「オステオパシーって何?」と来られる方のほとんどに聞かれます。
オステオパシーは1878年にアメリカのカークスヒルで、メディカルドクターであったアンドリュー・テイラー・スティルによって作られた矯正法です。
オステオというのはギリシャ語で「骨」、パシーはギリシャ語のパソス「治療」からとっています。「骨の治療」という意味になります。カイロプラクティックがギリシャ語のカイロ「手」、プラクティック「技術」から来ているのと同じようなもので、やっぱり昔は医療といえば古代ギリシャ人のヒポクラテスがの発祥と言われてますから、医学=ギリシャって考えがあったんでしょう。
スティルはもともとは通常の投薬治療を行ってましたが、自分の子供を救えずに死なせてしまったため、薬で病気を治す治療に限界を感じて、人間の本来持つ免疫力(自然治癒力)に目をつけたわけですね。
当時の薬は抗生物質も無く、どちらかと言えば「毒をもって毒を制す」 、「二日酔いには迎え酒」みたいな感じでしたから、あんまり効果が無かったんでしょう。
スティルは「世界中の薬を海に流せば、人間にとって最大の幸せ。魚にとっては不幸だけどね」ってお茶目に言っています。
現代は薬も良くなって、副作用も少なくなって本当に助かってますが、やっぱり飲まないで済むのにこしたことはない。
そうやって出来たのがオステオパシーです。
矯正後、免疫細胞の働きが増加するのは実験データとして存在しており、それが「自然治癒力が高まった!」という証拠とされています。
当時の変な薬しかなかった時代に、この効果的な治療法を求めて人がカークスヒルに集まり、街が出来たという伝説まで出来ました。
そうは言っても、広いアメリカですから、いくらカークスヒルに名医がいると言っても、「鯖江の西山公園でレッサパンダの赤ちゃんが公開され始めた」という情報を北海道の人が知らないのと一緒で、未だに「オステオパシーってどこの治療法?」ってアメリカ人に聞かれたりします。
オステオパシーが認知されだしたのはやっぱり戦争の影響です。
軍医として連れて行かれたドクターの後をオステオパシードクターが役割を果たしたこと。インフルエンザが流行した時に、メディカルドクターよりも効果が出たことを引き金にアメリカでの認知度は上がりました。
でも、認知度が上がるとやっぱりメディカルドクターが患者を取り戻すために「怪しい医療行為はやめろ!」と言い出すわけです。これは100年たった今でも同じですよね。「どんな効果もたまたまだ!」「効果に根拠がない!」って。それも実力で取り戻すんじゃなくて、法律を変えることで禁止するわけです。今と同じ。
患者さんが良くなったって言ってるんだからいいだろうと思うんですが。
メディカルドクターとの権力争いになると、じゃあメディカルドクターと同じカリキュラムでやればいいだろうということで、現在はオステオパシードクターは、アメリカではメディカルドクターと同じ地位を築いたわけですが、手技に対するこだわりが無くなってしまい、手技をやるオステオパシードクターは3%しかいないと言われています。
こういう経緯で日本にもオステオパシーが伝わり、現在は日本国中に広まったわけですが、何故か名前を一切聞かない。
理由は簡単。
「名前を知られてないから集客につながらない」という単純に金儲けの理論です。
だから、理学療法をやる人、鍼灸師、柔整師などはオステオパシーという名前ぐらいは知っていますし、学校でもオステオパシーと言われずにオステオパシーの技術を教えているところもあるようです。
筋エネルギーテクニック、カウンターストレイン、筋膜リリースなどが代表的な方法で、それを言うと「カイロプラクティックの学校で習った!」「リハビリの方法かと思った!」と言われます。最近は「筋膜リリース」という方法はTarzanなどでも紹介されてますから、オステオパシーという治療法よりも、筋膜リリースという単独の治療法として独り歩きしてます。
本当は筋膜リリースもオステオパシーの理論に則って使わないと、単なるストレッチになるんですけどね。
そういうわけで、オステオパシーは怪しい治療法ではなく、ちゃんとした医学なんですよ。
日本以外では。
おまけに創始者が治療している動画
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これは私もよく使っているやり方です。
創始者が使っていたのと同じやり方をやってるっていうのも感慨深いですね。
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