闇と猫と思い出と

病み人間と保護猫のつぶやき

『我慢』の意味

2007-12-31 00:59:26 | 恋愛論
大切なヒトと一緒に居るということは、
同時に、違う考え方、価値観、思いを持った
人間が一緒に居るという事。
どんなに同じ考え方、価値観を持っているといっても、
全く一緒じゃない。
そんな人間存在しないのだから。
何かしろ、食い違う部分が出て当たり前だ。
そういうモノなのだ。

大切なヒトと一緒に居るという事は、
お互いを思いやり、分かち合い、理解しあう。
食い違えば、話し合ったり、感じあう。
お互い幸せになるための努力を惜しまず、
協力し合って、前へ進む。

それに必ず生じるのは
「我慢」だ。

でもその「我慢」はとても美しくて、愛おしい。
相手を思いやるための「我慢」は
すべき、「我慢」。
最低限の「我慢」は、必要なのだ。
当たり前の「我慢」は生じるものなのだ。
つまり、それが、「思いやり」となる。
大切な人が、幸せになるなら、
大切な人と、自然体で居るには
自然に「我慢」が出来るように。
それは「忍耐力」とも言う。
幸せの、大切な人の為の「努力」なのだ。

ワガママを言って、
それがまかり通ることが幸せだとは全然思わない。
自分の思い通りになることが
幸せだなんて、ただの自己満だ。
成長も何もない。

「我慢」

それは成長の道。
努力の一つ。

大切な人を失う以上の苦しみはないのだから。
我慢が出来ないからと言って、
その大切な人を失うことなんて
出来ないのだから。
我慢が出来ないからと言って、
大切な人を諦めるだなんて、
絶対にしたくないし、出来ない。

当たり前の「我慢」なのだ。
苦しくない。
受け止めるだけなのだ。

それが、「理解」につながる。
苦しいだけが「我慢」じゃない。
「我慢」をしないのが
幸せなんかじゃない。

幸せのための、
努力なのだ。

アナタと歩む、
自然な「道」なのだ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする