初めて土岐市妻木城址に登る。
妻木小学校脇の空き地に駐車。
やや覚束ない足取りのおじさんに道を尋ねる。
指さして、あの山が妻籠城址だと教えてくれたが、
そこに公民館があるから、そこで尋ねろ、と言った。
たとえ近距離でも逆方向に歩くのは癪なので、
オラ指さされた山の方へ踵を向けた。
すぐまた別の短髪のおじさんが、家の前で、
軽トラのドアを開けて何かしていたので、
再び道を尋ねた。
自分の口の中でもごもごと道順を言っていたが、
「俺近くまで乗せてってやるよ」と言ってくれた。
恐縮の言を述べると、
「午前中は暇だからいいよ」と応じてくれた。
オラは、軽トラではなく、横に置いてあった乗用車に乗せられた。
崇禅寺の前を通過し、小さな川を渡り、
妻木城址登山口に到着。
別れ際に、
「登られたことありますか」と尋ねると、
「ない。地元だから」という返事。
オラ、帰宅後、風呂の中で考えた。
「あん人は、子供の頃、
遠足で城址へ連れて行かれたことがあるかもしれない。
しかし、自分の意思で登ったことはない、
城址に興味はない。
あんたは、あんなつまらない所へよく行くね、
これが、あの時の、あのおじさんの科白の持つ意味ではないか」と。
急傾斜の登山道を登る。
道ははっきりしている。
道標もある。
クマよけ対策をしていないと気付いた後、
一人で訳の分からない声を出して歩いていると、
上の方から人声が聞こえてくる。
子供の甲高い声も入り混じっている。
しばらくすると、
小学校3年くらいの児童たちが下りてきた。
付き添いの大人もいる。
30人前後はいただろう。
多くの子供を見るのは久し振りだ。
意外な展開だった。
三の曲輪での展望は、
心のモヤモヤを解き放つものだった。
靄のため白山、恵那山までは眺望がきかなかったが、
笠置山は見て取れた。
1339年土岐明智頼重の築城から1658年の廃城まで
319年続いた妻木城。
花崗岩の巨石群もある、野趣に富む城山。
2時間ほどの散策の後、
老舗の饅頭屋で「とっくり最中」を買って帰った。
田舎にしては、あっさりと甘い餡子の、上品な最中だった。
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