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信濃川を挟んでふたつの街
古町・本町と万代シテイ
西の古町・本町は江戸時代のまち割りそのままに今も続くまち
東の万代シテイはバスターミナルを起点に計画されたまち
新潟市を鉄道からみると、駅前商店街が発達しなかったまち。
古くは信濃川を越えるのが難しく、
西の古町・本町の最寄り駅は白山駅、
東のまちの最寄り駅は新潟駅でふたつの別のまちとなっていたように見えます。
ただ、どちらもまちができてから
そのまちはずれに駅が出来ると云うまちのかたち。
早くからひとの出入りが大きければ駅を含んだまちになったのかもしれないけれど
その前に自動車での移動のまちになったから駅がハブとして機能しなかった。
まちのかたちとして早く出来上がった西の古町・本町が唯一の繁華街としてなってきた。
これはひとの動きが徒歩からバスだった時代まで。
車での移動に対応した万代シテイが出来上がると、
西の街からひとは動いた。(昔からの馴染みは愛着をもってまちに行っていたが)
さらに車での来店を前提とした郊外型店舗群が出来ると
旧来のまちは人通りを減少させた。
(これは総体数の小さなまちでは何処でも見られたことだけれど)
それに気付いたまちは特徴を出してひとを繋ぎ、新たに呼ぶことをしてきた。
しなかったまちは扉を閉ざした。
大きな都市で見られるターミナル駅と一つ目小町のような展開であった。
西の上古町、東の沼垂テラスではその手法でひとの流れを作りつつある。
これは大きな都市でターミナル駅が受け持つ部分がその近くにあってのこと
それを旧来からのまちが作れるかがこれからの見ていたいこと。
それにしても、まちの中央を流れる跨げない水路は往来に制限を発生させる。
それを上手く繋げるとまちはのびるし、大きくなる。
新潟市が現在のかたちになるきっかけは萬代橋だったのだし
今はふたつのまちの大きな円を繋ぐ橋がいくつもある。
同じものを扱うまちが川を隔てて二つあれば、行き易い方にひとは行く。
これから特徴をどう出せるかもみたいところ。
現在、一つのまちは夜歩いてもそこにどんな店があるか分かる。
もう一つのまちはわからない。
すでにこんな違いもある ふたつのまち。
ですね。もともと昔は港(湊)から発展した新潟のまち。
鉄道が遅れて来た交通手段なんですね。
それだけに市内交通手段はまちが発展するにしたがって
バスが大きな市民の移動手段になったんですね。
路面電車が発達しなかったのはやっぱり信濃川という大きな川が東西を分断していたこともあるのではないでしょうか。おもしろいですね。
昨年導入されたBRTは全国で注目されています。
さいたま市や東京都湾岸も一部地域で導入するそうです。
六番町は旅籠町だったりして、
湊からの荷はまちの水路・堀を使い運ばれ
それが車の時代になると道路になり
その機能を満たして、まちのかたちを作り今に至るのですが
路面電車は自家用車の所有率が増えるとともに路線が短縮され、廃止されました。
三代目(現在の)萬代橋は設計段階では路面電車が走る計画でしたが。
今再現された橋の上の街灯にはその電線を通すための金具が再現されています。