今日は 首をねじ切られそうに、左右斜め上へと引っ張られたので
電車は、乗れた。 揺れも何ともなくなりました。
急に さーっむいですが、微量ながら収入の目処がつき
仕事初日からの緊張はやや落ち着きつつあります。
今のところパート先の人員不足から何とも言えないけど、
息抜きのDaisoでちっさいサンタさん見つけました。
もうそんな季節に突入するわけです。実感なし
研修&実習の日々ですが、環境にはメキメキ慣れ始めています。
急にスケジュールが立て込みだし、気の張りでお腹を壊し続けながらも
思ったより早く順応し出した感じがして。 今の体が頼もしい。
数回出向いている研修も、だいたい少人数だしマンツーマンの回なんかは厳しいですが、
接客で手を抜かない販売を仕事にしている先輩方に会うのは、
彼らの経験値が眩しく そういった人脈ができることは頼もしく 本当に楽しいです。
自分が結局、それが好きなんだろうなと思う。
誰もを尊敬するし盗みたいけど、以前ほど人見知りも気負いもしなくなったのは
もちろん、成人を二回迎えた地点にいる余裕も少なからずありますけども
外見はふつうの人間でも 中身が怪物みたいな人物に会って、
今までの常識が引っくり返ったせいだとうっすら思う。(恩人を怪物呼ばわり)
わたしと同じ一般人側だ、という安心感になるだとか。
共感できるものや 話が通じやすくて良かったわ~ な感じになるんでしょうか。
カイブツくんの余波でしょうか
耳が痛いことも本気で伝えてくれる関わりの有難さも痛感します。
仕事となれば個人的な関係と違い そこをバンと踏み込まざるを得ないから、
ほんとうに ありがたいと思う。
教えてくれて有難う、と思う。
指摘してくれて助かるし、実際にそう伝えてます。
相手が大事だから、上に向かってほしいから、あえて壁になる。考える機会にさせる。
無駄に費やす時間を省き 良い仕事へと誘導することになる。
いい関係だけをキープするなら楽だけど、停滞し成長が止まる。
もう出来るはずだと、それだけ その人を見ていてくれるからだと思う。
若い社員さんが店長から、裏でこれもわからないのか、と叱られるのを見かけたりする。
私は、うらやましい。 それを求められる場所にいるその人が。
この目の前で 化けてほしいと思う。
私はもう劇的な飛躍っていうのは年齢的に無理だけど(実際いくらも変わってない)
若いうちなら いくらでも変われる力がある。 新しい仲間として、ちゃんと見てるから。
写真がなくなったので いつかスマホに落書きしたアヒルで。
時間数は少ないものの、思いがけず研修日翌日から出勤になっています。
新店の開店日までに仕上げねば という、現場の危機感に煽られる。
まあ、わかる。以前にもオープニングは2度ほど経験してて
けっこう大型の什器などを運び込んだこともあった。
まだ物の整っていない店内の床に座り コンビニで買ったお昼ご飯食べたり
販売契約の研修を受けたり。
ふだんは忘れてるけど様々な場所で その時しかない時間を重ねてこれたな~と思います。
あの時の仲間は、あの時しかいなかったし。
チェーン店だと今の同じ場所に知った人は一人もいないと思う。不思議です
腰痛い。治療行きたい。 と うわ言のように呻いています。
私では治癒力が仮に出てたとしてもショボショボで追いつかない。
防水のためにビニールシート敷いた上に蒸しタオルを置き、
逆アイロンみたいに腰を乗せ寝るのが 今の最強の対策です。
冷えていく過程が大事らしいから風邪をひきやすいので上掛けして予防。
気持ちいいので寝そうになるけど、我慢。
レジはサポートしてくれる人が(同じパートさん)細かくカバーしてくれて、
初日は安心してレジ操作に集中出来ました。 バーコードを探すのが大変だったけど、
お客さんも諦めるのか程々見逃してくれ優しかったので 不要な恐怖心持たずに済みました。
お客側の気持ちもわかるので 申し訳ねえ、な気持ちを込めて 大きな声で挨拶しっかりしておいた。
きっと 借りは返すぜ。(あえて大きく出てみる)
会話さえ面倒くさがる状況でいながら 教育はした、と言い切られる形で
