学校に上がる前に児童相談所の方から説明があり、主人と二人で聞きました。
「普通学級ですとお子さんがついて行けないです、特学で学んだほうがお子様のためです。」
等々説明されましたが、私達はそれでも良いのでお願いしますといいました。
私たちが普通学級を選んだ理由は特別扱いではなく普通の暮らしをさせたいと言うことです。
落ちこぼれと言われてもそんな事は気にしませんでした。
中々理解してもらえませんでしたが、普通学級を選ぶ権利はありますよね、と一言。
それで決まりました。
疲れました、エネルギー使い果たして帰ってきました。
ランドセルが大きくてお店の方も色々探してくれて何とか間に合いました。
入学式の日、担任の先生から名前を呼ばれ、「いつもおかあさんと学校まで歩いて来てましたね、先生2階の窓から見てましたよ」とお話してくださり、1年間、仕事の合間に娘と一緒に学校までの道のりを信号の事、渡るときの注意などおしゃべりしながら歩いて行き来していました。それを見ていて下さったことに私はとても嬉しくなりました。
クラスは3組ありましたが、他のクラスの先生からも、お母さん心配しなくていいですよ、私たちも見てますからと心強い言葉をかけてくださり、ほっとしました。
クラスは、保育所、幼稚園で一緒のお子さんもおり、お母さんたちも知っていましたので、安心しました。
それでも、娘を知らないお子さんやお母さんもいるので、そこは少しづつ理解して頂こうと思っていました。
先生に「お母さん、学校は社会の縮図です」と言われました。
確かにと納得しながらも、さあ、頑張らねばと思いを新たにしました。(この強さはどこから?)
学校に上がる1年前から公文に通わせていました。できないながらも一応ひらがな、自分の名前は書けるようになっていました。
算数は苦手でした。
PTAでの集まりで役員をやってみたらと周りから言われ引き受けることにしました。その中で高学年のお母さんたちとの交流も役員を通して知り合えました。とにかくどんどん前へ、(笑)
ここからは写真を載せながらその時の様子を書いていこうと思います。
何せ、30年も前のことですから、縄跳びが出来るようになったのは何年生の時だったかな?と記憶が曖昧に・・・(-_-;)
近所方がうちの子が連れていってあげると言ってくださいました。嬉しかったですが、6年生のお子さんで1年後一人で行かなければと考えるとやはり一人で行かせることを考えました。それでも、そのお子さんは少しの間後ろから見守りながら歩いてくれました。きっとお母さんにも見てあげてねと言われてたんだと思います。周りの方に支えられていることをひしひしと感じていました。
近所の公園で、幼稚園で一緒だったお子さんです。小学校はクラスは違ったかな?
もうこんな感じ、忘れてます(-_-;)
入学のお祝いに地球儀頂きました。さすが学校の先生、主人の母の両親が学校の先生そして兄弟もほぼ学校の先生。
義母は私に1日1回は机に向かいなさいと、勉強のできない私は「え~~と困惑」すると家計簿でもいいんですよと、母親が机(テーブル)に向かって書き物をしていることが大事よ、と教わりました。
お蔭で娘は今も毎日机に向かっていろいろ書いてます。その様子は後に書いていこうと思います。
保育所、幼稚園で知り合っていなかったお友達が近くにいてお友達になり家にも遊びに来るようになりました。
遠足の朝、楽しそうにおしゃべりしながら一緒に学校に行きました。
運動会お遊戯は大好きで、張り切って踊っていました。探すのに一苦労でした。
走るのは遅いですが、周りから声援を受けゴールできていました。
学芸会は劇、楽器など楽しく出来ました。
毎年実家に車で帰省していましたが、この時はJRを利用、これも経験させておこうと思いました。
娘はわからなくてもみんなが「ハーイ」と手を挙げると一緒になって手を挙げるので、答えられないのにと男の子たちに言われていたようです。
先生も娘の事を理解してもらうのに大変だったと思います。
いろいろありましたが1年はあっという間に過ぎていきました。