岐阜多治見テニス練習会 Ⅱ

たえだえかかる雪の玉水

この歌のどこがいいか。
「山深み」でもなければ、
「春とも知らぬ松の戸に」でもない。
「絶え絶え」、この副詞が輝いている。
ぽとんぽとんと
雪の溶けた雫が不規則に松の戸に落ちている。
ここに、言わば「温もりのある時間の流れ」がある。
この歌を歌うたびに、
何度も何度も、「温もりのある時間の流れ」が再生される。
逆に、
時間が凍り付いて停止しているような歌は、魅力がない。
「古池や蛙飛び込む水の音」、
ここには、
池の縁から飛び込む蛙が池の中に沈むまでの時間の流れが、ある。
しかし、何か気に食わぬ俳句だ。
(蛙が池に飛び込む。そのどこが面白いのか)
僕は、この俳句をもじった次の句のほうが断然好きだ。
「芭蕉翁ぼちゃんと言えば振り返り」
諧謔が輝いているじゃないか。
「ぼちゃん」という音・波紋から
振り返りまでの「楽しい時間の流れ」もある。
いや、波紋そのものが、
既に時間の流れを象徴しているではないか。
それとも、
芭蕉の俳句から水音だけしか想像できない僕の想像力に問題があるのか。
「古池や」の俳句から波紋まで想像できる人はどれだけいるか。
一度街角の百人に尋ねてみたいものだ。
いや、考えてみれば、
蛙が飛び込むような古池自体が、今はもうないか。

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