ろくに指示もなく 冷遇を受ける場所にいたことあるから、(被害者複数)
今がどんなに恵まれてるか、よくわかります。
未成人なら まだ不安定な最中だろうし許されますが、
機嫌で他人をコントロールしようとする大人は、
社会人としては失格だと本気で思うようになりました。 目上も目下もなく。
自分の機嫌を保つこと、感情のコントロールができることのほうが、
どんな立ち回り方よりも仕事をする場での基本だと思う。 場に慣れるほど難しくなる課題ですが。
パワハラ、モラハラへの意識が 大人の場に浸透するのは良いことですねー。
店の2レジで強力サポートしてくれた高校生バイトさんが、成人レベルの落ち着き感で
将来の仕事に苦労しないだろうなーっていう雑談にまでなった。
半年ほど先輩なのが嬉しかったのか、へっへっへーっと得意そうに笑うのです。 ツンとはしないのかー
こういう人は、絶対に損をしなさそう。
自分はあのころ、どうしてたっけ~って思い返すものですね。 同じ目線をなぞろうとするわけで。
ああ、彼はあの時代にいるのか~ってなる。
使うものだったり、外の時代は全く違うけど人間の歩み方はほぼ同じ。
目鼻の数、私とあなた、同じでしょ?って 気功院の先生に言われた言葉を度々思い出します。
違う?違うからあなたには出来ない?どう? 片言でせっかちに詰め寄られる。(診療時間が短いから)
違うとしたら宇宙人とかモノノケ寄りだよ。。スケールがデカすぎて、わかりません。
答えがたくさん出てくるような不思議な問いかけは頭に残る。
改めて驚きましたが 成長中の人のパワーはやっぱり、
彼の周囲がメキメキ燃えるような圧を感じます。
空気の密度が濃くなるような。ギュッと圧縮するような。かな。 アチっ、って感じがする。
私はそいつが出尽くして以後 二度目の成人迎えましたが。 持て余した時期あったねえ。。勿体ない
手がかからないタイプのお子さんだと、
親側はちょっと寂しかったりもするのかな とも、こっそり思う。
現場を知った若手の人達が将来的に順調に
人のいざこざとかその時限りの無駄な騒ぎに 足を取られたり力を浪費することなく、
人を束ねるなり、内部で全体を安定に導くような お仕事をして欲しいものです。
私は結局、診療所で受け付けをしていた時のような
お客さん相手の作業が好きだと、教育係の方の接客を見ていても思ったので(ひどく気が合った)
ここがいいです。 ・・・早番なりそうだけど
また続けて研修、実地、実地、研修研修、実地~ その後未定。
混戦中ですが頑張ります。
信じてもらえないかもしれませんが
リビングにいる母のエンゼルフィッシュが、暇すぎてかくれんぼを仕掛けてきます。
手前のテレビの影からススス、と出てきては引っ込むやつ。
猫がよくやるアレに似たのをやりながら様子を窺ってくる(誘う)
こちらが食事中に ムーンウォークみたいに出たり引っ込んだりして待っている。
けっこう面白いです。
つなぎ目のない水槽の角でありえない形に見える。
コリドラスっていう、
ユーモラスな体形をした同居仲良しトリオを追い掛け回すので
プラの水槽越しに 指を動かし突かせる遊び相手になりましたが
シューティングゲームの虜になったらしく 私だけが宿敵扱いされていて 狙われ続けている。
この家で 水回りがヤツの縄張りの先にあるもので。
通りがかりにギラっと体を震わせ飛び掛かってくる。
平たいくせに。寝てるときとか水流で流されてるくせに。 身なんか一食分にもならないくせに・・・
水槽の下から隠れて見ても、奥の冷蔵庫の背後から覗いてみても、
牡牛みたいに体をブルっと震わせ威嚇してきます。 ←本気で遊ぶ私も私。
コレが死んだときは寂しいだろうな、と思うとき つい思い出すのが、
一度 明け方に一瞬覘いた冷蔵庫からの強烈な明かりに驚いたらしく
早朝 水の境界線を越え 魚拓みたいに乾きかけで床に落ちているのを見つけたことがありました。
ちょっとカワハギの味りん干しみたいになりかけた魚を慌てて水槽に沈ませ
覚悟しながら数日かけて復活してきたことがあります。
それで従順になるどころか 獰猛さに拍車がかかっている。
近くの公園の 山桜の樹です。
