我思う。故に我あり。
という有名なセリフがあります。フランスの哲学者、ルネ・デカルトの命題の1つです。
自分を含めた世界の全てが虚偽だとしても、まさにそのように疑っている意識作用が確実であるならば、そのように意識しているところの我だけはその存在を疑い得ないものだとする観念です。
私のように考えない蘆は、その意識すらも存在を肯定できないということです。
哲学は難しいですね。
しかし、全ての存在が虚偽でも、今ここにあるオリカは、間違いなく存在すると言う事です。
何故なら、このオリカに寄せる私の意識作用は確実であるからです。意識の存在が肯定されるなら、その意識上に存在するこのオリカもまた、必然的に存在が肯定されます。
というわけで東風谷早苗です。なんでこんな話?
早苗さんは現人神で、信仰が失せると存在が空虚となると言っていたからです。
でも、その存在を自身で肯定し続ける限り、彼女は不滅というわけです。
つまりは、文章が長いということらしいです。
∴Sanae is forever
という有名なセリフがあります。フランスの哲学者、ルネ・デカルトの命題の1つです。
自分を含めた世界の全てが虚偽だとしても、まさにそのように疑っている意識作用が確実であるならば、そのように意識しているところの我だけはその存在を疑い得ないものだとする観念です。
私のように考えない蘆は、その意識すらも存在を肯定できないということです。
哲学は難しいですね。
しかし、全ての存在が虚偽でも、今ここにあるオリカは、間違いなく存在すると言う事です。
何故なら、このオリカに寄せる私の意識作用は確実であるからです。意識の存在が肯定されるなら、その意識上に存在するこのオリカもまた、必然的に存在が肯定されます。
というわけで東風谷早苗です。なんでこんな話?
早苗さんは現人神で、信仰が失せると存在が空虚となると言っていたからです。
でも、その存在を自身で肯定し続ける限り、彼女は不滅というわけです。
つまりは、文章が長いということらしいです。
∴Sanae is forever