岐阜多治見テニス練習会 Ⅱ

妹が垣根は荒れにけり

「昔見し妹が垣根は荒れにけり 茅花(つばな)まじりの菫のみして」
約900年前の男、藤原公實の歌だが、この歌を何とも言いようのない気持ちの中で口ずさんでしまうのは僕だけだろうか。伊吹山麓の、小学校4年生まで通った村の分教場跡を見ると、その様変わりに何とも言いようのない感情を覚える。木造校舎がないのは無論、校庭の片隅にあった赤松もない。何もかもなくなっている。時が流れ去ったのだ。空間は辛うじて残っていた。ゲートボール場になっていた。僕の眼に映るものは、それでも、当時の教室であり、当時の陣取り遊びの風景だった。空を見上げれば、初恋の相手の面影も虹のように現れる。今となれば、お笑い草だが、何度「初恋」をしたことか。中学、高校時代の憧れの同級生の顔を思い浮かべる。(何人もいたが、今夜は君のことだけを書いている)。16歳の頃だ。彼女の家の近くの垣根の傍で、ある夕方、僕らは擦れ違った。僕は垣根の右側を自転車で、彼女は垣根の左側を歩いて帰路に就いていた。挨拶もせずに過ぎ去る。その一瞬がなぜかいまだに蘇る。例えば、きょうも、何度か蘇る。追憶だ。今日が何年何月何日かは言うまい。名付けられない果敢無く貧しい一日、いつかどこかで過ごした同じような或る一日と違わないきょうという名の一日。回想の甘さに酔い痴れている自分。酔生夢死という言葉が泡のように生じる。この目に見えない殻に閉じ籠ると、僕の手は酒瓶をつかもうとしてしまう。「垣根の傍で擦れ違った瞬間のことを、今も何度も思い出す。40年も前の話だが、・・・」、そう言えば、今の彼女の耳にはどう響くだろうか。荒れた庭ほど寂しいものはない。廃屋。何と残酷な姿だろう。庭は無論、家の周りにもドクダミがはびこり、優しい白色の花を輝かす。蛇の棲家にもなっている。そんな心象風景が、どうにもならなかった僕らが佇んでいる目の前の風景だ。誰かが言ったように、確かに人は誰でも一瞬一瞬に死んでいるのだろう。一度だけ雪の中で、山東町の本屋の近くで会ったね。君は僕の好きな紺色のオーバーを着ていた。あの日も帰らない。いや、あの日の回想は何度でも蘇る。あの日の僕らが二度と蘇らないだけだ。平田川もどこかに消えてしまった。少年の日、岩陰で掴んだあの鮒はどこに行ったのか。菫が咲く野道を今歩くのは藤原公實ではなく、僕だ。900年前に歩いた男と同じ気分に揺れながら、僕は「徒然草」を読んだ。歌は作れなかったが、懐かしい時間を密かに味わうことができた。これがこの世の別れというものだ。

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