コンクリやアスファルトとのコントラストが良くて引かれますが
こうして住宅地で落ち葉を写真に撮ってると、軽めにヒンシュクの視線を受けて感じます。
撮ってる悠長な暇があったら 掃き集めてくれよ。っていうふうな。
そう たしかに掃除は大変。 地面とか濡れてると余計ね。
そう、乾かないとね。(軽い共感で済ませて逃亡)
そうそう、朝顔の種がとれました。 他も続いています。
試しにドライフラワーみたいにしておいてみようとそのままです。
種を包む この滑らかなパリパリの殻が好きですが、粉々になるのでとっておけない。
この朝顔の赤紫は目が覚めるような鮮やかさで、ほんとうにきれいです。
体調が悪い過去の期間には 咲く時間帯をよく逃してましたが、
今は気功やらの習慣で ふつうに5時6時台に起きるようになったので
多分、今年が一番 回数多く見れました。
そういえば朝顔って 蕾が出来上がったタイミングから、
暗闇になった10時間後(だったと思う)を目安に開花するんだそうで。
開花の予定時間に暗室に入れてても咲いちゃってるんだよ、
朝の光に反応してスイッチ入るわけじゃないんだよ、って話だったような。
うろ覚えを書き立ててすみません。 そこはメモだと思ってほしい。
そんな理由で、一斉にその日の分が時間を揃えて咲くそうです。
もう種になっちゃったけど。 来年も蒔こう。
もう終盤らしい、ヒイラギの花を見かけました。
ヒイラギに花が咲くって知らなかった。
白いってことも、金木製みたいな形で香りも似てる、だなんてことも
今まで全く知らなかったです。 花が小さくて密やかすぎたのかな。
じつはこの奥はよく遊んだ公園で。 よっぽど遊びに夢中だったのか殆ど覚えていない。
ヒイラギは若木でなくなると 葉のトゲがなくなるとも聞いたような。
初心者には、もっと見分けがつかなくなります。
縁のところでカーブを描く葉脈の走り方と 薄い葉のデコボコ感が光沢で浮き上がって印象的。
気功の体操はだいぶ 丁寧に気持ち込めて出来るようになってきました。
100%ではないものの 動作ごとの感覚が行渡るようになったような。
屈むのはまだ苦手で本当に体重かけたいところを避けてしまっている気がする。
もう少しピタッと来たら 気分も達成感もいいだろうな、と思います。
気が通ってるよ!という感覚はあまりないです。(だから体操扱い)
寒くなってきたので 手の平に感じた熱も弱まったし。
通りが良ければ何かしら良いんだろう、っていう
令和の時代にそぐわない雑な理解で突き進んでいます。 昭和生まれだからいいんだもん
再発する腰痛は20年間は付き合ってきたものだから イキナリ治れとは期待しない。
首からくる眩暈も まあまあ我慢する。
これまで何もせずに病気らしい病気をしなかったのはありがたい。
維持したい。
冷え性を 可能な限り、治したいです。
明日から一応、再びの所属先ができます。 以前までは それが有ると厄介ながらも安心だった。
今度はどうかな… なにも変わらない気がします。
健康維持と、仕事。 その支えあうバランスだけが重要です。
現実面、途切れてた収入が入る当てができたおかげでギリギリ冬の服が買えました。
あまり冷え性が治せない状態だったよう。
静電気は帯びますが、ポリエステルなんかも程々に着れるようになってて助かります。
やや白っぽい葉裏と、広い葉のくっきりとした葉脈の重なり模様が面白くなりました。
不安感。
それが今回の課題みたいです。
なにかが いつもキーワードとして、ポワッと出てくる。
そのパターンにも、やや慣れ始めました。
ですが、そこからの手探り作業は変わらない。
意識をそちらへ向けさせるのが目的みたいなところも感じていて
半分は自動的に展開していきますが。 なにか暗示めいてるので放置です。
ムキになっても分からないので空回りする
現実を直視して解決するために、
考える習慣づけをすることが目的のミッションか何かだろうか。
わからない。 今知ったところで何にもならないかも。放置です。 積極性 全滅かも
不安が、目指している健康生活をどうも邪魔しているらしいのです。 という感じでした。
残る症状、仕事先、住環境、、探るけど違った。
