ほとんどを、と書いたのは、わずかな隙間があるからだ。
1本の川が流れていることで隙間ができているのだ。
その川を挟んで東西に集落がある。
僕の生まれ育った村は西側で、川を1本挟んだだけだが東側、対岸の集落の人々とは交流が全くない。大人たちに聞いても「聞くな」という、腫れ物にさわるような反応だったところを見るに、どうもワケありのようだ。そんなわけで今に至るまで、そこは“近くて遠い、謎の集落”だ。
かつて一度だけ大人たちに内緒で、友人たちと対岸の集落に潜入してみたことがあるが、なんとも異質な感じがしたのを覚えている。
余所者を強く拒絶する、そんな強い意志が集落全体を覆っていた。
危険を感じて、友人たちとわき目も振らず全速力で自転車を漕いで集落から出た。
ちなみに、僕の住んでいた村の上流には戦国時代の落人が隠れ住んだという村がある。なるほど、そこには歴史の授業で聞いた名字を持つ人たちがたくさんいる。
彼らは友好的で、何度も遊びに行き来した。
…ずいぶん脱線した(笑)
山村を囲む山は、北(日本海側)が低い。川が隙間を作っているのもそちらだ。
南が立山連峰に連なるので高い。
東西では、東側が南に次いで高く、西側が二番目に低い。稜線から山の向こうを見渡したことがある。
集落が山を挟んだ内側にあるので、その外側から同じ山を見ることができるのだ。
そういうわけで、帰省の際は、山を迂回して北側からトンネルを通って村に向かう。川沿いに旧道があるにはあるが、一般的なルートではない。「直線で山越えルートがあったら早いのに」と、子供の頃に何度も思ったものだ。