岐阜多治見テニス練習会 Ⅱ

叙景か叙情か

柿本人麻呂の有名な歌、
「もののふの八十(やそ)宇治川の網代木にいさよふ波の行くへ知らずも」は、
叙景か叙情か。
これは専門家の間でも意見の分かれる難題だ。
何だい、難題か。
と心を重くされる読者もいるだろう。
が、しばらく、お付き合い願いたい。
事実を報告するのか。
それとも、
主観を述べるのか。
時と場合による、
と答えるのが無難だ。
僕は、しかし、
そんな返答を求めていない。
僕は毎日君を追いかけた。
過去に遡り、そう述懐したい時もある。
僕は君と一緒に一つの物語を作りたい。
未来に対して意欲を強化し、そう言いたい時もある。
人は気紛れだ。
今、三角形の面積を求める公式を使っている人もいるだろう。
今、人知れず涙を流している人もいるだろう。
物事には継起と飛躍という二つの展開の様態がある。
誰もが或る日、突然、自分になるのだ。
「波の行くへ」も計算できますよ、
と豪語する賢者もいるだろう。
月に着陸して地球に帰還した人間もいた。
それを実現した科学者でさえ、
しかし、女心を操ることは出来ないだろう。
僕は今夜、人生の一回性について思いを巡らす。
非情を生きる。
生きざるを得ない場面がある。
誰もが皆剣が峰に立っている。
人は人を殺すこともあれば、
殺されることもある。
これが僕の人生についての〈要約〉だ。
ハッピーエンドで終わる小説など読まない。
「失われた時を求めて」のように
何事も「未完」で終わるのが良い。
永遠の命などどこにある?
僕も土に還る。
ゆえに、
僕は十分に練られた言葉よりも
アドリブに賭けたい。
何を?
次の瞬間にはどこへ行くのか分からない「波のゆくへ」のような自分のすべてを。

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