六月のある 雨の 朝
兄が逝った 傍らに すすり泣く 姪の声
その半開きの 眼にみる 彼の半世
その夜 夢に見る 斎場の断末魔
天空を かきむしり 三途を拒否する命
スルメのごとく折れ曲がり 有機は気体と果て
無機は、その生暖かき 斎箸につつまれ
かすかに見ゆる焼台の癌痕跡 ああ
生命の 完全遊離を いく世とも
先日、朝日新聞の悩み事コメンテイターとして、氏のコメントが載っておりました。面白いコメントなので、webで検索し、ブックONにて文庫本を数冊購入いたしました。ストレートに申して、一般常識や社会通念は捨ててかからないと読めない文体です。その底辺には、深沢八郎の楢山節考や西行の仏教思想が流れ、大正無頼派の太宰治、織田作之助、壇一夫など、まだ良識派と思わせる昭和破滅型文体、しかし、三島由紀夫賞、平林たいこ文学賞、直木賞受賞、慶応独文科卒でゲーテやシェイクスピアなど原書で読破しており、その文体の基礎には、確実な実力をうかがわせるものがあります。その根幹は、兵庫の片田舎の家族、村の風習、因業、播磨訛りをベースに、その風景は、極めてリアルな写実表現です。最も特徴的な点は、自己、家族、かかわる人々をさらけ出すことによって自分の業を維持することへの嫌悪感、47歳にして鬱、強迫性神経症のなかでの「鹽壺の匙」で、三島由紀夫賞、51歳「漂流物」で平林たいこ文学賞、53歳「赤目四十八瀧心中未遂」にて直木賞などその実力がうかがえます。昨年の文芸春秋に奥さんと一緒に四国八十八ケ所巡礼の写真が掲載されていました。精神の安定が復帰または希求されたかと感じた。現在の豊かな時代に、このような昭和作家が生存していることに考えさせられるものがあった。