岐阜多治見テニス練習会 Ⅱ

雨中鍛練

貝原益軒先生は79歳の頃、中山道を旅し、「岐蘓路記」を著した。宝永6年、西暦1709年、今から300年前のことだ。落合宿戸数90戸ばかり、との記述を読む。年寄にしては中々細かく、味のある紀行を書いているわい。昨年に引き続き、今年も雨中鍛練の場を旧中山道に求めた。
平成20年6月22日日曜日、午前11時7分の快速に乗り、中津川駅へ。740円。名物「からすみ」を買い、昼飯とする。傍若無人の、歩きながらの立ち食いだ。いつものように和菓子屋「すや」に立ち寄る。栗娘が数人いたが、余のお気に入りはいなかった。栗饅頭を買う。小さな店なのに、店員が多い。やはり「すや」の看板に庶民は皆靡くのか。18日水曜から疲労感が取れず、21日土曜のテニスではまったく集中できなかった。「すや」からトボトボと雨の中を歩きだす。全身がだるい。キビキビと歩けない。病気になったのか。1歩1歩前進することだけしか考えないようにした。同じ坂道でも、右側と左側とでは勾配が違う場合は、より急な方を意識的に選んで歩いた。ここが深山幽谷だったら、どうする。そう自分に問うた。落合宿まで4キロ、1時間。山の中の石畳の坂道を上りつめた所で、最初の休憩を取った。いつものように右足の付け根が痛む。残りの「からすみ」を食べ、好物の辛いあられを食べる。なぜか疲労感が段々薄れていった。ストレッチをして、楽な気分で再出発した。十曲峠を経て、子規の記念碑の手前辺りまで来た時、土地の主婦が一人、道端で傘をさしながら、山の方を見ている。山菜取りか。いや違う。デジタルカメラを構えている。何をしているのか。檜のような大木の根本が掘り起こされている。擦れ違う。と、おばはんが突然、「雷がここに落ちたそうだよ」と余に言う。余は覗く。「昨日落ちたそうだ」記録写真か。余は木の上の方を仰ぎ見る。ヤヤ、確かじゃ。裂けている。雷だ。余が指さすと、おばはんも仰ぎ見る。「いや、すごい」余はそう言い残して、先を急ぐ。
馬籠到着。中津川駅から8キロ。雨合羽の防水力が弱くなったのか。あるいは、汗をかいただけなのか。シャツが湿ってきた。止まると、特に上半身が冷える。こんな装備では駄目だ。合羽も、肌着も、もっと高品質のものを買わなくては。もしここが高山なら、どうする。雨中訓練して良かった。このまま南木曽駅まで歩くことは、しかし、意味がないと見切りをつけ、「坂扇屋」で生ビールを注文することにした。前回は糠漬けがつまみとして出てきたが、きょうは、糠漬けではなく、名の分からない漬物だった。小指ほどのタケノコの漬物が珍しかった。
16時発のバスを待つ間、島崎藤村記念館を見学することにした。初めての立ち寄りだ。入場料500円。藤村がフランスから持ち帰った本がたくさん展示してあった。恵那山は、残念ながら、その姿を見せてくれなかった。

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