今日はメンタルクリニック受診日。
前回受診日に比べ、次男は明らかに元気になった。
この2週間、早寝早起きは続いている。
美容院を自分でネット予約して髪をカットしに行き(11月に丸坊主にしてからは私がカットしていた)
バスに乗って図書館に行き、1人でラーメンを食べて帰って来た。
(結局新しいパソコンは買ったのだが)この1週間はパソコンのセットアップや動画を作る準備をしていて、ゲームはあまりやっていない。
以上を医師に報告。
鬱でも躁でもなく普通の状態。
医師からは、外に出るのは続けて動画作りはあまり無理しないようにと言われ、
薬は前回と同じ、ラモトリギン100mgとラツーダ40mgが処方された。
自立支援医療はまだ使えないが、領収書を取っておけば受給証が届いてから返金してもらえるらしい。
夜は「母さん、散歩に行こう」と誘われて、この1週間で2回出かけた。
歩きながら次男が色々話して来た。
次男、元気にはなったけれど、話す内容はあまり変わらない。
「働きたくない」
「大学には行かない」
「不労所得欲しい」
「オレ人生向いてない」
考え方は前向きにはならないようだ。
1人で外出できるようになっただけでもいいや。
村上春樹の『猫を棄てる』という本を読んだ。
村上氏の父親の回想録だった。
子供の頃の父親との1番印象に残る思い出が、一緒に自転車で猫を捨てに行ったことなんだそうだ。
2キロほど離れた海岸に猫を捨て、自転車でまっすぐ家に帰ったら玄関から「にゃあ」と言って捨てて来たはずの猫が愛想よく出迎えてくれたそうだ。
それを見た父親の顔が最初は呆然とし、やがて感心した表情に変わり、最後にホッとしたような顔になり、結局それからもその猫を飼い続けたという。
それが一番の思い出として書いてあるのを読んで、微笑ましく、親近感を覚えた。
作家として成功した村上春樹氏のことを父上はさぞ誇らしかったのではないかと凡人の私は想像していたが、意外なことに職業作家になってから父親とは疎遠になり、次第に絶縁状態になって20年以上顔を合わさず、父親が亡くなる少し前にようやく顔を合わせて話したと書いてあった。
そして猫を捨てに行って、その猫にあっさりと出し抜かれてしまった体験を、父親との『素晴らしい、謎めいた共有体験』と書いている。
『そんなひとつひとつのささやかなものごとの限りない集積が、僕という人間をこれまでにかたち作ってきたのだ』(引用)
捨てた猫が帰って来たという特に珍しくもない出来事は村上春樹の手にかかるとこんな素晴らしい出来事のように修飾されるのか…と思った。
父と息子の確執、息子が社会的に評価されて立派になっても関係ないのね。