さんの思想にどんな影響を与えたのでしょうか。
『日本に絶望している人のための政治入門』の冒頭で、三浦さんは「自分の政治に関する思想を貫くものは何かと考えたときに、一つ選ぶとしたら、それはコンパッション(Compassion)だと思う」と言っています。

三浦 

コンパッション──辞書を引くと哀れみ、思いやり、同情、共感などと訳されるようですが、ちょっとニュアンスが違います。他者の立場に寄り添って同情するだけでなく、そのうえでもっと大きな全体最適に向けて考えること。実践しようとすると、もっと激しくて、熱いものです。

なぜそんな熱い気持ちを差し出そうと三浦は思うのか。そこが胡散臭いと瞬間的に思う人はいるでしょう。なぜ、そこまでするの、と。コンパッションには同時にセットになっている裏側があります。

実は、それこそがコンパッションを持たなきゃいけない理由なんですが、それは、人間が本質的に相互に理解不可能だということ。絶望的に理解不可能だからこそ、コンパッションみたいな必死なものが必要なわけです

理解不可能だけれども私はあなたに手を差し伸べますよ、っていうのがコンパッションなんです。そもそもお互いの存在が理解不可能であることを忘れて「俺のこの気持ちに共感せよ」と迫ってくるレベルの寄っかかり具合は、気持ち悪くて耐えられません。


引用終わり

感想その2

人間は分かりあう事は難しいです。それは家族であってもそうです。人間関係は自分と他人しかないのです。

それをふまえて孤立を怖れずに心の真実のまま、私はあなたに手を差し伸べるという姿勢が、自分を含めて多くの人の共感を呼ぶのではないか、それが潔い姿だと回りは感じるのではないかと思います。

以前から、自分は「本当は怖いガールトーク」なんて事を書いていますが、この人の場合、中学生の時からガールトークには縁がなかったのでしょうね。

最近、この方は「孤独の意味も、女であることの味わいも」という自伝を出版されています。

何と、この方は14歳の時に集団暴行でレイプされた経験があるそうです。

この本に関してのインタビュー記事もネットで読めます。

14歳の帰り道、車でさらわれた。あれが魂の殺人だと、今の私は思わない
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190611-00010003-bfj-soci&p=1

この記事では、とても大事な部分だけ引用しておきます。

夫に出会ったとき、伴侶として語り合ううちに彼が私に言ってくれたことがある。

帰責性と因果関係を混同したらだめだ。

あなたという存在には、他者の支配欲を呼び起こす原因はあるが、だからといって責任はない。ああ、あのときにそう分析して私に語ってくれる存在がいたらよかったな、と切に思うのである。

引用終わり

感想その3

 

三浦さんは東大の農学部からなぜか法律の大学院を出ています。そのせいか、ボキャブラリーが豊富で適切な言い回しや法律用語が普通に出てきます。

この帰責性という言葉は法律用語です。

例として自損事故を起こして、停止したところに、後続車が追突したという事故があったとします。

通常は一般道であれば、追突した側が100%責任問われる事案ですが、自損事故を起こして急激に停止したという帰責事由があるので、被追突車にもいくらかの過失が発生するというような事のようです。

レイプされた人には、扇情的な服装とか態度があったから・・という落ち度がレイプにつながったのではないかというような事が、たぶん帰責性で、レイプされた事案との因果関係を混同して悩むんじゃないというような事なのだと想像しますが、本を読まないと詳細は分かりません。

自分もこの自伝は興味があるので本屋で見かけたら立ち読みします。きっと買う事になるでしょう。

この旦那さんによるフレーズで彼女には新しい視野が開けて、レイプされた事に対する長年の呪縛から解放されたのです。

そう考えると、誰でも、長年、他人に言えずに悩み苦しんできた事でも、何かのきっかけで新たな発見につながって違う生き方が出来るのでしょうね。

世界一高価なバイオリンを弾く日系のバイオリン奏者

さて、次に紹介するのは世界一高価な16億円のバイオリンの奏者、日系アメリカ人「アン・アキコ、マイヤース」の動画です。色々ありますので是非時間をかけてお楽しみください。

最初は定番、虹の彼方世界でもトップクラスの美しい音色です。

Somewhere Over the Rainbow | Anne Akiko Meyers & Anton Nel | WGBH Music
https://www.youtube.com/watch?v=j8fiirX6jEs

次にドビッシーの月の光、最初のシーンでピアニストの横顔が映ります。伴奏を始める時、チラッとバイオリニストの方を見ます。このピアニストの顔と表情を覚えておいてください。

Anne Akiko Meyers & Reiko Uchida play 'Clair de Lune'/Moonlight
https://www.youtube.com/watch?v=vl1nbO72x-E

これは11歳の時のジョニーカーソンショーという有名なテレビ番組に出演した時のビデオです。ピアニストは、この時以来の表情で伴奏を始めていますね。ずっと共演が続いているのが何となくいいですね。

Anne Akiko Meyers on the Tonight Show with Johnny Carson at age 11
https://www.youtube.com/watch?v=GHyQ-uwVvco

最後にお馴染みのエンリオモリコーネの愛のテーマです。

Anne Akiko Meyers Plays Ennio Morricone's 'LOVE THEME' from Cinema Paradiso

https://www.youtube.com/watch?v=6gH7zf8v1kU

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