過去に歯医者で合う素材についてのOリングテストを受けたけど、 esだったから
それと似た感じで言われるもので、「???」のまま帰ってくる。
快速電車はつり革で立つべきではなかったです。 Gがかかってなかなかのアトラクション。
元々 23年間抱える腰痛と頚椎症で、特に冷え始めるこの時期から、
この先、半年程度の期間の過ごし方についての予想と
「不安」らしきものは毎年出てくる。
仕事との折り合いとか、調整の思考が始まる。
休日はそれこそ100%休養。 潰れて遊ぶ余力はゼロ。
ただ 読書も映画も考えることも、自然や動植物や音楽も写真も工芸も
広く浅く そこそこ好きなものだから、
幸運にも さして辛い自覚はなくて 喉元過ぎると意識的に忘れて身を守る癖もついた。
無自覚ですが そういった習慣が裏目に出ることもあって、
世間とズレ過ぎて、ポケっとし過ぎているのかなぁ と不安になります。
↑ 不安癖ダメです
冬への不安。 思いつくのは そのあたりかー。冬眠したいと本気で思ったことがあった。
何年も同じ季節を前に蓄積したこの不安感が
この時期に一気に目前に引き戻されてくるのかもしれない。
それも平常のことだったため、急に指摘を受けても思い浮かばなかった。
違うかもしれないけど、その一つかもしれない。
この季節を 一人の人が成人してしまう回数を経ての今だと
あまりにも 自分の周期に含まれすぎていて気付かなくなる。
実は それが自分で思うより良くないのかもしれません。
とにかく痛みが出だすと一気に気弱にはなる、と話すと
動功で体を動かせとのこと。 なんてシンプル! 長年蓄積の厚みも陰も吹き飛ぶ明白さ。
回数を限定し集中し、もっと仰々しく扱うものかと勝手に思い込んでいたのですが
まるでラジオ体操みたいに気が済むまでやっていいらしい、と ここで知る。
気の通りにくい箇所を通りやすくする刺激になるだとかは聞いた。
平たくすると コリを取り除く運動? 頭で考えるとありがたみが半減しますが
オモシロイ。 やろうじゃないの。
忠実に、を大人しく意識してきたけど
もう暴走して、いい加減にしろよくらい直されまくろう。
結局答えはわかりませんが、きかっけとして
私の凝り固まらせた独りの季節を 表に出してもらったような気分です。
周囲の誰かに言ったところで 無駄に重くさせるだけなので元々言わない事。
不思議ですが 無意識に一生抱えこむと思っていた その重い荷が軽くなった気がする。
身軽になって、事実への対応だけに集中できる感じです。
自覚なく積み重ねた層に挟まって 身動きできなかった所があったらしい。
で、それから多少痛みで困っても、 わりと楽天的で居られるようになってきました。
漠然とひとり抱える困り事として存在させるよりは、問題として表面に出してしまう。
お金をかける判断だとか 手ごたえと安心のためにも手っ取り早く考えがちな
完全排除の効果だけを求めるのでなくて、自分がいま現実的にできる対策を考える。
案外 物事が単純になる。 大げさに抱え続けてるのが恥ずかしいくらい小さくなった。
今まで何をしても逆効果だったので、
短期で完全排除できなきゃ意味がないと全部を諦めていた自分に気づきました。
これも 思い出す、に近いかもしれません。
そうか期間長いと もう知ってたこと自体を忘れるようになるんですね~ 知らなかった
でも それ全部過去!と言われる場所がある。いつも怒られる。楽をするなと。
からだ悪くさせた上に対処がヘタな自分が悪い。と捉えられるらしいので
一切、気の毒がられない。 スパルタ…
問題が山積みな分だけ、
改善させられなかった期間のコナレた余裕も感傷も 今要らない。
ひとかけらも役に立たない。と爽快に切り捨てられている。
そういうの大好き。話が早い。
もう若くないから無駄は省きたい。気分良くなって笑ってしまう。
今 全力。の発破かけられてます 常に号令みたいな。
天邪鬼なので、ありがたいです💦
最近よく通りかかる公園の 銀杏の紅葉はまだまだです。
あの威力凄まじかった台風を よく堪えたなー。
樹高が高めだと 切り取りきれない。
幹の肌もいいな~