岐阜多治見テニス練習会 Ⅱ

晩秋の一刻

朝、庭に七輪を出し、
炭火をおこす。
なかなか着火しない。
だらしないものだ。
炭火は一度火がつくと、
二度と消えないからうれしくなる。
伊吹の畑で、
100%世話なしで作ったサツマイモを
銀紙に包んで炭火の上に置く。
時々は、
庭に散らばった紅葉の枯葉を七輪の中にくべる。
紅葉は、
黒く焦げ、ポッと小さな炎を上げ、
最後は黒い煙を細く揺らして消える。
紅葉以外の色々な葉っぱも燃やす。
葉によって、燃え方が違う。
黙って燃え尽きるものもあれば、
激しく音を立てて燃え尽きるものもある。
妙な取り合わせだが、
ボージョレー・ヌーボーの残りを
庭の七輪で暖を取りながら飲んだ。
見上げれば、小春日和の青い空。
こういう休暇の過ごし方もあったんだな。

ふと思いついて、
虎渓山永保持へ自転車で行く。
700年前に植えられた銀杏の大木は
まだ黄金色になってはいなかった。
紅葉の盛りは過ぎていた。
観光客は多い。
堂内の僧たちの足元を見ると、
素足だ。
青々と剃られた頭も寒そうだ。
日本国に生まれた以上、
遅まきながら、
一度くらいは余も行の真似事をしてみようか。

永保持の北側の駐車場入口で
「指揮」の腕章をはめて
交通整理をしていた男、
何と言えばいいか、
「存在感のある男」と言えばいいのか。
下手な役者の芝居を見ているよりも面白かった。
一挙手一投足に鋭い気合が入っていた。
いわゆる「identity crisis」とは無縁の男だろうな。

境内で売られていたの般若心経の豆本も
面白かった。
経がすべて絵で表現でされていた。
一例。
食う男の絵の横に「くう」と書いてある。
「空」が「食う」とは驚きだ。
しかし、一切空とは、
文字通り、一切空なので、
「食う」も「空」でよいと合点した。

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