岐阜多治見テニス練習会 Ⅱ

春歌か

新古今集の、冬の歌の部類を探した。
どこにもない。
三度捲っても出てこない。
おかしい。
絶対あるはずなのに。
やむを得ず、春の歌から捲りなおす。
ややややや、春の部にあったや。
「山深み春とも知らぬ松の戸に絶え絶えかかる雪の玉水」
馬鹿だった。
はっきりと「春」と歌われているではないか。
なのに、なぜ冬の部を探したのか。
「絶え絶えかかる雪の玉水」、
この鮮明な、自分の「冬の記憶」に残っているイメージのせいだ。
この国に歌は無数にあるが、
この式子内親王の歌よりも優れた歌を知らない。
驚きだ、
僕が生まれる750年以上も前に、
僕の記憶の中に残っているイメージを既に歌っていたとは。
いや、こう驚くべきか。
田舎者の記憶の底に灰のように澱んでいたイメージを、
突如光り輝くものに創り直す力を秘めた歌を750年以上前に作ったとは、と。
都が春でも、山は冬か。

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