「いい歌!」「いい曲!」って思うとき、
「これいいよー!」と他人に紹介するとき、
それはメロディラインがとても素敵なのか、
歌詞の内容がとても素敵なのか、
あるいはどちらも優れているのか、
もしくは他の理由があるのか、
一言で「良い」といっても、どの部分が良くて素敵なのかは人と曲により違うと思う。
その人が良いと感じたものを他人に勧めても、同じように感じてくれるかはわからない。
人気の曲を聴いて、なぜ人気なのかいい曲と言われてるのか分からない、というのを時折みる。
言われてみればそれもそうだと思うことがある。
実際、自分は好みのリズム感だけど歌詞の意味が全く理解できない曲が多々あるので、それを他人に紹介するのは「どこがいいの?」といわれそうで、なかなかこわい。
(その人の好みに合うと判っているなら別だが)
「いい!」と思う部分を具体的に説明出来るなら、好みが違えどなるほどと理解は得られるかもしれない。
でもそこを「いい」の一言にまとめてしまったり、抽象的にしか言えないと・・・うう~んん・・・という感じ(←もうココですでに説明できていない)。
「イイネ」にも色んな意味のイイネがあるはず。
しかし、歌詞を書いた人が意図的にそうしている場合もある。その人なりの受け止め方をしてもらえば…とか、むしろどんな反応がくるのか知りたいとか、ただの言葉遊びなこともあるし。
自分なりに考えるけど、想像を超える意図が含まれていることを知ったときの感動を味わいたいので、私はその意図を説明してほしいと思うほうだけど、実は野暮な行動だなぁ…。その曖昧さが、なんともいえない雰囲気が、作品の持ち味となることもあるわけで。
多くの芸術系作品はそういうものかもしれない。かな?
たまに説明されないとわからない作品はどうかという意見もあるけれど。
とりあえず某曲が批判?されてる場面をみて、「いい曲!」っていっても色んな意味がこめられてるよねって思ったのでした。
ちなみに私の曲への好意の意味は、メロディ・テンポ・疾走感・とかリズムが好きということで、歌詞の意味が全くわからないので誰か説明してほしいところです。
余談。
「ヤバい」は悪い場面だけでなく、素敵すぎる場合にも使われまくってるので、たまに続きの言葉が出てくるまで意味を取り違えてるのでややこしいと感じる。
「これいいよー!」と他人に紹介するとき、
それはメロディラインがとても素敵なのか、
歌詞の内容がとても素敵なのか、
あるいはどちらも優れているのか、
もしくは他の理由があるのか、
一言で「良い」といっても、どの部分が良くて素敵なのかは人と曲により違うと思う。
その人が良いと感じたものを他人に勧めても、同じように感じてくれるかはわからない。
人気の曲を聴いて、なぜ人気なのかいい曲と言われてるのか分からない、というのを時折みる。
言われてみればそれもそうだと思うことがある。
実際、自分は好みのリズム感だけど歌詞の意味が全く理解できない曲が多々あるので、それを他人に紹介するのは「どこがいいの?」といわれそうで、なかなかこわい。
(その人の好みに合うと判っているなら別だが)
「いい!」と思う部分を具体的に説明出来るなら、好みが違えどなるほどと理解は得られるかもしれない。
でもそこを「いい」の一言にまとめてしまったり、抽象的にしか言えないと・・・うう~んん・・・という感じ(←もうココですでに説明できていない)。
「イイネ」にも色んな意味のイイネがあるはず。
しかし、歌詞を書いた人が意図的にそうしている場合もある。その人なりの受け止め方をしてもらえば…とか、むしろどんな反応がくるのか知りたいとか、ただの言葉遊びなこともあるし。
自分なりに考えるけど、想像を超える意図が含まれていることを知ったときの感動を味わいたいので、私はその意図を説明してほしいと思うほうだけど、実は野暮な行動だなぁ…。その曖昧さが、なんともいえない雰囲気が、作品の持ち味となることもあるわけで。
多くの芸術系作品はそういうものかもしれない。かな?
たまに説明されないとわからない作品はどうかという意見もあるけれど。
とりあえず某曲が批判?されてる場面をみて、「いい曲!」っていっても色んな意味がこめられてるよねって思ったのでした。
ちなみに私の曲への好意の意味は、メロディ・テンポ・疾走感・とかリズムが好きということで、歌詞の意味が全くわからないので誰か説明してほしいところです。
余談。
「ヤバい」は悪い場面だけでなく、素敵すぎる場合にも使われまくってるので、たまに続きの言葉が出てくるまで意味を取り違えてるのでややこしいと感じる。
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