松の内も過ぎてしまいましたが、本年初投稿です。
旧年中も拙ブログをご訪問いただきありがとうございました。本年もよろしくお願いいたします。
さて、今回のお話。
綿取さん(夫)と話しているときに、文庫化することを『文庫おち』とあさほうきが表現したところ
彼は「よく売れているから文庫化されるのだから、出世的な意味で『文庫あがり』では?」と言いました。
それもそうだなぁ、なんで私は『文庫おち』と表現するようになったのだろうか…?
と、記憶をしゃかしゃかごそごそとあさっていたが思い出せず、その夜は寝まして、翌朝ふと思い出しました。
(不意に思い出す、という閃きを伴う思い出し方ではなく、湯の中に入れた白玉団子が浮き上がってくるような思い出し方でした。)
もうずいぶん前の学生時代のころ。
文庫のお値段なら手が届く、買える、という頃に。
文庫は、カンダタが見つけたお釈迦様のクモの糸のように、私にするするとおりてくる存在だったのです。
私は、下から本を見上げて、欲しいな、まぶしいなと思っていた。
あぁ、あぁ、そうだったと思い出しました。
学生時代の私へ。
今でも本屋で買ったり、図書館で借りたりして読書を楽しんでいますよ。
今では電子書籍や、0円書籍なんてものもあるんですよ。
今でも読書はたのしいですよ。
そんな風に思えた朝でした。