その通夜や葬儀の席に参列してくださった人々も、
一人一人、言わば「順不同で」亡くなられてきた。
不敬な発言と言われるかもしれないが、
その順々にこの世から「いなくなるさま」は、
面白いと言えば面白い。
「次は、あんたの番でっせ」と誰かが誰かに指をさす。
あるいは、
「今度はオラの番かいな」と自分に言い聞かせる。
必ず、その番が巡ってくる。
そして、誰もいなくなる。
(いつぞや訪ねた大秋山郷の
全村壊滅の跡を思い起こす。)
生まれたことが、悪いのだ、
死ぬことが良くないことだとするならば。
反対に、
死ぬことが悪くないことだとするならば、
生まれたことも悪くないことになる。
生まれてしまった以上、
死ななければならない。
それがこの世の条理だ。
南無阿弥陀仏と唱えるもよし。
何も言わずに天に、
あるいは、
無に身を委ねるもよし。
できれば、
他人の死は無論のこと、
身内の死、自分の死さえ
笑い飛ばすことができれば一番良いかもしれない。
もっと言う必要がある。
笑い飛ばすことができるような平穏な死、
これこそが人生の究極の幸福ではないか、と。
金も名誉も、
もう多分手に入らない。
あとは、
究極の幸福を望むしかない。
その幸福は、
しかし、平穏な瞬間にゆっくりと来るとは限らない。
案外、激烈な瞬間に突然やって来るのかもしれない。
いずれにしても、
自分にはもはや「生まれる前に帰る」しかない。
罰あたりと言えば、罰あたりだった。
穀潰しと言えば、穀潰しだった。
そこそこやってきたと言えば、
そこそこやってきた。
何とでも言えるが、
いずれにしても、
やはり、
自分もまた順番が来れば、「生まれる前に帰る」しかない。
誰もがいなくなりつつある。
やがて誰もがいなくなる。
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