岐阜多治見テニス練習会 Ⅱ

妻木城址へ

多治見に住んで31年。
初めて土岐市妻木城址に登る。

妻木小学校脇の空き地に駐車。
やや覚束ない足取りのおじさんに道を尋ねる。
指さして、あの山が妻籠城址だと教えてくれたが、
そこに公民館があるから、そこで尋ねろ、と言った。
たとえ近距離でも逆方向に歩くのは癪なので、
オラ指さされた山の方へ踵を向けた。
すぐまた別の短髪のおじさんが、家の前で、
軽トラのドアを開けて何かしていたので、
再び道を尋ねた。
自分の口の中でもごもごと道順を言っていたが、
「俺近くまで乗せてってやるよ」と言ってくれた。
恐縮の言を述べると、
「午前中は暇だからいいよ」と応じてくれた。
オラは、軽トラではなく、横に置いてあった乗用車に乗せられた。
崇禅寺の前を通過し、小さな川を渡り、
妻木城址登山口に到着。
別れ際に、
「登られたことありますか」と尋ねると、
「ない。地元だから」という返事。
オラ、帰宅後、風呂の中で考えた。
「あん人は、子供の頃、
遠足で城址へ連れて行かれたことがあるかもしれない。
しかし、自分の意思で登ったことはない、
城址に興味はない。
あんたは、あんなつまらない所へよく行くね、
これが、あの時の、あのおじさんの科白の持つ意味ではないか」と。

急傾斜の登山道を登る。
道ははっきりしている。
道標もある。
クマよけ対策をしていないと気付いた後、
一人で訳の分からない声を出して歩いていると、
上の方から人声が聞こえてくる。
子供の甲高い声も入り混じっている。
しばらくすると、
小学校3年くらいの児童たちが下りてきた。
付き添いの大人もいる。
30人前後はいただろう。
多くの子供を見るのは久し振りだ。
意外な展開だった。

三の曲輪での展望は、
心のモヤモヤを解き放つものだった。
靄のため白山、恵那山までは眺望がきかなかったが、
笠置山は見て取れた。

1339年土岐明智頼重の築城から1658年の廃城まで
319年続いた妻木城。
花崗岩の巨石群もある、野趣に富む城山。

2時間ほどの散策の後、
老舗の饅頭屋で「とっくり最中」を買って帰った。
田舎にしては、あっさりと甘い餡子の、上品な最中だった。

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