岐阜多治見テニス練習会 Ⅱ

島流しの刑

僕と同世代の男ならば、
多分、江夏豊投手の最盛期をテレビで見ていると思う。
僕は、しかし、実は、一度も見ていない。
その頃、
つまり、まさに青春時代だったが、
言わば、自分で自分を島流しの刑に処したからだ。
誰でも知っていることを知らない空白部分がある、と言えばいいか。
僕は下腹が出ている江夏しか知らない。
なぜこんな話を始めたのか。
数分前のことなのに、もう忘れてしまった。
多分小田実の「何でもみてやろう」が引き金になったのだろう。
島流しの刑を自ら受けていた僕は、
江夏を知らなかったように小田実も知らなかった。
今、その小田と語り合っている。
「何でも見てやろう」の中の
「腐敗と希望 ピラミッドの下で考える」の章には、
決して僕には辿れない考え方が書かれてある。
レバノンの男たちが小田を空港まで車で送ってやると言う。
道中、彼らはアラブ世界の未来について語った。
小田は共感を覚えた。
しかし、彼らは羊の仮面を被った狼たちだった。
小田のスーツケースを引っ掻き回す。
小田は怒る。
長いが、原文を引用する。
  彼らが「ナセルの偉大さについて、輝かしいアラブの世界の未来について語り、
  また現在のひとびとの、また政府の腐敗についていきどおることと、
  私から何かをせしめようとするさもしい気持とのあいだに、
  いったい如何なる論理的、あるいは倫理的連関が成り立つというのか、
  誰が、いったい、こんな悲惨な連関に彼らを追いやったのか。
  ・・・・私は結論した。
  これがアラブ世界の現実なら、私たちは、それを肯定しなければ
  ならないのだ、と。
  この現実をすべて感傷なしに認め、その上で、
  ひとびとの心に、あるいは、
  社会に存在するこれら二つの矛盾したもののうち、
  ひとつのものをもりたてて行くよりほかはないのではないか。
  ・・・私は重苦しい気持で、その判りきった結論に面していた。」
どうだ。こんな立派な結論に誰が辿り付けるのか。
小田はえらい。「この現実をすべて感傷なしに認め」、
人々の心に存在する「二つの矛盾したもののうち、ひとつのものをもりたてて行く」、
この場所だ、すごいのは。
僕にはとてもこんなふうには考えられない。
器が違う。
この歳になっても、小田教徒になって平伏したくなってしまう。
若い頃、島流しになっていなかったら、
間違いなくそうなっていただろう。
しばらくは、彼と対決せざるを得ない。
巨人に対して蟻がどんな対決をするのか。
身の程知らずではある。
が、ま、いいだろう。
誰に迷惑がかかるわけではない。

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