▲宇都宮城が旅の基点。
慶応4年(1868年)
先鋒軍は4月19日未明に宇都宮城を攻撃。
土方率いる桑名藩軍は城の南東の簗瀬橋を突破し下河原門に攻め寄せた。
新政府軍も奮戦し激戦となる。
秋月率いる伝習第一隊は中河原門に攻撃し、回天隊は南館門に攻撃した。
その激しさに耐えられなくなり、
敵前逃亡を図った1人の兵士は土方によって斬られ、
「退却するものは誰でもこうだ」と言い放った。
これにより旧幕府軍の士気が上がり下河原門を突破。
新政府軍が二の丸に火をかけ退却し宇都宮城はわずか1日で落城した。
宇都宮城の炎は夜通し消えることはなかった。
21日、壬生城攻撃のため姿川で両軍対峙。
23日、六道の辻で戦闘。
土方は二荒山神社で足に被弾、負傷。
戦場離脱→今市から会津田島を抜けて東山温泉に移送。
※画像は宇都宮城の城壁を復元した「宇都宮城」の一部を撮影。
「よみがえれ!宇都宮城」市民の会HP
新選組-Wikipedia
戊辰戦争-Wikipedia
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